「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

金印の島

2009年03月09日 | 旅の足あと
 飛行機が福岡空港へ向けて着陸態勢に入るとき、大抵は志賀島の上空から下降してゆきます。
 博多湾を玄海灘の荒波から守るかのように伸びた海の中道の先端に、雫をたらしたように拡がっています。周囲12キロ余り、5,87平方キロの古代史跡の小島です。

 この志賀島にある国民休暇村に出かけました。気分がすぐれない私を誘っての気遣いで近場での行楽でした。
 もう一つの目的は今年最後の河豚を食べることにあったようです。ここのデラックスコースは、白子豆腐と、鍋にも白子が付いてくるのが特徴です。平成18年にリニューアルしたとはいえ、休暇村ですから、部屋食ではなく、レストランの中の奥まった別室で、椅子席です。雰囲気に欠ける分割安で助かります。
 鰭酒のお変わりをして、コース料理は十分の量で満足しました。

 露天風呂も新しく設けられていて、向かいの玄界島を眺めながらの掛け流しの源泉「金印の湯」は潮の味がしました。
 広い敷地内には昔からの場所に、外観だけは新しくなった資料館が建っていて、古民具や、金印出土に関わる資料を中心に、志賀島の史跡として志賀海神社、万葉の歌碑、元寇関係の資料が展示されています。
 休暇村の敷地内には、そのほかにも嵐の夜、対馬へ糧食を運ぶ途中、海底に沈んだこの島の海人荒雄の碑と荒雄を悼む歌碑(5号歌碑)が建っています。
 前回志賀島を訪れた時は地震の後、まだ先端のこのあたりまでは道の修復ができていなくて、蒙古塚のところから引き返しました。今は島を1週することが出来ます。
 志賀海神社大宝篋印塔も修復され、その偉容を見せていました。
 蒙古塚は倒壊のあと、山上から下に移されて、海岸線に沿って建てられていました。

画像 志賀島神社編
 
志賀海神社
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志賀海神社入り口 島の入り口に鎮座
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階段を上った境内 祭神は綿津見三神
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上代より「海神の総本社」「龍の都」と称せられた。
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玄界灘に向う遥拝所
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奉納された鹿の角の鹿角庫 1万本以上
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万葉歌碑 1号碑
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大宝篋印塔
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2 コメント

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古代史研究 (香hill)
2009-03-10 23:35:05
ギリシャ・ローマと西洋での歴史記録は沢山あるのに、我が国のそれは僅か。
紀元前後の時代、どんな国の姿だったのか?
どんな暮らしを?と想像するだけで楽しい。

列島の発掘をすれば新たな資料が見つかりませんかね?
文字通り”歴史的発掘”というようなモノ。

それはともかく、志賀島散策・金印との再会・
鰭酒たらふく・・とくれば、心もすっかり
明るくなって企画者のお方もさぞ喜んでおられるでしょう。
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万葉回帰 (boa !)
2009-03-11 11:55:16
はい。お蔭さまで少し元気になりました。
雀百までとはよく言ったものですね。得意の一席を打つうちに、気分も晴れて。

鰭酒を楽しむには、宿泊するほかはないので。
行政区では福岡市東区ですから、行こうと思えばいつでも出かけることは可能ですが、近いと却ってなかなか出かけません。2年ぶりでした。
海人達の本拠地は対岸の博多の白亜の街とは関わりなく、外海の鮮烈な藍色を見せて奇妙な寂寥におそわれました。太陽が沈んでしばらくの間は、日の出前と同じく、潮の関係で魚がよく獲れるのだとか。この島に住み着く海人の末裔たちの漁船の灯りを見ながら、装飾古墳に描かれた幻の船を思いました。
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