転がり坂

登りつめたわけでもないのに、そろそろ下山したくなってきた。

保存されたラブメール

2014-06-27 00:47:56 | 日記

「梅雨に濡れ送る宛なきこのメール」牧童

伊豆高原に向かっていた。僕の前に若いカップルが座った。車中、ずっと言葉を交わさず、携帯を凝視していた。楽しそうな雰囲気が伝わって来ず、僕には異様なカップルとしか思えなかった。この間、僕が何をしていたかというと、勿論、いつものように携帯を握りしめていた。僕だって携帯中毒なのだからしかたない。

女と話すのは苦手だが、メールだと恥じらいもなく、口説き文句が浮かんでくる。不思議なことに、携帯を手にすると、妙に恋愛感情が高まってくる。車中や人混みの中でも携帯さえ手にすれば、瞬く間に僕の周囲は壁で覆われ、孤独で自由な、まるでトイレに閉じこもっているような感覚になれるのだ。

僕はトイレが好きで、便座に長時間座り、携帯を持ち込みメールを書いている。携帯片手に便座に座ってラブメールを書いている時がいちばん自由で至福な時となる。

トイレに籠らなくても、集団の中でも携帯があれば周囲の目が気にならなくなる。携帯さえ手にしていれば誰からも愛されていない寂しい奴だとは思われないだろう。二人して携帯を見つめていれば隣の女の機嫌をとるための会話も必要ない。

携帯であらゆる世界とつながることができる反面、携帯は核シェルターのように外部との交流を遮断してくれる。これって快感だ。

また小雨が降り出した。雨に濡れながら、今朝、トイレで書き上げたラブメールを読み返す。なかなかの出来栄えだった。はて、さて……このメール、誰に送信しようか?

送る相手が見つからないまま、このメールは携帯の奥底に保存された。

鬱的な日々

2014-06-13 04:59:26 | 日記
「あれやこれなおせぬままに初夏の風」牧童

実は今の僕は鬱期にいる。特に外因があるわけではなく、周期的な鬱だ。この期間は書く意欲、書く喜びが激減してしまう。言葉が浮かんでこない。浮かんでも陰気な言葉が先に多く出てくる。例えば「あ」で思い付く言葉、いつもは明るい、暖かい、愛する貴女とあの日あの時なのだが、鬱期になると、あきらめ、哀愁、愛憎、浅はか、あほ、悪魔などしか思い浮かばなくなってしまう。

もうすぐ夏だというのに、部屋の片隅に薄汚れたコートがまだかけられたままになっている。寒かった季節にずっと着続けたコートだ。見るからに薄汚れている。部屋に戻るたびに気になる。気にしながら、ながめるだけで日が過ぎていく。

冬になればまた着るのだろうか?
そろそろ新しいコートを買おうか。
それまで僕は生きているのかな。

今度の日曜にはやはりクリーニングに出そう。

小さな死

2014-06-12 00:17:36 | 日記

「また家に帰れぬ夜更け梅雨寒し」牧童

貧乏暮らしの僕は昼食の金を惜しみ、小銭で酒を飲む。最初は軽くと思いながら、もう一杯もう一杯と安酒を飲み続け、いつの間にか限度を越してしまう。
電車に乗った途端、意識を失い、高鼾で乗り過ごす。とんでもない駅で降ろされ、しかも帰りの終電車が出てしまった後に取り残されてしまう。
朝まで飲み明したり、オールナイト映画やサウナ、野宿や徹夜徘徊など、今までに何度となく帰れぬ夜を過ごしてきたのだが、老いゆく身体にはこの苦行も辛く、飲み代よりはるかに高いタクシー代を払うことになる。実に馬鹿馬鹿しい。けどまた繰返す。
最近、特にひどくなり、少量の酒でもすぐに意識を失い、深い眠りについてしまう。

性行為の後もそうだ。
性行為の後、男も女も短いけれど深い完璧な眠りに落ちることがある。
これをフランスでは「小さな死」というそうだ。この眠りから先に目覚めるのは、どうやら男のほうが多いらしい。ところが僕の場合は大概女のほうが先に目が覚めている。
「小さな死」に加えて、酒を飲んでいるから眠りが深くなり、「中くらいの死」の世界を漂いながら鼾をかくから、隣の女はたまらず目が覚めてしまうようだ。

