悪い癖です。片付けなくてはならない急ぎの仕事があるときに限って、他の事をやってみたくなり、意欲も湧いてきます。あと少しで仕事も終わるのに、今日も絵筆が取りたくなりました。
それも、いつもの一気の仕上げとはゆかない念入りのものが描きたくなるのです。気がかりになるものがあっては、所詮、納得の行く作品にはなりません。次回持ち越しになりました。
今日の習作五枚の中から、どうにかの仕上がりになった二点を留めます。菊池渓谷の鮎と垣根に夏の名残を留めている朝顔です。
それも、いつもの一気の仕上げとはゆかない念入りのものが描きたくなるのです。気がかりになるものがあっては、所詮、納得の行く作品にはなりません。次回持ち越しになりました。
今日の習作五枚の中から、どうにかの仕上がりになった二点を留めます。菊池渓谷の鮎と垣根に夏の名残を留めている朝顔です。
言われる事が悪癖なら、当方も真似たいですな。
明日のテストは2科目(数学+古文)、前夜、微積分の難問勉強中に、フトあの古文の怖い先生の顔を思い出して・・中途半端に。
この繰り返しが社会人後も続き現在の半端な人間とあいなる。
遠い昔の事を思い出しています。
そう言えば、左脳の活躍には右脳の力も借りなければ・・ってありましたね。
お絵描きは右脳の活躍でしょうか、さすれば、メインの課題も首尾よく完了できましょう。
涼しくなりました。掲載の習作は秀作です。
ところで、
高齢で馬術競技に参加された方の談話が面白かった。
”いまでも上手くなっていると思うことがある”
これだから習い事は止められんのでしょうね。
錯覚も時に励みとなります。
特に朝顔がすきです。 精神力もUPして気迫のなかに繊細さと、余情があります。 このところ、斜めの色遣いも新鮮で、微妙な分割と角度で、深みや奥行きが出ています。
新境地を物されましたね。
いい絵ですね。「悪い癖」も良い作品に。おめでとうございます。 絵を描くのは 恥もかくけど 何ごとも深く味わえる楽しみがありますね。
「絵と俳句の省略論」も楽しみにしてますけど、合間のすさびとはいえ気を抜かれていませんね、さすがです。朝顔の背景のかけ分けなどハッとするアイデアです。一輪だけ、という潔さも ^^
こちらは秋の長雨のような空模様がつづいています。せっかく咲き始めたご近所の酔芙蓉がかわいそう。今夜はさんまのショウガ煮にかぼちゃ煮。食卓も秋です。かぼちゃは先月の画題で、桔梗は来月でした。(順序として逆のような気がするんですけど)
いつも目の前の問題に背を向けて逃げているのでこうなるのでしょうか。絵を描くのは、とにかく、文句なしに楽しい作業なのです。結果はついてこなくても。オリンピックと同じです。
花びらの柔らかさとキリリとした空気感はboa!様の人柄が現れているのでしょうね。
技術的な事は解りませんが、素人の率直な感想です。
ものを観る目は、絵を描く人の場合、確かに違っています。同じものを観ていても、違った角度で捉えていることがあって、観察も、瞬間でも見るべきものを逃さないこともあるようですね。
友達に会って、おや、何かあったの。少し痩せたのじゃないと声をかけたら、1キロにも満たない痩せなのに。と驚かれることもあります。私の場合はこの程度でしかありませんが。
形が決まらなくて模索するのも、描いたものに情感が表現できなくて苦しむのも絵の場合はそれを楽しみに換えることができます。思いがけない偶然や、狙い以外の効果にも出会ったりして。
人よりも深く味わうことができれば、人生豊かですね。”下手も絵のうち。”守一はいい言葉を残してくれました。
タラトウユもしばらく作らないなと思ったり、専業主婦になられた雪月花さんのブログに料理番組が厚みを増すのを喜んで拝見しながら、感心しています。俳句の勉強も短い間に随分上達されましたね。「手花火」の句など、高得点の入選句でしょう。
羊羹は「陰翳礼讃」の瞑想的菓子を水羊羹で試みられる創意にも脱帽です。「アガー」なる凝固材を初めて知りました。私はもっぱら寒天派で、それも棒寒天が好みで、ゼラチンを敬遠していましたが、今度ジャムつくりで試してみます。うまく行きそうな予感がしています。ありがとうございました。
このところ「余白を吹き抜ける風」につかまって、自分が呼び込んだ風に翻弄されていました。コメントも入れる余裕もなくて失礼しています。
南瓜の俳画もそのうち見せていただけるでしょうね。うまくいきませんが私の好きな画題です。
中世を一貫する無常観は、雪月花さんのテーマになりそうですね。侘びも寂びも、和の世界の根幹に流れているものでしょうから。
人間の中身がだらしがないので、絵にもしまりがないのですが、時々、憧れがあるからでしょうか、およそ実態とはかけ離れたものが偶然に出ることがあります。
「キリリとした空気感。」欲しくてたまらないものを、メタボさんの言葉でいただいて大喜びしています。
陶器も作り出される形の偶然が功を奏したり、何よりも炎に任せる部分が大きいですよね。火の神様の祝福を期待します。いい作品が生まれますように念じています。
主宰は右腕が利き腕でありながら、例の方は左利きとスイッチヒッターですね。
昨夜の甲子園はいつもの通り満員でした。五輪で失意の男・岩瀬投手が帰国後最初の登板。
元気を取り戻して欲しいと祈る。彼も左腕。
一緒に行ったトラキチの友人は買った風船を使えずお持ち帰りで失意の帰宅。
しかし、甲子園だけは不景気知らずですね。あのお福を貰いたいからお参りするのでしょうか?
ところで、大脳に関して昨日報道ありました。
”ヒラメキ”をつかさどるのは左でも右でもなく、前頭葉とか。
通常、左脳=think(考える)、右脳=feel(感じる)と言われていまして、
右脳は思考には無関係ではないでしょうか?
呑んだくれは左脳を麻痺させ、右脳を高めるので大声・泣き言・愚痴を招く。
くれぐれもご注意ください。
本ブログの主題が”もののあはれ”、モノ=理・論理、アハレ=情と解釈すべしと加藤周一先生が言ってましたね。そんな事を思い出していると、漱石の草枕の有名な最初の名文が浮かんできます。
左右のバランスに注意しないとゴルフスイング・・いや、世の中の暮らしが窮屈に。
夏が去りつつあると感じる今、左巻き男が独り言を記しました。この悪癖は直らんようですが、ご容赦の程。
いつまでも記憶力にだけ頼るのは、余り進歩していないということの証明と、勝手な言い訳で自分を納得させていますが、どうも、前頭葉の方も代わりに働いてくれてはいないようです。
忘れていた仕事がまだ終わりません。退化したのは記憶力のほかにも酒量もです。「百薬の長、愁いの珠箒」程度のものですから、ご心配には及びません。グラス一杯が限度になった相棒とでは、量は減ってしまいます。時間が取れたらまたゆっくりコメントを入れます。