今回の旅の最大目的のMIHO MUSEUMにはお昼前に到着しました。
フランスのミシュラン社に「三つ星レストラン」と格付けされたMUSEUMのレストランで、無農薬栽培された食材使用とうたう野菜中心の昼食をいただいて、一休みのあと、午後の時間いっぱいを蕪村の世界に浸りました。
68歳の生涯を多面的にとらえた企画で、俳諧、絵画の二筋道に、きわめてユニークな業績を残している蕪村の業績をあらためて認識しました。
俳諧や俳諧資料、書簡、そして多様な表情を持つ絵画と、網羅した展覧会は見応えのあるものでした。
図録一つとりあげても、これほどの集大成は今までに例のないほどの内容です。400ページから成る分厚いA4判は、絵が多いため2キロもあります。
6期に分割された展示替えで、微妙にずれて見たい作品をすべて見ることが叶わない中で、最後の6期を選択したのは、蕪村の最高傑作と憧れる「夜色楼台雪萬家図」と「十宜図」が出るからでした。
どちらもあまりに有名ですが、期待通り、横物三点の代表作、「富岳列松図」と「峨嵋露頂図巻」の間に挟まれて、「夜色楼台」は文学性豊かな表情を浮かべていました。
図録や印刷物では、あの雪もよいの空の、墨の微妙は捉えることはできません。 左端の筆を省略した描き方が、丹念に描きこまれた薄明かりの灯る楼台を印象付け、リズムを生んでいるのが解ります。
実際にはそれほど大きな作品ではないのに、訴える物語性が作品を大きく感じさせました。(28,0×29,5)
(三点とも、”謝寅”署名の晩年の作。重要文化財。三点が揃って展示されるのは6期のみでした。)
富岳列松の松の幹の剛直な表現と、白抜きの富士。峨嵋山の岩肌の迫力は、今も目に焼きついています。一目で画家とおぼしき風体の方が、峨嵋山の前で動こうともせず、近づき、また離れてはの鑑賞でした。会場は3時を過ぎるころからは、人影もまばらでした。
期待の「十宜図」はなんと、私の思い込みで、10枚が見られるものと思っていましたが、画帳仕立てなので開かれている1枚だけを見る次第です。学芸員の方にお尋ねしたら、3日ごとにページが変わるのだそうです。「宜晩」を見ました。
「新花摘」の版本、伸びやかな筆使いの書簡の文字、そして、詩人のとらえる山水に託される温もりのあるまなざしは、やはり「郷愁の詩人」そのものでした。
漢詩への造詣の深さと、それに捉われず自由な詩形で表現するユニークを、「殿河曲」にみました。
書き留めておきたいことは沢山あるのですが、画像を上げることで今は一応の区切りとしておきます。また、ゆっくり辿ってみるつもりです。
妹は一刀彫や水彩画を描くので話が合い、期せずして二人が一致した「お気に入り」で、ホッとした小品です。弁慶や、応挙との合作の小品も私にはよかったのですが。
賛も彼女のお気に召したようです。「学問は 尻からぬける ほたるかな」自賛。
俳画として飄々とした蕪村らしい味のある一級品と感じ入ったことです。
右回りに進んだ会場の最後の一室を独占していたのは、今回200年の時空を超えて初公開された銀地山水図屏風の巨大な六曲一双でした。死の前年の作品で、充実した瑞々しい気力に圧倒されます。テレビの「美の巨人たち」で紹介された作品です。筆の運びが実にリズミカルです。一つのことを極め、到達できた人は、他の分野でも同じくすぐれた仕事ができるもののようです。銀の箔が時間の経過で黒ずんで生み出す変化までも計算に入れていたのではと思わせる雰囲気を持っていました。
右隻
国宝 十宜帖・宜晩
別荘伊園の自然のすばらしさをうたう明の文人の「伊園十便十二宜詩」にならって、池大雅が十便を蕪村が十宜を絵画化したもの。
「宜春」「宜夏」「宜秋「宜冬」「宜暁」「宜晩」「宜晴」「宜風」「宜陰」「宜雨」からなる。
