「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

忌み詞

2006年02月27日 | ああ!日本語
 三月越し(みつきごし)を忌むこの地方の習慣があって、1月末に死去した母の五七日に当たる今日、三十五日で、忌明け法要を行いました。
 ただし、納骨は四十九日が過ぎてですので、七日ごとの仏事は依然変わりなく行います。
 なんでも、不幸ごとが「身に付く」と語呂合わせしての忌避のようです。
 
 そこで忌み詞を考えてみた次第です。辞書によれば、”宗教上の理由、または不吉な意味を連想させる発音によって、使うのを嫌う言葉”とあります。
 梨が”無し“に通じるので、有りの実、すり鉢が縁起をかついで当たり鉢、葦を、悪しへの連想から「よし」と言い換えることも行われて、かなり一般化しているようです。
 婚礼の場で、帰る,去るなどは明らかに忌み詞として、普通は「おひらき」と言ういい方がなされます。

 女房言葉も、そのものを直接あからさまに指すのを避けるところからのものでしょう。広い意味での忌み詞かもしれません。豆腐は「おかべ」田楽は「おでん」杓子は「しゃもじ」浴衣は「ゆもじ」たこが「たもじ」と言った類もあり、「言霊の幸わう国」は言葉の文化も豊かです。

 ともあれ、縁者が集まっての法要の後、魚庵千畳敷で、懐石料理をいただきながら、にぎやかに古人を偲んで話がはずみました。海を見晴らすロケーションもさることながら、折りしも魚庵の梅園の梅が八分咲きの見ごろで、眼もご馳走になりました。

 

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