「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

乾山の器

2007年12月09日 | 絵とやきもの

 先週NHKの日曜美術館では、「乾山の芸術と光琳」(東京出光美術館・12月16日まで)を取り上げていました。
 乾山(ケンザン)の評価が最近、より大きく揚がってきているのは、乾山好きにはうれしいことです。
 ”目で味わう懐石料理の精髄をあらわす器としての元祖”、と紹介されていました。

 雁金屋(かりがねや)という、上流社会それも天皇家や将軍家御用達の呉服商といった家に生まれ、最先端の流行に日常的に接する中で自然に身に付いた、洗練された審美眼と、教養です。
 兄光琳の思いっきりのいい派手な性格とは逆に、乾山は内省的な性格で、深省の名乗りが示すように、多くの書物に親しんで、幅広い教養を育んでいったようです。
 豊かな財力が、すぐれた参照品を手元に置くことを可能にし、目指した陶工たちを工房に招くことで、多様な様式を自在に工夫することもできたと思います。
 一つには元禄時代という、町人が文化をリードした爛熟の時代背景が生み出した斬新な形であり、色絵でもあったと考えます。
 それは、今回の立命館大学考古学教室がおこなった鳴滝・乾山焼窯跡の発掘調査の陶片の示す多様からも充分に窺えます。
 何よりも形の独創性が目を惹きます。今までになかった、花や、葉の形を取り入れ、見た目にも愉しめる造形の装飾性は、王朝趣味の文学性も併せて、新しい京焼きを模索したものでしょう。

 この乾山の器がまずあって、「美し(うまし・うるはし)乾山 四季彩采」が先年の料理本世界コンクール(グルマン・ワールド・クックブック・アワード写真部門)での最優秀賞受賞となったのだと思います。
 供される料理を目でも賞味し、食べおわった後の器がまた話題を提供する交流の場の”遊び”を考慮したゆとりが、器から作品へ昇華します。

十二ヶ月和歌花鳥図なども、表の花鳥に、裏返したときの和歌と、意外性は話題を誘ったことは充分想像されます。絵画でのモチーフを陶器に持ち込み、絵画ではなしえない裏をも利用するのは、京の町衆の心意気からでしょう。

 現代の科学は、低温の素焼きの上に絵を描き、その上から釉薬をかける釉下色絵の仕組みを、実験で見せていました。低温度での焼成の素焼きが絵の具を吸うため、たらし込みもきれいに出ていました。

 乾山好きだからとプレゼントしてくださった図録を丹念にたどりながら、今回の展覧会の準備の周到と、初めて目にする発掘の陶片などから、あらためて試作された技法の多様に驚きます。

 出光は、福岡県が出自のはずですが、こうした規模での展覧会が九州で催されないのを残念に思っています。




画像上 銹絵染付金銀白彩松波文蓋物 重文
粗い陶土の焼きしめ。デザイン化した松がモダン。土味が砂浜を思わせます。
半筒形碗 23,4×23,8
  
    中 銹絵染付梅図茶碗
伸びやかに引かれた幹の線と、たっぷりした梅の花のたらしこみ、琳派らしい好きな絵柄です。     7,8×10,2

下 銹絵百合形向付
ざっくりした、柔らか味が感じられます。花弁の重なりにかすかに段差が見られます。    有名な図柄で、後世多くの陶工たちの本歌になっています