いずれ「大きな死」がやってくれば鼾もかかなくなるだろう。

贅沢な笑顔

2014-06-08 18:08:51 | 日記
「初夏なのに笑えぬままに日が暮れて」牧童

一日に
たった一回でいい
笑顔になれる
ひと時がほしい

たったこれだけの願いなのに
どうしてなんだろう

手が届かない贅沢


「梅雨入りや茶漬け食う音部屋一人」牧童

無性に書きたくなったり、書く気力が湧いてこなかったりを繰り返している。
若い頃にも気分の浮き沈みはあった。若い頃は躁と鬱との段差が激しく、しかも急激に変化していた。書かずにはいられない衝動に襲われたかと思えば、数分後には無気力になり、うずくまっていると、また走りだしたくなる。これを一日24時間の間に何度も繰返していた。

老いはじめた今でも躁鬱はやってくるのだが、高揚期と停滞期との格差が少なくなり、周囲には気付かれず、日々変わりばえしない存在となっている。こまめに急変することもなく、無気力状態がだらだらと続き、なんとなく元気が出そうかなと思うと、まただらだらと鬱陶しい月と日が流れていく。

鬱陶しくても腹はへる。そろそろ茶漬けでも食べよう。
茶漬けといっても熱いお茶ではなく、ご飯に氷と水をぶっかけて、キムチでかっ込む。これがたまらなく美味いのだ。

酒飲みの僕はあまり米を食べない。つまみと酒で済すことが多い。それでも時々は米が食べたくなる。毎日炊くのは面倒だからまとめて炊く。そして冷や飯に水をかけてかっ込むのだ。冷や飯はインスタントラーメンのように固まっている塊にそのまま水をかけて食べていた。
ある雑誌に冷や飯で茶漬けをする場合、ご飯を水で洗い、塊をほぐし、ぬめりをとりましょうと書いてあった。さっそく試してみると確かに美味くなる。ちょっとした工夫と手間をかけるだけで差がでる。

人生も然りだ。

手間をかけるといっても水洗いするだけのこと。たまには涙で心を洗えば人生も旨味が増すかもしれない。




首振り散歩

2014-05-25 17:34:55 | 日記
「首白き君の向こうにツツジ燃ゆ」牧童

ツツジがあちらこちらで咲いている。刈り揃えられたツツジは単なる色に過ぎない。ところが美しい女が加わるとツツジは燃えるように花としての輝きを増してくる。

日本の女はうなじが美しい。和服や所作などから醸し出される美しさなのだろう。
動きがなければ、うなじもつまらない存在だ。色気は体の微妙な動きから生まれる。風にうまく乗って、誰かに寄り添うように歩けたら、自然と美しい動きになっていく。

歩き方が下手な人が多い。粋な歩き方ができない。だからキスも下手だ。だからリズムにも乗れない。

よし、今日は風に上手く乗り、ゆらりゆらりと揺れながら散歩をしてみよう。一日、大地のリズムを感じながら歩いてみよう。あの女のように。あの時のキスを思い浮かべながら。

僕はMかな?

2014-05-25 17:31:58 | 日記
「柏餅いくつ食おうか悩む腹」牧童

僕はスポーツが嫌いだ。こんな僕がメタボ体型にならなかったのはエアロを続けてきたからだ。

美人イントラとの出会いが僕の人生を変えた。彼女によって自分の意志で体を動かし、汗を流す心地よさを知った。

当初、トレパンにTシャツ姿だった。そんな僕に対し、最新流行のウェアを身につけるよう彼女は命じた。スキーが全くできない人に超一流選手並のかっこをさせるようなものだ。最初、周囲はベテランだと思う。ところが、ぶざまに転ぶ姿を見て大笑いする。そんな恥ずかしいマネはできないと断ったのだが、彼女は執拗に勧めた。

・ファッションに投資すれば、もったいないと思い、続けようとする。
・周囲の視線を意識するようになり、向上心が出てくる。
・鏡に写る自分の姿を見て、醜い部分を改造したくなる。
・とにかく楽しくなるから。
という理由だった。

僕はあきらめ、彼女の命令に従い、靴とウェアを買い揃えた。ス-ツやビジネスシュ-ズより高かった。
エアロ用のファッションは肉体のラインがはっきりと出てしまう。ぴったりしたスパッツをはくと、腹が目立った。

次に彼女は肉体改造を命じた。
エアロは体型がきれいだと楽しくなる。しかしエアロだけでは体型は変わらないから筋トレをしないと駄目だそうだ。「はい、何でもやります」と筋トレをはじめた。以来、僕は筋トレを実行し、ある程度、筋肉がつき、体脂肪率も少なくなった。

エアロは楽しかったけど、腰痛や手足の関節痛に何度も悩まされ続けてきた。特に膝を痛めており、膝に溜まった水を抜いたり、ヒアルロン酸を注入しながらもエアロを続けてきた。ところが最近、膝の痛みが激しくなり、ずっと痛みが取れない。五月の連休にエアロを全くできなかったのは今年が初めてだ。
医師からは激しい運動はもうやめたほうがいいと言われてしまった。これ以上、膝に負担をかけてはいけないと。

