「ボーはおそれている」をギャグとして楽しんだ、
なんて話を書いたし、実際ギャグとして楽しんだんですけれど、
捉え方を変えるととんでもないホラーになるので
人によってはトラウマ級になったんじゃないか?
なんてことを思い返していたsachiakiです。
「口の立つやつが勝つってことでいいのか」
なんて本もあるぐらい、
今も昔も口先のうまいやつだけが得をしている印象があります。
実際はいろんな能力があって、
獲得する得の種類もあると思うけれど、
こと実物の交換ではなく、
虚像でやり取りをすることが増えた現代では
口の立つやつが飄々と立ち回っている感じです。
インフルエンサーとかさ、
あんなん影響力ってものを剥ぎ取れば
なんにも残ってないのに
ありがたがるのが意味不明ですよね。
でもその影響力が誰よりも得難いものだからこそ
力を振るえるってもんですわ。
で、その影響力ってものをどうもぎ取るかというと
ブレない個性ってやつで、
それはぶっちゃけ傍迷惑なものだったりするんじゃないかな。
もちろん善性を発揮しての影響力を持つ人もいるけれど
多くは迷惑だったり、強権を発動してる人に
人は惹かれるし注目してしまう。
悪評もまた票なりってわけだ。
これを否定したいけれど、でもね支配してくる人間ってのは
巧みに人の選択権を奪うことができるし、
対抗するには強権を発動する人の言うことなんて聞かないっていう
これまた相手に選択権を与えないっていう
方法しかないんですよね。
前置きに書いた「ボーはおそれている」の主人公の母親は
自分がどれだけ息子に愛されているかという試し行動を
70歳も過ぎているのに壮大な仕掛けでしてきます。
バカじゃないの?って思うけれど
きっと本人は大真面目なんでしょう。
彼女はボーをどれだけ愛してきたか
どれだけの時間を注いできたかという話を彼にしますが、
映画を見ていれば彼女がどれだけボーから選択権を
奪ってきたかが分かりやすく描かれています。
ボーを取り巻く周辺事情は”彼の話を聞かない”という
一貫したものがあり、
そのせいかボーは学習性無気力で
自分には選択する権利があることを忘れていて
流されるままに翻弄されてしまいます。
話を聞かないやつの言うことなんて
聞く必要は1mmもないのに。
どいつもこいつも、「あなたのためにしている」と
言葉や態度に出すけれど
客観的に見て、全然相手の話を聞いていないのに
なにが「あなたのため」じゃボケって気持ちしか湧いてきません。
そしてボーが少しでも自分の要求を通そうとすると
非常識な人間かのように責めてくるんです。
ぶっちゃけ、非常識でいいと思うんですよ。
良識のある人間に対しては良識を持って接するのが
良い人間関係を築く礎となるでしょうが
親切なふりして相手の要求を聞かないやつなんて
自己満足を得たいだけのナルシストなので
適当にそいつから得るものを得たらトンズラしちゃえばいいんです。
でもそういったことを考える余裕を奪うのがうまい人ってのが
世の中には多いんですよ。
「あなたの健康はこの1粒で万全!」とかね。
やかましいわ。
もちろん本当に親切な人はいて
そういった人たちにまで疑念をかける必要はないと思います。
本当に親切な人は必ず「あなたはどう?」という
選択肢を奪うことはしませんから。
ただ、選択権を与えられるのは
違った意味で大変だったりもします。
とくに考える余裕すらないときなんかは。
だから選択肢を与えてくれる人のことを
鬱陶しく感じたりもするかもしれません。
だけど、自分のことは自分で決めなくちゃいけないんですよ。
じゃないと、巧みにそれしかない選択肢を与えたふりをして
お前が選んだのだから、それはお前の責任だ
ってしたり顔で言われたりしちゃうから。
SMとかで調教をする時に
支配者を叩くしかないような仕掛けにしておきながら
叩いたからには仕置きが必要だ、
みたいなロジックがあるんだけど、
そういうのを仕掛けてくるやつが世の中には多すぎるんだよね。
だから「生殺与奪の権を他人に握らせるな」が
大事なのだと肝に銘じておくと良いんだと思います。
生きるも死ぬも自分次第。
秋は色々センチメンタルで物憂う時期なので
なにかに支配されないようにお気をつけて。
モイモイ!
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