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クリックで2枚です。
今、九州国立博物館では「島津の国宝と篤姫の時代」と題した特別展を開催中です。 副題が「東京大学史料編纂所20万点の世界」とされているように、展示品の8割がここの収蔵品です。
7月12日からの会期も残り数日となり、暑いとか、忙しいなどといっている間もないので、出かけてきました。いつも特別企画展には、会期の前半に出かけるのですが、菊池行きを楽しんで予定を変更してしまい、お盆を挟んでいたり、予定していた日が大雨だったりで延び延びになっていました。
すっかり秋の気配の風に、気持ちよく太宰府まで高速道を走りましたが、一般道に下りて、都府楼前を過ぎるころから、渋滞なのです。事故か工事かだろうと思って、左手に続く天平の遺跡を眺めながら、帰りには戒壇院を覘いてみようなど話しながら近道に入りました。歴史資料館の前に出て驚きました。警備員の方が、×の合図をしていて、「ただいま1時間待ちです。」というのです。今日は平日の木曜日。土、日なら解るのですが、今まで一度も、開館記念展のときでさえも経験しなかった驚きの集客力です。目的にしている「島津文書」が中心の地味な展覧会だから、そんなに人は多くはないと思っていた認識は甘かったようです。テレビの連続ドラマ「篤姫」の威力をまざまざと突きつけられました。
わざわざ来たのだからと、九国博の正面に向うと、進入道路の両脇の草原に臨時の有料駐車場ができていました。まだ700メートルはありそうです。暑い中を上りになる道は到底歩けないので、敢えて進むと20台余りが並んでいます。
警備員が回ってきて、1時間半待ちです。と伝えました。時計は10時半を指していました。
中には思い切りよく車を切り返して帰ってゆく車も何台かあります。県外ナンバーや、私たちのような高齢者の車は仕方なしに列を作っています。天満宮の駐車
場も多分満車と判断して渋滞の列にいました。待つこと40分で入場できました。
会場も二重の人の列です。ビデオの前も立ち見の人で一杯です。
展示はここの特徴で、最初の部屋の虎狩の絵には、虎の各部位の利用法が図示され、食肉、薬、馬具、武具、敷物、頭部は、飾りと親切でユニークです。
この方針は、「島津家文書」の所でも、”花押”のデザイン解説にもみられまし
た。少し場違いと思う人もあるかもしれませんが、関心の薄い人にも興味を持ってもらえる新しい博物館の試みだと思います。
文禄の役の折の島津の活躍を誇示する虎狩の屏風絵もあり、丸に十の字の紋所が躍っていました。
島津家の由緒を記した「歴代亀鑑」。島津領内に滞在中の遣明使の接待を申し付ける足利義政の御内書。秀吉の掟書の、刀狩や、海賊禁止令といった国宝の文書が並んでいました。黒漆に島津の紋の入った大きな文書箱もどっしりと存在感があり、鎌倉時代から明治維新まで700年にわたって南九州を支配した島津家の貫禄を示しています。
存在感といえば、展示の中で、ベルギーの宣教師の設計によって作られた青銅製の大砲が、装飾用らしく細かな西欧風の文様装飾を施し、初めて目にする「美しい大砲」で、ひときわ眼を惹きました。(2枚目の画像)
島津斉彬着用の鎧は、縅の色も淡く上品で、手甲の黒漆に施された文様は繊細優美です。篤姫関係の展示には人が多くて、殆ど見ることができませんでした。人があまりいない、篤姫によって島津に齎されたと思われる江戸城大奥の見取り図に、大奥の規模の壮大を驚いて眺めていました。篤姫の養父となった近衛忠煕公の流麗な和歌の文字もありました。
いつになく早々に1時間半で切り上げ、都府楼の傍の喫茶店で遅い食事をして真っ直ぐ家路に就きました。見学以前に疲れてしまったのです。この駐車場の混雑は、不便な場所にある以上、なんとか工夫して解消して欲しいものですし、こういう状態であるのなら、何らかの方法で周知徹底を図るべきだと思ったことです。
写真は九州国立博物館の提供による
クリックで2枚です。
今、九州国立博物館では「島津の国宝と篤姫の時代」と題した特別展を開催中です。 副題が「東京大学史料編纂所20万点の世界」とされているように、展示品の8割がここの収蔵品です。
7月12日からの会期も残り数日となり、暑いとか、忙しいなどといっている間もないので、出かけてきました。いつも特別企画展には、会期の前半に出かけるのですが、菊池行きを楽しんで予定を変更してしまい、お盆を挟んでいたり、予定していた日が大雨だったりで延び延びになっていました。
すっかり秋の気配の風に、気持ちよく太宰府まで高速道を走りましたが、一般道に下りて、都府楼前を過ぎるころから、渋滞なのです。事故か工事かだろうと思って、左手に続く天平の遺跡を眺めながら、帰りには戒壇院を覘いてみようなど話しながら近道に入りました。歴史資料館の前に出て驚きました。警備員の方が、×の合図をしていて、「ただいま1時間待ちです。」というのです。今日は平日の木曜日。土、日なら解るのですが、今まで一度も、開館記念展のときでさえも経験しなかった驚きの集客力です。目的にしている「島津文書」が中心の地味な展覧会だから、そんなに人は多くはないと思っていた認識は甘かったようです。テレビの連続ドラマ「篤姫」の威力をまざまざと突きつけられました。
