「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

杖立への道すがら

2008年12月02日 | 旅の足あと
 久しぶりの晴天で心地よく南下すること87キロ、八女インターで下りて花宗窯に向いました。
 長くご無沙汰している間に立派な道路ができ、近くには新幹線の工事も進んでいて、かつての長閑な田園風景は窮屈なものになっていました。

 花宗窯でお昼を一緒にと勧められましたが、車から降ろした素地を一応の窯詰めにして、家庭画報12月号で使用した菓子皿のお礼に送られてきたというお菓子だけいただいて辞去しました。
 八女の市街も、日曜日のせいもあってでしょう、シャッターの下りた店の多い商店街を抜けて西から一路東へ、大藤で有名な黒木から山中を矢部村に抜けるコースを取って杖立温泉を目指しました。

 矢部川沿いの両岸は杉林と段々畑で、トンネルが続きます。長いトンネルを抜けると日向神ダムが姿を現しました。ダム特有の深い緑色に赤い鉄橋と鮮やかな銀杏の黄色が映えます。
 山また山の行程は、今は銀杏の黄葉の盛りで黄金色の輝きが強烈な印象です。
途中、どこかで昼食をというので注意していると、お洒落な小さな看板が目に入りました。
「温人」というネーミングも風変わりで、狭い橋を渡って真っ黒の建物に目星をつけました。手打ちの蕎麦専門のお店でした。私達のほかには人もなく、国道の対岸の集落の中で、営業は趣味としか言いようもない場所です。店内の装飾も気の利いたものが置かれていました。

 店内に、今晩はシャンソンのライブがあると小さな貼紙が出ていました。歌手は今年1月、新春音初めライブの時に歌った“TAKAKO”さんでした。こんな山中でこうした出会いをするものかと奇縁に驚きました。手打ちの蕎麦は腰があって申し分のない味わいでした。

 予約のチエックインの時間には間があるので、道の途中だから鯛生金山に寄って行こうということになりました。
 何時も素通りで、坑道に入ったことがないという弟に夫が勧めて、かつて日本一の産出量だった金鉱山の訪問です。数年前に来た時は紅葉の盛りで、その折の紅葉のトンネルの美しさを見せたかったようでしたが、残念ながらすでに葉を落としていました。
カメルーンがここでサッカーのキャンプを張ったことで全国版になった中津江村です。駐車場には道の駅ができていました。

 この鉱山が80年の歴史を閉じたのは昭和 47年のことです。松本清張が長編の「西海道談綺」を、隠し金山を軸に日田とここを舞台の中心に設定して書き、これは映画化されています。以前にはなかったマグシーバーが入場券についてきました。約1キロのコースをわかり易い解説を聞きながら1時間かけて歩きました。石見銀山と違って見学コースの距離も長く、かなり設備も整っています。

鯛生金山
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坑内入り口”一棒一条痕”の文字
金鉱石
支柱の種類の説明版
坑内・延長110km.地下540m.の坑道
酒の貯蔵では現役
黄金の洞窟に純金の鯛二匹
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詳しくお知りになりたい方は鯛生金山のホームページでどうぞ。

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