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五月晴れの好天に、小倉で所用があるから、ついでに門司港の出光美術館まで足を延ばさないかと、運転手に御用の声がかかりました。
“水墨画の巨匠たち”と題した展覧会が、後期の展示替えになっているのに気づき、折角のお誘いなので出かけることにしました。
土曜日で、いつもよりは人が多かったようです。サブタイトルにいうように、「雪舟・長谷川等伯から富岡鉄斎まで」、ほかにも、浦上玉堂、谷文晁、田能村竹田、宮本武蔵、狩野元信、俵屋宗達、おまけが、博多の代表、仙和尚の小品3点で、端渓の硯、翡翠の筆洗といった文房具なども出ていました。
宗達の虎と龍を描く双幅は、墨一色の世界でも圧巻です。虎が上から下を大きな目玉でにらみ、龍のほうが下から上を仰ぐ逆転の配置も面白く、表情が独特の親しみやすさです。よくみると、たらしこみの技法もなかなか細やかな配慮がありました。(チラシの右下)もう1枚の小品「神農」は、異容の風貌を、見慣れた宗達とは異なる繊細な表現で描きこんでいました。谷文晁の大幅も大胆な斜めの白地を残した風雨の表現が印象に残ります。
鉄斎の豪放な、「居無如静図」「高士弾琴図」竹田の線描の菊、等伯の竹に鶴を配した屏風絵の余白の訴える力など、学ぶところが多い小さな展覧会でした。
例によって、鑑賞の緊張を、会場の仙和尚の小品、蛙、や、田植え歌がほぐしてくれました。招待券をくださった朝日新聞さんに感謝です。
宗達の虎はここから。
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たらしこみも思いを膨らませ、創造以上に想像できました。
世の中全て想像でしょうか。 絵を描くのも、手紙を書くのも、人とつきあうにも。 ましてblogでは、お顔が見えないだけに大いに想像力を働かせています。 失礼の無いように。
と、言いつつ お昼時にお邪魔してしまいました。ごちそうさまでした。
米法山水も、画家によって手法に大きな違いがあります。
それにしても、個々の作品の持つ個性が訴える迫力はたいしたものです。
本物はやはり時代を超えて迫ります。
鉄斎の豪放に憧れても、人間の器が違うからには、憧れは、所詮、できない相談だからの憧れです。
自分の、線に凭れ、色で何とかごまかす浅ましさを突きつけられた感じでした。いつもいわれる「思いっきり」の覚悟を強いられたようです。
九份と淡水、どちらも郷愁に似た情感に浸らせてくれました。いい旅でした。
お昼時でも、夕食時でもかまいません。いつも門はあいていますので。