わざわざ来たのだからと、九国博の正面に向うと、進入道路の両脇の草原に臨時の有料駐車場ができていました。まだ700メートルはありそうです。暑い中を上りになる道は到底歩けないので、敢えて進むと20台余りが並んでいます。
警備員が回ってきて、1時間半待ちです。と伝えました。時計は10時半を指していました。
中には思い切りよく車を切り返して帰ってゆく車も何台かあります。県外ナンバーや、私たちのような高齢者の車は仕方なしに列を作っています。天満宮の駐車
場も多分満車と判断して渋滞の列にいました。待つこと40分で入場できました。
会場も二重の人の列です。ビデオの前も立ち見の人で一杯です。
展示はここの特徴で、最初の部屋の虎狩の絵には、虎の各部位の利用法が図示され、食肉、薬、馬具、武具、敷物、頭部は、飾りと親切でユニークです。
この方針は、「島津家文書」の所でも、”花押”のデザイン解説にもみられまし
た。少し場違いと思う人もあるかもしれませんが、関心の薄い人にも興味を持ってもらえる新しい博物館の試みだと思います。
文禄の役の折の島津の活躍を誇示する虎狩の屏風絵もあり、丸に十の字の紋所が躍っていました。
島津家の由緒を記した「歴代亀鑑」。島津領内に滞在中の遣明使の接待を申し付ける足利義政の御内書。秀吉の掟書の、刀狩や、海賊禁止令といった国宝の文書が並んでいました。黒漆に島津の紋の入った大きな文書箱もどっしりと存在感があり、鎌倉時代から明治維新まで700年にわたって南九州を支配した島津家の貫禄を示しています。
存在感といえば、展示の中で、ベルギーの宣教師の設計によって作られた青銅製の大砲が、装飾用らしく細かな西欧風の文様装飾を施し、初めて目にする「美しい大砲」で、ひときわ眼を惹きました。(2枚目の画像)
島津斉彬着用の鎧は、縅の色も淡く上品で、手甲の黒漆に施された文様は繊細優美です。篤姫関係の展示には人が多くて、殆ど見ることができませんでした。人があまりいない、篤姫によって島津に齎されたと思われる江戸城大奥の見取り図に、大奥の規模の壮大を驚いて眺めていました。篤姫の養父となった近衛忠煕公の流麗な和歌の文字もありました。
いつになく早々に1時間半で切り上げ、都府楼の傍の喫茶店で遅い食事をして真っ直ぐ家路に就きました。見学以前に疲れてしまったのです。この駐車場の混雑は、不便な場所にある以上、なんとか工夫して解消して欲しいものですし、こういう状態であるのなら、何らかの方法で周知徹底を図るべきだと思ったことです。
写真は九州国立博物館の提供による
原作の宮尾本には薩摩の小松帯刀家老の若い頃の記載なく、別の本もあったのではないか?
脚本家が加えたのか?いよいよ、あのヘンテコナ岩倉具視の登場なんてご隠居さんとの井戸端会議でもこの話題はヒートアップ。
例年なら日曜日の夜はプロ野球観戦を楽しむ御爺ちゃんが、今年はこのドラマにハマッテいるとか。
と言う事で、駐車上満杯・館内鮨詰めもさりありなん。
視聴率を甘く見ておられた主宰にとっては想定外でしたか?お疲れ様。
島津家の発祥地は出水か?宮崎か?でもめていましたね。宮崎県からクレームを受けNHKは
ファジーな回答で逃げていましたが。拘るような事でもないでしょう。
ところで、篤姫さんの今後が興味深く。後4ヶ月の放映中に、帯刀・西郷・大久保の死を
見届けねばならなかった時の彼女の様子をどんなふうに描くのかな?。
そうそう、自分の役割は終わったとして、自分でケジメをつけた幾島さんのその後も気になりますね。
篤姫のアドバイザーとして続けて欲しかった。
一本勝ちに拘った女性の柔道金メダリストがいましたね、女の道は一本道を思い出す。
フレーフレー篤姫・頑張れ!
会場で見た篤姫の写真は、宮崎さんとはかけ離れていましたが、当時にしては体格のいいきりりとした薩摩おごじょでした。江戸城無血開城までの展開は楽しみです。
それにしても人が多くて、当初予定されていた”東京大学史料編纂所20万点の世界”のタイトルを「篤姫の時代」に変更した知恵者を尊敬します。「ものは言いよう」でした。
息抜きの気分転換のつもりが疲れてしまいました。
ブログルポにリンクさせていただいています。
前期と後期で2度足を運びました。1度目は
はじまったばかりの平日だったせいか人も
そこまで多くなかったですが、2度目は
ゆっくり観ることなど到底無理な状況。しかも
これ以上ないほどの大雨にたたられました。
島津家には昔からかなりの関心を抱いています
ので、楽しむことはできたと思っています。
駐車場。私は天満宮の駐車場に最初からとめる
という安全策を取りました。確かに便の悪い
立地条件なだけに何らかの対策は必要ではない
かと思いますね。
では、また寄らせていただきます。
はじめまして。様こそお越しくださいました。最初から天満宮の駐車場を選択なさる事情通から、九州の方と拝察します。
決められた時間を待つ空港なら、このくらいの時間は苦にしないのに、炎天下の未定の待時間にはイライラが募りますね。
前期と後期、二度もお運びというのは羨ましいことです。確かに九州の地でこれだけの島津文書をみることができるのは、私の生涯ではもう期待できないことですから、できれば二度行きたかったのですが。
「篤姫」にいびられました。
南九州の雄だけにとどまらず、幕末から明治にかけては日本のリーダー的存在だった薩摩です。残されたお台場の図面や、先進的な考え方や、積極性に、今の日本の状況を重ねてみて情けなくなります。
またのお越しをお待ちします。