でもさ軽い運動なんて気持ちよくないよね。痛みがとれたら、もう一度やってみよう。もう少し無理したっていいよね。だって楽しいからね。



ハードからハーフへ

2014-05-18 11:42:01 | 日記
「去年より量少なめに柏餅」牧童

柏餅を買う量が年々減ってきた。子供が小さかった頃、家族と暮らしていた頃は柏餅が大皿に山積みされていた。

僕は酒も好きだが、甘い物も大好物で止められない。今でもかなりの量を食べてはいる。
柏餅はあまり好きではない。葉ばかりがやたら大きく、見るからに粗野な感じがするし、桜餅のように葉を食べれない。でも5月5日は別だ。やはり柏餅が食いたくなる。

みそ(桃色)、こし餡(白)、つぶ餡(緑)のどれを選ぶかなどと野暮なことを言ってはいけない。みんな食べよう。1個だと物足りないから2個食う。美味い美味いと計6個食べるのが僕の子供の日の過ごし方だった。

今年は柏餅をコンビニで買った。三個入りパックで三種類売っていた。一個ずつ三種類入っているパックがあればいいのになと思いながら、三種類買うのは躊躇し、つぶ餡だけ買って三個食べた。味噌餡、こし餡を食べなかったから物足りなさを感じたけど、量的には三個でも多すぎなのだろう。

グレープフルーツや林檎を毎朝一個ずつ食べている。食べながら、これも半分でいいのかもしれないなと思うようになった。一個まるごと食べてしまうのは単なる習慣であり、惰性であり、欲求があるわけでもないし、必要量でもないようだ。

そうだ。これからは「ハードからハーフへ」だ。

愛も憎しみもハードからハーフにしよう。それがきっと僕にとって心地よい適量の愛と憎しみになるような気がする。

生活習慣、変えたくないのに

2014-05-15 05:43:10 | 日記
「腹まわり増えて見上げる若葉かな」牧童

メタボだ、生活習慣病だなどと病気になる要因を自己責任に求めるようになった。病気になるのは生活習慣が悪いからだという。ならば健康に生きるための生活習慣とは、そもそもどんな習慣をいうのだろうか。

例えば牛乳やヨ-グルト、チ-ズが体によいのか悪いのかさえ真実はわからない。乳製品は骨粗鬆症や高血圧、大腸癌の予防に有効だとする反面、前立腺癌や乳癌の発症率が増えるとも言われている。
僕は子供の頃から牛乳をよく飲んできた。チ-ズもヨ-グルトもよく食べてきた。好物なのだ。その結果、僕の身体がどうなったのかは今のところわからない。死ぬまでわからないだろう。

健康法を実践したり、生活習慣を是正しても、生命の本質はあまり変わらないのではないかと僕は思っている。生活習慣が正しくても病気になったり、寿命が短い人もいれば、不摂生していても病気にならずに長生きする人もいる。すでにDNAにインプットされている寿命で決まるのだろう。

健康を意識した時から病が始まっている。自分らしく生きて、死ねばいいのに。

僕は酒量が減った。夜、寝るのが早くなり、朝早くに起きるようになった。生活習慣を改めたわけではなく、体が勝手にそうなってしまっただけなのだ。朝まで酒と女を楽しむ生活習慣を変えたくはなかったのに。

無口な僕

2014-05-09 05:45:28 | 日記
「語り合う人・時減りて暮の春」牧童

誰とも会わず、一言も発しないまま一日が終わった。
やらなければならないこともなく、眠れもしない。やりたいことも何ひとつ想い浮かばず、食う気も飲む気も起こらない。一日がすごく長く感じる。
老後はこんな生活が増えていくのだろうか。
こんな生活をしていたら…

こんな生活になれてしまうのかな。
六十代の一人暮し、みんなどうしているのかな。

連休になると家族が恋しくなる。
自分で飛び出したくせに。

コンビニで買った粒餡の柏餅を一つ缶ビールで流し込む。今年も漉し餡、味噌餡の柏餅は食べずに終わりそうだ。

甘い囁き

2014-05-06 22:30:21 | 日記
「夏みかんあのすっぱさが懐かしい」牧童

僕は果物が好きだ。
高級フル-ツとは無縁で、果物は安いものだというイメージが焼きついている。だから一個百円以上の果物は買う気にはなれなかった。最近、やっと一個二百円以下に格上げした。それでもケ-キや酒から見ればはるかに安い。

