「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

動物愛護週間

2008年09月22日 | 塵界茫々
 今月20日から26日までは、毎年、動物愛護週間です。つまり秋のお彼岸の期間と重なっているのです。
 かつてはセパードにはじまって、コリー、ドーベルマンと、父の好みの犬が家族の一員として一緒に暮らしていましたが、死別の悲しみを経験する都度、もう嫌だと私が言い出しました。犬の姿がわが家から消えて三十年近い歳月が流れています。
 身一つが思い通りに仕切れなくなった年齢では、いくら好きでももう犬を飼うことはできません。飼われる犬のほうが迷惑です。
 食事の世話はできても、散歩や排泄の始末、ブラシかけなどはできそうにもありません。

 世の中には下のような不思議な間柄の“仲よし“もあるのです。政界にも存在するようですが。
 ずっと昔、子供が喜んで見ていたアニメにも”トムとジェリー”というのがありました。何時も流れていた歌は今も歌えます。

この画像は、前に香HILLさんから「役立たず」として配信されていたものです。


<六波羅密の猫>
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4 コメント

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漱石の猫 (香hill)
2008-09-23 20:40:46
”我輩は猫である。名前はまだ無い。”で有名な漱石家の猫が言ってました。

”元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。
少し人間より強いものがでてきていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するかわからない。”

そうですね、怖いのは地震・雷・ゲリラ豪雨・・だけ、イエイエ、他にもややこしいウイルス菌。
生態系の中で生きる我々人間は驕りを捨て、謙虚に・・・動物愛護週間に相応しい言葉でしょうか?

ところで、明治の頃、捕獲したネズミを役所に届けると小銭を貰える・・も、
漱石家の猫はネズミ一匹取らなかったとか。
普通なら”役立たず”で放り出されていたでしょうね。
そういえば、可愛い犬やお猿さん。人間が勝手に悪い代名詞(犬猿の仲)に使いはるのでお気の毒です。


お彼岸ですから (boa !)
2008-09-24 20:11:04
偶然ながら、今朝の朝日新聞の天声人語で、今年、9月がこの猫が死んで100年目の命日だったと、空前のペット・ブームと併せて 動物愛護週間の話題にしていました。

猫は鼠を取ることを忘れ、人は借金のあることを忘れると草枕にあったのは、春の季節のことでしたか。
鼠を獲らないでも、あの猫は達観していました。最後の所では、すでに「彼岸」に到達し、ミレイの描く
オフェリア同様の死に方で。
並みの人間にはできそうもない境地です。

鼠をいくら獲っても、報奨金は車屋の手に入るだけ。黒は、格別のご馳走にもありつけないのは、どこか今の人間社会の仕組みを思わせます。

この画像の猫のような「和顔施」を心掛けたいものです。せめてお彼岸の間だけも
ねずみ? ()
2008-09-29 16:15:33
 boa!さんの コメントもぴったりですね。かわいくて 微笑ましくて 心が和みました。今日は一日中雨。しばらく秋晴れは望めそうもありません。
なかよし (boa !)
2008-09-29 16:47:27
世の中にはこんな間柄も存在するのですね。
近所の人には、義母と私が実の親子で、夫は入り婿と思われていましたから、この猫と鼠の関係も納得します。母が賢かったのです。
九州も今日は一日中雨です。
明日は台風がかすめて行きそうですが、すでに力は弱くなっているようです。
政局に歩調を合わせて、夏から秋への移り変わりが突然で、戸惑ってしまいます。体調を崩されませんように。お大事に。