「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

台北の旅

2008年05月12日 | 旅の足あと
 台北3泊4日の小さな旅のツアーに二人で参加しました。長期の旅が可能かどうかのテストです。
 快晴の福岡空港を11時に飛び立って2時間10分、台北桃園国際空港は雨で濡れていました。1時間の時差が生んだ差異は、そろそろ梅雨入りを思わせました。(台湾が1時間遅れ)

 空港からの道すがら真っ先に気づいたのが、当たり前ながら、賑やかな看板はじめ文字がすべて懐かしの旧漢字が用いられていることでした。今では直ぐには書けなくなっている、國、號、寶、臺、灣、などなどが生きて使われていました。
 次がすさまじいバイクの洪水です。町に自転車の影はなく、自動車は日本車が主流ですが小型車は走っていません。スクーターバイクに二人乗りはごく普通です。(右側通行)この2点は中国との大きな違いでした。

 ホテルに荷物を入れ、近くの、戦いで国に殉じた人たちを祀る忠烈祠で1時間を過ごし、儀仗兵の衛兵交代を眺める所から観光の開始でした。台湾人ガイドのいう「日本の靖国神社です。」を複雑な思いで聞いていました。
 中国宮殿様式の大殿を囲む回廊や山門には戦いを描くレリーフや絵画が飾られ、日本語の解説もついていました。後の見学地の寺院などに比べてみると、かなり厳粛な雰囲気です。衛兵は1時間ごとの交代で、お立ち台では次の交代まで直立不動なのはここも同じです。説明によると、儀仗兵は、陸、海、空軍のエリートで、年齢、身長にも規制があるとか。

台北点景
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■度肝を抜く三人乗りの家族。悠々と通り過ぎてゆきました。■町を行くスクーター。シャッターの遅れ。各馬一斉にスタートといった実際はもっと迫力があります。■駐車されているバイクのおびただしい車列■看板の文字は旧漢字。隆は一画多く、宝も寶らしく、斉も「いつく」の意が良く解ります。■忠烈祠の入り口。門の中央入り口には左右に衛兵が立っています。■一番奥の大殿。ここにも、もう一組の衛兵が直立不動で立っています。■衛兵交替。隊長以下5人の儀仗兵が1時間ごとに交替のセレモニーを行います。■衛兵。何が起ろうと微動だにしない見事さ。銃は本物です。■夜市風景。果物は種類も多く、安価でした。1元=3,4円。■夜市で夜食をとる台北っ子の逞しい食欲を見ました。治安も悪くはないようです。
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 その後は、九份へと向いました。台北の北東、バスで1時間。基隆から10キロの山間の小さな険しい崖の町です。
 鉄道工事の折、偶然見つかった金鉱に、殆ど無人だった地が一躍ゴールドラッシュに湧いた所です。日本の統治時代には基隆港から積み出されていた金が、1970年代掘り尽されて廃鉱となって以来、再びさびれて行きました。
 脚光を浴びるようになったのは、1989年、ベネチア映画祭の金獅子賞を取った「非情城市」の舞台となって以来のことです。古い町並みと、地形がかもし出す異空間は、さながら「千と千尋の神隠し」の世界です。実際に、宮崎駿監督もこの地を訪れているのだそうです。
 映画の「油屋」のような、そして、非情城市の撮影でも使用されたレストラン“阿妹茶酒館”での夕食となりました。
 紹興酒の酔いが醒めるころ、「雨と霧の町」と呼ばれる九份が、お情けで遠い島影と、基隆の港の灯りを覗かせてくれました。








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<霧が晴れて>


九份の町 5枚。 マウスオンでどうぞ。

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6 コメント

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酔夢 ()
2008-05-12 22:27:57
 boa!さん お帰りなさい。 紹興酒のお味はいかがでしたか。台北だけに絞ってゆったりと行く醍醐味。
 信号待ちは、轟音と共にバイクがどっと押し寄せる、黒マスクの集団は、見慣れぬ異様さから度肝を抜かれました。 屋台の喧噪も、台湾の人々のエネルギーに、ただただ圧倒されました。忠烈祠の一糸乱れぬ若き衛兵も良く覚えています。