冬の定番は温州みかん。冬場の喉の渇きに実に美味である。ところが春になるとまずくなり、食べたくなくなる。籠の中でひからびたり、黴たりしてくる。すると伊予柑や八朔などが登場し、酸味が強い夏みかんへと移行していく。
子供の頃の夏みかんは凄まじいまでにすっぱかった。口に入れると顔が歪んだ。父は夏みかんの皮を母がむきはじめると逃げ出してしまった。砂糖や塩や重曹を付けたり、潰して砂糖と牛乳をかけて食べていた。
ゴツゴツした顔の夏みかんが今の市場から消えてしまった。あのすっぱさでは買う人がいないだろう。

僕は、はるか(春香)という品種が好きだ。日向夏とサマ-オレンジの突然変異種らしい。果肉がプルンプルンしていて、甘くて美味しい。見た目はレモンや夏みかんのように黄色い。見た目にはすっぱそうなので最初は売れなかったそうだ。

人も果物も見た目で判断されてしまうようだ。
アメリカの心理学者のアルバ-ト・マレ-ビアン博士は人が他人から受け取る情報は
〇顔の表情が55%
〇声の質、大きさ、テンポが38%
〇話す言葉の内容はわずか7%に過ぎないという。まさに人は見た目が9割なのだ。
ところがネットでの人間関係は見た目の情報が希薄であり、書く内容で評価される。つまり人相が悪い僕にとってネットはありがたいコミュニケーションツ-ルなのだ。顔や声を気にせずに、甘い言葉を囁くことができる。

早すぎる女

2014-05-05 06:04:10 | 日記
「一年中食ってる気がして初鰹」牧童

「目に青葉山ほととぎす初鰹」
季語を羅列しただけのこの俳句、なぜかいい。初夏の躍動感が伝わって来て、僕も溌剌となり初鰹で一杯やりたくなる。
五月に生まれたせいか、僕は五月が好きだ。子供の頃、誕生日になると苺と出会えるのがうれしかった。
この季節になると初鰹も姿を現す。初物を食べると長生きするぞと教えられ、初鰹、初鰹と喜ぶ両親を見ながら一切れ食べる。子供の口にはその美味さはわからなかったが、それでもうれしかった。成人し、緑の風の中で厚めに切った初鰹を口に投げ込み、冷や酒を飲み干すと大人になった自分と出会えたような気がして、それだけで笑みがこぼれた。
いつの間にか初鰹より下り鰹のほうが美味いと言われ出し、秋に食い、今では一年中、鰹を食べているような気がする。
外では桜が散り、ツツジが咲き、夏は暑く、冬は寒い。日本にはまだ四季が残っているのに食べ物の旬がどんどん消えていく。
苺の最盛期がクリスマスの頃になり、もうすでにスーパーではスイカが売られている。

まだ早い!と僕は思う。

久しぶりに会えた女とラブホに向かった。彼女と会える日を心待ちにしていた僕ははやる気持ちを抑え、冷静を装い、ロックウィスキーを口の中で楽しむ。僕は待つことが好きだ。待つことが楽しい。今まで待たされた想いを味わいながら、ウィスキーをつぎたす。
女は一人先にシャワーを浴び、全裸でベッドに潜りこんだ。
まだまだ早すぎる、楽しみはもう少し後に残しておきたい。
女が手招きで僕を呼んでいる。

まるで旬にはまだ早すぎるのに登場してくる食べ物のような気がした。

それで?
もちろん彼女にすぐ飛びついたよ。

白で黒星

2014-05-03 02:36:42 | 日記
「目に青葉シミを恐れて籠る妻」牧童

夫「いい天気だ!ばあさん、散歩にでも行きませんか?」
妻「初夏は紫外線が強くて、シミになるから嫌だよ」
夫「じゃ一人で行ってくるよ(何がシミだ!紫外線だ!シミ、シワくちゃババァのくせしゃがって)」
妻「いってらっしゃい。お気をつけて。(とっとと出て行け!くそジジィ。わたしゃ彼氏のために、きれいな素肌でいたいんだよ)」

昔、夏のキャンペーンで日傘プレゼントを企画したことがある。思ったより安かったので大量に仕入れた。夏らしい、白を基調にした素敵な日傘だった。ところがその年、紫外線対策は黒い日傘じゃないと駄目だという情報が流れた。大量に仕入れ、キャンペーン用として全国に配下した日傘がクレームとともに返品されてきた。

