「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

検査入院

2006年02月07日 | 塵界茫々

 母の最後を一緒に看取った妹が、体調をくずして1日から検査入院になり、まだ検査が続いています。
 気落ちと見届けた安心とのない交ぜで、以前から胆石があるからと口にしていた痛みがひどくなったようです。
 どうも胆石の痛みとは違うのではないかという医師の診断で急遽検査入院が決まりました。いろいろな検査が行われていますが結果はまだ出ません。大事無いことを祈るのみです。

 母の終焉の日のことをまざまざと思い出します。血圧が異常に低いと連絡があり、病院に駆けつけて以来、妹と交替で病院に詰めていました。
 一切の延命処置をお断りした連れ合いと妹は、終焉のときが近づいているのを覚悟していました。
 主治医は、もはや手足の何処からも点滴は不可能になったから、鼻からか、あるいは胃に穴を開けて直接に流動栄養を注入する他はない、とおっしゃいました。最後まで意識がはっきりしていた母は、『もう勘弁してください』と繰り返していましたが、命のある人に食事を与えるのは人道上の責務だからといわれれば、最終的には「お任せします」とよりは言いようもありません。こうして鼻から細い管が差し込まれました。

 その数時間の後、枕元の妹が、「私がわかる?」と聞くとかすかに目元がうなずきました。つぎに連れ合いの手をにぎり、微笑んだようでした。
 妹が「姉さんの名前を呼んでる」というので、替わって顔を近づけると、かすかに「あり・・・」の形に口が動き、握った手に力がつたわりました。
 そのあとは昏睡状態でした。単純な私は、最後の最後に私の名前を呼んで「ありがとう」をいってくれたことにただただ感激してしまいました。
 それにしても見事な明治生まれの筋の通しようだったと、今にして思います。
 
 昨日は、二七日で、菩提寺のご住職の読経に和して供養しました。母の好きだった梅はまだ花を開きません。