MIHOミュージアムで、与謝蕪村―翔けめぐる創意―と題した特別展が(3月15日から6月8日まで))開催されています。
青春の日、萩原朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」に出会って以来、蕪村への傾斜は年を重ねても、ますます強くなっています。
ブログでもよく蕪村にお出まし願っていますが、これは別所沼だよりの蛙さんや、雪月花さんなどに教えていただく新しい蕪村関係の書物に触発されることも多いせいです。(ブックマークより)
「道路に死なん、これ天の命なり」とまで、求める一筋の道に繋がり、野ざらしの己が姿を想い浮かべながら、身にしむ風の中を、留まることなく突き進む芭蕉の厳しさとは異なり、蕪村の場合、肩が凝らずにその洒脱を楽しめます。絵と俳句の二筋道を悠々と生きたようにも思えます。王朝趣味も私の好みです。
妹の都合もあって、旅程を前倒しにして、25日に出かけることになりました。
MIHOは本当に不便な所にあります。琵琶湖線の石山寺からバスに乗り換えて約1時間の山の中に忽然と現れるのです。今回も奈良に住む妹に、車の世話になることにしました。
信楽の狸たちの出迎えを受けるのは27日か28日の予定です。
月が改まりましたら、ご報告をいたします。ブログは明日より1週間のお休みです。
かりぎぬ(狩衣)の
袖のうら這ふ
ほたるかな
蕪村
楽しんできてください。
折りしも、新聞で報じられたように、出土の木簡に万葉集の歌が記されているのが初めて確認された紫香楽宮跡で、5日間に限り、一般公開されているのに丁度重なりましたので、そちらに行くことにしました。
興奮のひとときでした。いづれ、状況をご報告します。気兼ねなく動ける分、欲張りの強行軍になって、さすがに疲れました。気持ちのようには体がついていかないのだと、しみじみ悟りました。
今週の短歌、”人は いさ 心も知らず・・・”紀貫之ですが、小生は主宰の御心を十分に分かります。
蕪村サポーターを自称されるだけあって、展示品の内容・背景を熟知した上での本物との再会。一作品一作品を丹念に味わう。
小生のようなミーハーには到底、不可能ですね。
会場の中央部に椅子などあれば、座って鑑賞もできましょうが、立ち見の連続は大変。
入梅前のこの時期でも爽やかな数日に恵まれたのは、日頃の行いの良さだったのかな?
”余年の楽事 最も関心(身)”なる蘇先生の詩を連想しました。
しあけんども、好きな事をなされた後で”疲れた・・”の発言はいただけません。特に身近な方には聞こえないように・・。
ご隠居さん、ゴルフをして帰宅後、腰が・・膝が・・なんてボヤイていたら、
奥様から”もうゴルフお止めになっては?”なんて事例がありますよって。
久しぶりのコメント、冴えがありませんでご免。
呆れ顔をされるまで土産話に熱中して、「よかったね」と一言でした。勿論「疲れた」は言えないのですが、充分解っていることでしょう。
留守の埋め合わせに、日ごろの手抜きをやめて、丁寧に食事の支度をしています。これでいいでしょうか?
MIHOは、行き届いていて、広々とした会場の各室には、ゆったりしたソファーが置いてあり、作品に見とれたりメモをとったりするのに、ほかの人の邪魔にならない配慮がされています。
常の蕪村展とは異なり、俳句関係の資料、手紙の類も多数展示されており、MIHO以外に巡回しないのが惜しまれます。
蕪村が、芭蕉の句を「我ための摩呵止観ともいふべし」といった言をそのまま私は蕪村へ捧げます。
句も、絵も、そして文字までも「蕪村」でした。