「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

崩れる

2008年06月21日 | 塵界茫々
 このところ、かなりな頻度で地震がこの星を揺さぶっています。パキスタン。インドネシア・ジャワ沖地震に続く中国四川省の大地震です。
 悲惨な崩壊の現状が連日報道されていました。自然の持つ力の巨大を、畏れを抱いて傍観するのみです。

 阪神淡路の大震災の記憶もまだ鮮明に残る中で、新潟県中越沖地震が起こり、そして今回の岩手・宮城の内陸南部を震源とする地震です。
 14日の地震発生から、今日で1週間。「駒の湯」温泉の宿泊客、旅館関係者の方など生き埋めとなられた方たちの捜索が続いています。
 大きくえぐられた山肌、140mを超えて崩落した橋、土砂で塞き止められてできたダム湖などが映像を伴って報道され、二次災害も危惧されています。避難生活も、前途を思うと深刻なものがあるとお察ししています。

 この地震列島に暮らすからには、いつ何処で地震に遭遇するかわかりません。地震を経験したことのない人は少ないことでしょう。ここ福岡でも先般、予期しない地震の洗礼で、揺れる実感を充分に経験しました。
 「地震、雷、火事、親父」は古くから怖いものとされ、筆頭が地震です。4番目はとうに権威を失墜し、手押しポンプの時代とは異なり、普通の火災の拡大はかなり抑えられ、避雷針の効力もあります。残る地震のみは、予知すらままならない現状で、威力を見せ付けています。
 備えあっても、憂いはあり、今はいかんともしがたい状況です。
「なゐふる」と恐れたいにしえから、どれだけ人知は進歩したというのでしょう。

 この星の誕生ドラマを再現するかの、地の神の怒りが一日も早くおさまり、平安がいくらかでも戻ってくる日が訪れることを祈って止みません。




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4 コメント

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緊張と憂い ()
2008-06-22 10:23:02
 ふくべの中でにっこり! こんな可愛らしいのなら、手なずけて、平穏の大使にしたいけれど。 瓢箪で押さえても、大きな力になすすべもありません。 ニュースを見ても人ごとと思えず、被災地にはお見舞い申しあげます。

 動物の絵を描いたことがありません。愛情と遊び心の感じられる作品は、boa!さんの独擅場。心の大きさです。
余震より予震 (香HILL)
2008-06-22 22:30:40
世界の出来事は瞬時にテレビ映像で分かるようになってきましたが、
こんな大震災は吃驚するのみ、地震はその後に続く余震とやらがあってこれが被災地の方には
不安を与えますね。

大昔、小学生の頃、地震避難訓練ありましたね、サイレンが鳴ると机の下に入る。
校舎が倒壊しても、机の下なら空間ができて助かる者もいる・・、
大震災の報道であの訓練の意味がようやく分かりましたが。

学友の両親が神戸の地震で、自宅倒壊。親父さんは寝室の壁がぶっ壊れて庭に放り出されて
助かるも、母上はそのまま・・・。
当時、勤めていた会社の掲示板には、一人暮らしの老母を亡くした訃報が数件あり。
火葬場が満杯で通夜・葬儀どころではなかったと聞きました。

今回の被害には秘湯の温泉宿ありました、秘湯めぐりの旅にかげりがでてきましょうか?

とにかく、火山の大噴火のように前触れが
大地震の前にあればあればと思うのですが。

なまづを閉じ込めて (boa !)
2008-06-23 08:43:47
なまづを閉じ込めて
「夥し なまづが背負ふ日本国」雑俳 地底にいて大暴れして地震を起こすと
伝説されてきた大鯰を瓢箪に閉じ込めようとしたのですが。おさえきれませんでしたね。

雑俳でも詠まれているように、まさに、鯰に背負われて、その気まぐれに振り回され、為す術もない不甲斐なさ。宇宙の探査もですが、地中の探査も切実な現実問題です。

動物専科に切り替えましょうか。そのほうが好みでもありますので。ちょっとくすぐられるとすぐその気になるboa!です。なまづを閉じ込めて
「夥し なまづが背負ふ日本国」雑俳 地底にいて大暴れして地震を起こすと
伝説されてきた大鯰を瓢箪に閉じ込めようとしたのですが。おさえきれませんでしたね。

雑俳でも詠まれているように、まさに、鯰に背負われて、その気まぐれに振り回され、為す術もない不甲斐なさ。宇宙の探査もですが、地中の探査も切実な現実問題です。

動物専科に切り替えましょうか。そのほうが好みでもありますので。ちょっとくすぐられるとすぐその気になるboa!です。
阪神の地震 (boa !)
2008-06-23 10:09:49
香HILLさんも、身近で地震の悲劇を見聞なさったのですね。私も、友人の被災に胸を痛め、細々した台所道具や食器の類を少々送りました。今も脚の骨折の後遺症で不自由しているようです。それでも命を失った方々を思うと、幸せだったと思わねばなりませんね。

誰を恨みようもない突然の自然災害で亡くなった方々の無念を、そして残された人々の悲しみを推し量るのみです。

地震列島に乗っかっているからには、覚悟しておかねばならないのでしょうが、身に降りかかるまでは切実さがないのが生身の人間の悲しさです。