こんな女将の独り言(神戸福原ぼっかけ「あーちゃん」お店blog)

神戸は福原で細々と営んでいる「ぼっかけうどん」のお店「あーちゃん」の女将がうだうだと日々のあれこれを語ります(笑)

☆・・あーちゃんニュース!・・☆

  ★いよいよお待ちかね!ぼっかけかす汁開始★ 今年は早くも猛暑の頃から「かす汁まだ?!」の問い合わせがあり、10月に突入するや、毎日問い合わせが殺到する事態に^0^; 金時人参や霜の降りた冬大根・・、まだまだ冬野菜が入手できる状態ではありませんが、かす汁ファンのお客様の要望に応えるべく、「ぼっかけかす汁」開始させていただくことになりました(^0^)ノでも、本当に美味しくなるのはまだまだこれからです!!

食べもので思い出すこと

2015年03月04日 | 日々思うこと
日々何気なく、例えば、店先でとある食品を見た時に、

ふと「思い出すこと・・・」はありませんか

例えば・・・、

春といえば「いかなご」。

「いかなご」といえば「釘煮」。

そして、「釘煮」といえば、それが全国的に有名になったのは

私の記憶の中では、あの、阪神大震災の後だったかと。。

震災後に被災した神戸の人達が、

お世話になった方達にお礼を兼ねて「釘煮」の味を送り出したのがきっかけで

「釘煮」が全国に知れ渡った様な


で、毎年2月の終わりから3月にかけて、

その「釘煮」の主役の「いかなご」の稚魚である「しんこ」が

市場のあちこちの魚屋やスーパーで大量に出回り、

その「しんこ」を買い求めるお客さんの長い列が並ぶという現象が

私はこの、「しんこ」を求めて並ぶ魚屋さんの前の列を見ると、

震災のあった年を思い出し、醤油と酒とみりん、そして砂糖を煮詰めた香りが街中に漂うと、

生姜や山椒、柚子等の、その家その家の「味」が思い浮かぶ様で

その「味」をご近所や遠くの身内、知人に送り、「美味しい」の返事だくことで

その「美味しい」が自身の「励み」になり、

神戸の人は「元気」を頂いたのではないかと思います。


そんな「しんこ」ですが・・・

年々イカナゴ漁も獲れる量が減少し、「しんこ」が少なく、

値段もかなりアップしてしまっているとのこと・・・

うちの大将は「しんこ」の釜揚げが大好きで

ほぼ毎日買ってきては、娘と毎晩食べています

そんなに毎晩食べて飽きないのと思うけど

季節限定で、しかも「しんこ」の時期はあっという間に過ぎてしまうから

毎日食べても食べ足りないのだとか・・・

今日は明日が定休日なので、残念ながら「しんこ」はお休み


季節限定と言えば、

「ぼっかけかす汁」も3月いっぱいでひとまず終了になります

今年も沢山の方に召し上がって頂いた「かす汁」ですが、

11月(早くて10月中頃辺り・・・)までお待ちいただけますように

まだ今月中はお作りしていますので

福原ならでわの「ぼっかけかす汁」をぜひご賞味ください

大将と2人でお待ちしています










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あたりまえの中に

2015年03月03日 | 日々思うこと
昨日のお話に続き、

今日は何気ないことに「ふと思うこと」をお話したいとおもいます

これは誰でも思うことかもしれませんが、

美味しいものを食べた時に感じる「美味しい」は

食べられるから「美味しい」と感じることで

「美味しい」を認識しているから、食べることに幸せを感じたり

また、食べるものを見ただけで「美味しい」と思えるのですよね

これはあたりまえの事として毎日繰り返されていることだから、

「美味しい」は、「あたりまえ」になってしまっていて

「美味しい」と感じても、さほどの感激もなく過ごされていることが日常かもしれません

けれど、その「美味しい」がもしも感じられなくなってしまったら・・・


5年前に私の母は脳梗塞で倒れ、半身麻痺の体になってしまいました。

体が麻痺するだけではなく、物を飲み込むことが難しくなり

誤嚥肺炎を防ぐために食べもの全てには「とろみ」をつけなければならないという、

水も口にできない体になってしまったのです。

そのせいで母は、何を食べても「美味しい」を感じなくなり、

病院で出される食べものを受け付けなくなってしまったのです。

何を口にするにも、サラサラの水でさえも呑めないのですから・・・。


そんな母に、なんとか食べさせようと病院のスタッフさん達も頑張ってくれたのですが

我儘育ちの母は頑として「食」を拒み続け

とうとう胃ろうの身となってしまいましたが

胃の穴から補充するチューブの食事が母の体に合わなかったのか、

蕁麻疹で中断になり、最後は点滴のみで命を繋がなければならない体になり

鎖骨の辺りに太い糸で点滴の管がぬいぐるみみたいに縫いつけられていたことが

今も私の目に焼き付いています

けれどまた脳梗塞が再発してしまい、寝たきりになって半年で母は他界しました。

母が倒れて二年後の出来事でした。


倒れる前の、元気だった頃の母は、

兄が仕事休みの時は一緒に買い物に出かけては大好きなコロッケとパンを買い、

時々私にも持ってきてくれました。

嚥下が困難になった時も、真っ先に食べたいと言ったのは「パン」でした。

私は母に、少しでも元気になってもらいたい一心から

まだ食事が少し可能な時に

嚥下が難しい人でも食べられるパンをネットで検索して購入し、

病院に持って行ったこともありました。

けれど、そのパンは、パンを牛乳に浸した様なフニャフニャした食感で

母が好きだった、硬いベーグルやサクサクの焼きたてパンの食感には程遠いものだったから

最初の2口で食べることをやめてしまったのでした。

他にも、離乳食の様なおかずやスープ、雑炊も勧めてみたけれど

どれもこれも、母には気に入られるものがなくて

「食べんかったら死んでしまうで!」と

私はきつい言葉を投げかけたこともありました

意識がはっきりしている時、

母はよく「サラッとした水が飲みたい」「美味しいパンが食べたい」と言い、

そのたびに私は、元気だった頃の母が美味しそうに食べていた顔を思い出し、

思い出すたびに、もう食べられなくなってしまった母の姿、

「美味しい」の一言が言えなくなってしまった母に悲しくなり

母の前で泣いてしまったことも一度や二度ではありません。


だからなのか、如何なのか・・・。

お店の中で仕事をしている時に、目の前のお客さまが美味しそうにうどんを食べている、

その顔を見て幸せを感じるのかもしれません

私の母の様に、何かを食べたくても、「美味しい」と思いたくても

それを叶えられない状況にある人は世の中に沢山います。

今、何かを食べたり「美味しい」と感じられることがどんなに幸せか、

「食べる」ことが「生きる」ということに、どんなに大切なことか・・・。

そのことを教えてくれたのは母で、

「美味しい」の一言がどんなにありがたく貴いことかを教えてくれたのはお客さまの笑顔・・・。



そして、お商売の楽しさと難しさを教えてくれたのはお義母さんで

夫婦の絆を教えてくれたのは大将・・・って

最後はのろけになってしまいましたが・・・


さてと、

今夜も「美味しい」の一言と、お客様の笑顔を頂けるように

大将と二人で頑張ります









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