だが…
僕は今でも日傘は白いほうが夏らしくて好きだ。


何か変ですが……

2014-04-27 23:03:50 | 日記
「何か変なぜだか変な春の朝」牧童

朝、果物を口に含むとようやく頭が動き始める。水分量や香りなど朝の目覚めにはやはり柑橘系がよく合う。
グレープフルーツもよく食べる。
グレープフルーツを初めて口にしたのは50年ぐらい前だったと思う。
半分に切って砂糖を乗せ、ウィスキーをかけて食べるものだと教わった。当時未成年だった僕にもウィスキーが振る舞われた。いつの間にかグレープフルーツ用のガラス皿や、先がギザギザの専用スプーンまで用意され、すっかり定着していった。

先日、グレープフルーツを食べようと半分に切ったら何かが変だった。いつもと何かが違う。しばらくして、やっと切り方を間違えたことに気づいた。気づくまでの時間がすごくかかった。

深い眠りから目覚めたというのに目が開かない。大きな話し声がする。
いけない!テレビをつけっぱなしで寝てしまったんだ。うるさいな!消そう…あれ?身体が変だ。動かないぜ。あれ、熱い!あっ…あれ?僕、死んだのかな…

そして目覚めない朝がいずれはやってくる。

気になる木

2014-04-24 18:48:04 | 日記
「悩むふりしても会えない明日の春」牧童

知人が肝臓ガンで死んだ。まだ52歳だった。50代の死について同世代で話し合ってみると、僕が思っている以上に50代で多くの方が死んでいるようだ。
僕はもうすぐ62歳。現実としての死が身近に忍び寄ってくるのだろう。
生きることに対し今はそれほど執着、未練はないし、僕が死んだら誰かが困るというわけでもないから、いつ死んでも問題はないが、できれば激痛は避けたい。
緩和ケアはモルヒネ投与による苦痛の軽減に加え、最近はかなりメンタル面を重視しているようだ。現代医療のドクターたちの発言の中に、医者というよりまるで宗教家のような心のあり方を語る人も多くなってきた。現代医療の限界に医師たち自身が気付き、まるで失望しているようだ。日本では牧師などの宗教家の存在が希薄だが、本来は医師は医師としての研鑽を積み、宗教家の領域を侵すべきではないと僕は思っている。

メンタル面での緩和ケアは「気になること」を探り出し、その思いを薄めようとするらしい。
死の宣告を受けた時、僕は気になること、気がかりなことが何も想い浮かんでこないのだ。これって哀しいけど想い浮かんでこない。

突然、あの歌が浮かんできた。

この木なんの木 気になる木
名前も知らない 木ですから
名前も知らない木になるでしょう

この木なんの木 気になる木
見たこともない 木ですから
見たこともない花が咲くでしょう

この歌を歌いながら、にゃっと笑って死ねたらいいな。

顔を見せない女たち

2014-04-19 02:33:55 | 日記
「見せぬ顔マスクの次はサングラス」牧童

風邪や花粉症の季節になるとマスクをした群衆が動き出す。

僕はマスクが嫌いだ。

自分でマスクをするのもマスクをした女も嫌だ。女のパンティは僕の手で脱したくなるが、マスクははずす気にもならない。マスクをした女が目の前にいる。僕は彼女のマスクをはずしキスを…こんなシーンを妄想しただけでも悪寒が走る。

マスクのイメージ
保健所の消毒作業員、医者、歯医者、給食当番……
学生運動のデモ隊、得体のしれない抗議団体……
鼻汁や臭い口臭が染み込んでいるマスク…….

高校生の頃、マスクをした集団が電車に乗り込んできたことがあった。
僕はこの異様な車中に閉じ込められ怖かった。

僕はマスクが嫌いだ。

花粉症の季節が終わりマスクが消えてきてホッとしたら、今度はサングラスの女が増えてくる。目から入る紫外線がシミの原因になるそうだから、シミ対策を兼ねたファションなのだろう。

サングラスですか…
かっこいいというより、悪のイメージが今でも強く残っている。
マスクよりはいいけどね。

と、以前、こんなブログを書いていた時もあった。

僕はマスクが嫌いだった。

しかし最近はマスクをしていることが多い。花粉症が発症したり、介護という仕事上、マスクは欠かせない。洗って何度も使用していた昔のガーゼマスクとは違い、使い捨てで便利だし、呼吸も楽な気がする。睡眠中、口の中が乾いてしまうので、マスクをして寝る習慣を身につけたいのだが、今のところ寝ている間に無意識にはがしてしまう。
サングラスは白内障予防のため、外出時には欠かせなくなった。サングラスをしていると目が疲れない。
還暦を過ぎた今の僕にとって、マスクもサングラスも必需品となってしまった。サングラスとマスクをし、ますます怪しい雰囲気の爺さんとなって、今日も街を歩いている。