「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

寺山修司の海

2008年06月23日 | 歌びとたち
 今年は寺山修司が亡くなって25年になります。「職業は寺山修司です。」と名乗ったように、晩年の演劇実験としての「天井桟敷」の主宰をはじめ、文芸のあらゆる分野に、詩、短歌、俳句、小説、エッセー、評論と、幅広く活動して、47歳の生涯を駆け抜けた寺山です。若者のカリスマ的存在だった寺山は、人によってさまざまな像でとらえられるのは当然ですが、私の中では寺山はいつもマリンブルーのイメージと結びついて浮かんできます。

あの代表作の
   マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
にも、そしてカルメン。マキによって歌われて大ヒットとなった”時には母のない子のように”の歌詞にも「だまって海をみつめていたい」と歌われていました。

 学生運動が盛んだった時代、「身捨つるほどの祖国はありや」ありやしない。と反語で言い切る寺山の目に宿る霧の海も、だまって見つめる海も、日常報告的な、あるいは、花鳥諷詠のスケッ風俳句とは異質の、もっと奧にあるものを見据える思いがうたわれます。

 17歳で高校生俳句会議を主催し、青春の日にのめりこんだ彼の俳句にしばしば登場するのが「青い海」です。

   海に星振りし帽子をかぶり直す
   冬の葬出て望遠鏡に海のこる
   胡桃割る閉じても地図の海青し
   鉛筆で指す海青し卒業歌

 彼が未来を見るとき、踏み出そうとする時には、そこには決まって青い海が詠われているようです。
   軒燕古書売りし日は海へ行く (われに五月を)
 大事な古書を売り払わねばならないほどの貧困があったとは考えにくいにしても、「現実よりもあるべき現実」を尊重し構築する寺山にとって、どうやら海は原風景であり、マリンブルーは彼の青春の色そのもので、そこへ回帰するための海だったと思えるのです。
 梅雨の晴れ間のこの季節には、勝手な自分のイメージの寺山を思い出します。

  


写真は日向岬のクルスの海です。
 

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2 コメント

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本物 ()
2008-06-25 10:28:15
 寺山修司… 前衛、アングラ、振り返れば、全く遠い所にいました。唐十郎、横尾忠則など見ませんでした。

 絵を描くようになって、価値観がだいぶ変わり、良いものは良い、表現に貴賤がないことも判ります。
「花鳥諷詠のスケッチ風俳句とは異質の、もっと奧にあるものを見据える思い」あらためて辿る勇気もでました。ありがとうございます。

 86才で現代詩を読むという男性に劣らず、boa!さんの嗜好もまた幅広く奥深い。
 クルスの海は 寺山修司のマリンブルーを実感します。写真もいいです。
 
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大海 (香HILL)
2008-06-26 20:51:05
先日テレビで有名なピアニスト(グレン・グールド)が演奏したバッハのゴールドベルグ変奏曲に関して、解説あり。
同じ曲でも若い頃の激しい演奏と晩年の静かな演奏の対比に触れていました。
閑話休題。本題から逸れているんとチャウ?失礼しました。

主題が”海”でしたね。何かの本で、ベートベンがバッハを”小川・バッハではなく大海・メール”と称えていた云々を思い出した次第。
果てしなく広く深い海も、少し暴れると大きな船も横波を受けて沈没。
山も海も怖いですね。

我々人間はマリーンブルーの海のように静かに笑顔を絶やさぬようにありたいですな。
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