
トンネルというよりは洞門と呼んだ方が似合いの素掘りで、実際子供の頃は洞門と呼んでました。
私が子供だった昭和30年代には廃止からしばらく経っており、もちろん線路はありませんでした。
近道なので皆利用していましたが、小学校では「危険だから通行しないように」などと御達しが出たこともありました。
私は一向に平気で通ってましたが・・・笑
良くホームページなどではコンクリートで塞がれた西側抗門跡が紹介されていますが、東側も残っていてこっちの方がちょっと怪しい感じです。 (笑
この東側の抗門に続く線路跡は元々道路として利用されていましたが、現在の道路は後から出来たため元通りではありません。
一番の違いは土地の高さで、現在の道路は以前よりも地盤が高くなっています。
そのため一時は貫通していたトンネルを抜けてくると、道路に出るためには急な土手を登らなければなりませんでした。
現在見えている半円形のセメントは、もとの抗門の1/4程度ではないかと思います。
実は我が家のお墓がこの直ぐ近所にあり、親の家からお墓へ行くには洞門を通って行くのが近道でした。
しかし内部に水溜まりが有りぬかっているので、普通は通る気にはなれませんでした。
おまけに東側抗門は車で通る道路からはちょっと奥まっているため、わざわざ見に行かないと確認出来ません。
それでずっとどうなっているのか知らぬままだったのです。
前回私が見たのは15年ほど前のことで、その時点では抗門は塞がれておらず、普通に通り抜ける事が出来ました。
小さかった甥っ子どもと一緒に歩いてお墓参りに行ったのですが、子供たちが水溜りに落ちないように叱り飛ばしながら歩いて行ったのでした。
その後、私の知ぬ間に塞がれてしまったようです。
私が子供だった昭和30年代には廃止からしばらく経っており、もちろん線路はありませんでした。
近道なので皆利用していましたが、小学校では「危険だから通行しないように」などと御達しが出たこともありました。
私は一向に平気で通ってましたが・・・笑
良くホームページなどではコンクリートで塞がれた西側抗門跡が紹介されていますが、東側も残っていてこっちの方がちょっと怪しい感じです。 (笑
この東側の抗門に続く線路跡は元々道路として利用されていましたが、現在の道路は後から出来たため元通りではありません。
一番の違いは土地の高さで、現在の道路は以前よりも地盤が高くなっています。
そのため一時は貫通していたトンネルを抜けてくると、道路に出るためには急な土手を登らなければなりませんでした。
現在見えている半円形のセメントは、もとの抗門の1/4程度ではないかと思います。
実は我が家のお墓がこの直ぐ近所にあり、親の家からお墓へ行くには洞門を通って行くのが近道でした。
しかし内部に水溜まりが有りぬかっているので、普通は通る気にはなれませんでした。
おまけに東側抗門は車で通る道路からはちょっと奥まっているため、わざわざ見に行かないと確認出来ません。
それでずっとどうなっているのか知らぬままだったのです。
前回私が見たのは15年ほど前のことで、その時点では抗門は塞がれておらず、普通に通り抜ける事が出来ました。
小さかった甥っ子どもと一緒に歩いてお墓参りに行ったのですが、子供たちが水溜りに落ちないように叱り飛ばしながら歩いて行ったのでした。
その後、私の知ぬ間に塞がれてしまったようです。