 昨年1月、台北・台中・高雄・花蓮経由のあわただしいこと、夢のように過ぎた旅行を思い出しながら、うらやましき旅をこれから拝見いたします。 たくさん見せてくださいませ。
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懐かしいですね (Sakura)
2008-05-13 13:18:24
台北の街、すっかり変わっているようですが、懐かしいです。

やはりIDが1箇所違っていました。方向転換するでしょう。
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こわごわの旅 (boa !)
2008-05-13 16:42:12
懐かしの台湾の旅は、手術後の試行の旅でした。いたわり、遠慮しながらの、こわごわの旅でしたが、食事も大丈夫でした。
撮り貯めた写真の中から選択してUPしています。少しでも蛙さんの思い出に繋がるものがあるなら幸いです。旅は出かける前と、その余韻が楽しいものですから。
 
帰りはZ気流に乗って1時間50分、九州からは近い外国です。故宮は、ただただ溜息の出る宝の山でした。さ迷い歩いて何日でもと思いましたが、足のほうが想いを叶えてくれず反乱を起こします。やはり年だと自覚しました。清川先生はそういう意味でも、ただものではありませんね。
また、リピターをと願っていますがどうなりますか。

紹興酒は日本で販売されているものと大差ありませんでした。もっとも銘柄を知らないので、安物のお酒だったのかもしれませんね。料理は薄味の広東料理でありがたかったです。
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ありがとうございました (boa!)
2008-05-13 17:01:00
Sakuraさんが、終戦まで台北に暮らされていたのを知っていたら、また、写真の撮りようもありました。日本から、三越や、そごう、高島屋といったデパートも進出しています。
三線道路もさらに拡張されているといっておりました。
101の超高層ビルは世界屈指の高さです。総督府の建物はそのまま総統府として使われており、日本人宿舎の建造物も残ってはいますが、半世紀を経て、官舎街は、黒瓦に面影をとどめ、無惨に荒廃していました。
 
画像の動きではお手数をかけてしまいました。お蔭様で右や左の動きもスムースになりました。いつもご親切にありがとうございます。
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隆雄と隆子 (香HILL)
2008-05-13 21:03:09
隆の画数、生の上に余分のーがある=画数が12となる。
覚えています。兄貴の名前にこの字がありまして、何度か聞かされ事がありましたが、
当時は漢和辞典でチェックする程勤勉じゃなかった。
赤ちゃんが生まれ命名をするのに、近所にお住まいの国文出身のお偉いさんに頼んだらしい。
苗字と名前の画数の合計が31は幸をもたらす云々とか。だから余分のーがあるとないとで違いがある。
命名で有名な清水寺のお坊さんも古い慣習やっているかな?
boa先生も、何度か命名されたことでしょうね。

いや、主題から大きくずれてしまい申し訳なし。台北の旅でしたね。それも長期・大旅行のpre・・とはご立派。
羨ましい限り。その際には、ノートパソコン持参で遠征されますように。
そう、ブログを長期ホッタラカシニしているとサポーターが???。

名門ゴルフ場の映像も期待しつつ、続編楽しみに。
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舊漢字 (boa !)
2008-05-15 03:17:37
安易な方向にはすぐ適応するするので、旧漢字は、書くとなると、今では戸惑ってしまいます。
日本以上に、訳のわからない略号化したご本家とちがって、「臺灣銀行」という看板を見たときは正直驚きました。
道路標示も「・・號」でした。記号とはいえ、表意文字なのですから、新聞も8割方は何が書かれているか凡そ理解できました。食事が何より口に合います。予想よりさっぱりで、薄味がありがたかったです。種類も変化に富んでいて。
ご期待のゴルフ場は、観光客には無縁のところですが、数年前、名門といわれている淡水のゴルフ場での、弟のプレイの感想は、日本のゴルフ場とは異なり、芝の手入れが悪く、雑草も放置されたところがあり、とても「名門」とは。とのことでした。

台湾は東京に行くくらいの時間の外国ですから、次は個人で行くことにします。勿論ゴルフバックなどは持参しませんが。
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