「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

ヨモツヒラサカ スミレサク

2006年02月21日 | 歌びとたち
 昨日の朝日新聞俳壇選者のお名前に、川崎展宏さんの名が、稲垣汀子さんや金子兜太さんらと並んで出ていました。その選句の2番目が「冬すみれベンチの下は乾きおり」でした。
 
 かつての日、上野さち子さんの文集で、この方の句を知り、強い印象を受けたことを思い起こしました。
  「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク
「ヨモツヒラサカ スミレサク」は、沈没した戦艦「大和」より打電された電信文の形をとっています。あの世へ至る黄泉平坂には菫が咲いていますという報告文です。

 年若くして祖国のため、愛するもののため戦場に赴き、その命を散らしていった死者の悲しみは、そのまま残された者の紛らわしようのない痛恨のおもい、深い悼みでもあります。濃い紫の菫にこめる作者の嘆きをみました。

 川崎展宏さんは,戦局の切迫した折、胸を病んで,戦列に加わることができず、友人知己の死を迎えたと聞けば、この鎮魂の句もまた違った味わいを持ってきます。
 「大和」の乗組員3300余名、生存者200余名。殆どが10代半ばから20代の若者たちでした。

 戦後60年、映画「男たちの大和」はロングランが決まり、年齢を超えて多くの人に感動を与え続けているようです。
 「大和」の原寸大のロケセットは、その誕生の地、呉と同じ県内の尾道に今も公開され、人気のようです。