「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

立春の朝

2006年02月04日 | 歌びとたち
 春立つ今日の風が、氷をとかすと詠んだのは貫之でしたが、窓の外は一面の雪の白梅が咲いています。

 季節の異常に、昨日も驚いたことでした。庭の梅の古木は、まだ固い蕾のままなのに、その根元に植えられている馬酔木はもう、一・二輪釣鐘状の花をつけていました。蕗の薹の立ちも、椿も今年は遅れています。

 長年、短歌に関わっている友人から弔問の歌が送られてきました。

   つくづくと憂いにこもる人あらむこのきさらぎの白梅のはな  茂吉
、今のあなたにはこの歌の方が   としたためてありました。

 そういえば、斉藤茂吉には六十首近い「死にたまふ母」と題した「赤光」の絶唱の秀歌があったことを思い出して歌集を開いてみました。

   みちのくの母のいのちを一目みん一目みんとぞただにいそげる

   寄り添える吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば

  死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる

  のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

 言い足すことは何もありません。