澱河曲 自筆扇面自賛画
君ハ江頭の梅のごとし
花水に浮て去ことすみやか也
妾ハ水上の柳のごとし
影水に沈てしたがふことあたはず
蟹蛙図 蕪村・応挙合作
蕪村が三匹の蛙を、応挙が蟹を描いて、墨一色でいて躍動感がある。
折々、別所沼の蛙さんのブログでお顔を拝見して、雅文「交歓」の風景を垣間見させていただいています。
同好のお友達はありがたいものですね。
テレビでの「銀地山水図屏風」の放映を気づかずにいました。ブログの雪月花さんにMAILをいただいて、後から見ました。
図録の帯や、パンフレットの表紙で美しい映像になっていましたね。
でも、違うのですよ。実物の持つ気品と、筆遣いのリズムは、映像化することはプロの写真家にも難しいようです。
初公開のこの屏風はきっと東京でご覧になる機会が巡ってくることでしょう。
気迫に充ち、しかも気負いがないのは、晩年の作だからでしょうか。
いつも、垂涎の九州っ子が、酔狂と笑われながら、信楽の山奥まで出かけましたが、行ってよかった。が実感で、まだ余韻をひきずっています。
あまりに素晴しくて、一言お礼が言いたくなりました。テレビでも MIHO MUSEUMをちょっとですが、紹介されていて、また友人もわざわざ東京から行かれて、この与謝蕪村の図録もいただいています。図録だけでもこの素晴しさ、そしてこちらのブログで、そのよさを増幅していただいて、嬉しい限りです。「銀地山水図」見事に再現されていますね。実物は?と夢想してしまいました。ありがとうございました。
多分、夜半樂翁も苦笑いで向うを向いておられると思います。
勝手蓮はどこまでも追っかけるものです。「影水に沈てしたがふことあたはず」であってもです。
三好達治だってこの絵から、あの有名な「雪」の二行詩、
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
の発想を得たと山本健吉氏も証言するのですから、是非一度、ご覧ください。
ミイラ取りが、ミイラになりませんように。
このアップの全体を貫く熱意には脱帽します。
何処が最高なのか?さっぱり分かりませんが、
雪の絵は白川卿の情景を思い起こさせますね。
こんなに絶賛されると、一度、図書館で図録を見てみよう・・なんて気になりますね。
天眼鏡を持参してあら探しでもしてみようかな?
それにしても死後数百年後にもなって、美女に愛される男って羨ましい。
わずか18cm四方の世界なのに、蕪村の小品の記憶は、もっと大きい作品だったようにに思えて、何度も図録で確かめています。存在感があるということでしょうね。
大雅が漢詩に忠実な絵を描いているのに対して、蕪村は漢詩のイメージを日本風に表現して自在です。
夜色楼台に会いに行ったと言い替えてもいいのです。雪の白さが写真では伝わらないのです。あのまだらな墨の空も。
決して達者な絵ではないと思うのですが、実にいい絵ですね。芳賀先生の仰る「籠り居」の句が、みんなこの絵に収斂されて、雪の降る夜の安息感が、やわらかく伝わります。
そういえば、「屋根ひくき宿うれしさよ冬ごもり」の句稿も6期だけの展示でした。
たまには、蛙さんを羨ましがらせてもいいでしょう?
応挙の印、よく見て面白い発見をしてくださいね。ア、この写真では無理でした。
実物で見る「たらしこみ」は、 夜空のもとでどんなにか詩情をかきたてることでしょう。想像を膨らませています。 田舎暮らしの 十の宜しきこと…も。あたたかく心安らぐ絵のなかに、ひととき紛れ込みました。夢のような暮らしです。 文豪が家を買う変わりに、 買い求めた作品とか。
boa!さんの深い鑑賞でのご案内を、ありがたく思いました。蛙の後ろ姿も。