DEEPです。
昨日仙台に行ってきました。
仕事で急きょ行くことになったので飛行機やバスの手配が出来ず、早朝に車で東京を出発しました。
東北道はおおむね順調でしたが、福島県に入ってからはところどころ路面のうねりがひどく、スピードを出しているとジャンプしてしまいそうな場所もありました。
途中石巻へ炊き出しに向かう石原軍団のキャラバン隊と遭遇しました
予定より早く到着し、アポイントの時間まで余裕があったので、今回の地震で被害が大きかった仙台港~多賀城方面へ視察に行ってみました。
そこで私が目にしたものは・・・・・
震災から一カ月がたち、自衛隊や警察、消防、ボランティアの方たちが片付けて、道路を使えるようにしたものと思われますが、それでもこの状態です・・・
震災直後はどんな状況だったか、想像もできません。
実際に目の当たりにして改めて今回の地震・津波の威力に体がこわばり、恐怖がこみ上げてきました。
コンビニに立ち寄ってみたところ、商品は全くないわけではありませんが、上の画像の通り非常に少ないです。
まだまだ日常生活が戻っているわけではないことを実感しました。
市内中心部に戻り、仕事前の打ち合わせをしている最中にもコトコトと頻繁に余震が襲います。
仙台の仲間たちは震度3~4くらいの余震はもう慣れてしまったらしく、とくに騒いだり避難したりすることもありませんが、われわれが感じないくらいのちょっとした揺れでも「あ、揺れた」と敏感に感じてしまうようになってしまったとのことです。
明るく、たくましく、笑顔で接してくれますが、毎日かなりのストレスを抱えながら仕事をしているんんだろうなぁと思いました。
市内中心部においても立ち入り禁止を示す「赤紙」が貼られている建物が散見されました。
タワービルから一番町買物公園に抜ける「ボウルサンシャイン」が入っているビル、フォーラスの向かいの「ディズニー・ストア」が入っているビル、etc.etc.....
仕事を終え、17時過ぎにみんなに別れを告げ、ビルを降りて車に乗り込んだところで大きな揺れに見舞われました。
車がゆっさゆさと揺られました。
福島県浜通り震源の震度6弱でした。
ほんのちょっと降りるのが遅かったら、ビルの10階以上のフロアでさらに大きな揺れに遭遇したかエレベーターに閉じ込められていたことでしょう。
ビルに残してきた仲間たちが心配で電話をしてみましたが、もうすでに全くつながらない状態でした。
車載テレビやラジオの情報から東北道が宮城県の白石ICから先鹿沼まで通行止めと分かりました。
白石で降りて国道4号線を延々と南下する手もありましたが、とっさの判断で113号線を北上し、山形、新潟経由で関越道から帰ってきました。
途中七ヶ宿辺りでは雪に降られましたが、車は四駆でまだスタッドレスを履いていたため問題なく走行でき、約7時間後の0:30頃には帰宅することができました。
仙台には友達や仲間が多く、土地勘もあるため一般の人よりは震災被害の大きさを理解できているつもりでいましたが、やはり聞くと見るでは大違いで復興への道のりの長さを痛感した一日でした。
そして東北の人たちはあまり口には出さないけれど、まだまだ支援が必要なんだとも思いました。
今回のスレッドは、私が決して忘れてはならない思いへの備忘録にするとともに、少しでも多くの人たちに震災現場の大変さを分かっていただければと思いアップしました。
みんなで乗り越えましょう。
昨日仙台に行ってきました。
仕事で急きょ行くことになったので飛行機やバスの手配が出来ず、早朝に車で東京を出発しました。
東北道はおおむね順調でしたが、福島県に入ってからはところどころ路面のうねりがひどく、スピードを出しているとジャンプしてしまいそうな場所もありました。
途中石巻へ炊き出しに向かう石原軍団のキャラバン隊と遭遇しました
予定より早く到着し、アポイントの時間まで余裕があったので、今回の地震で被害が大きかった仙台港~多賀城方面へ視察に行ってみました。
そこで私が目にしたものは・・・・・
震災から一カ月がたち、自衛隊や警察、消防、ボランティアの方たちが片付けて、道路を使えるようにしたものと思われますが、それでもこの状態です・・・
震災直後はどんな状況だったか、想像もできません。
実際に目の当たりにして改めて今回の地震・津波の威力に体がこわばり、恐怖がこみ上げてきました。
コンビニに立ち寄ってみたところ、商品は全くないわけではありませんが、上の画像の通り非常に少ないです。
まだまだ日常生活が戻っているわけではないことを実感しました。
市内中心部に戻り、仕事前の打ち合わせをしている最中にもコトコトと頻繁に余震が襲います。
仙台の仲間たちは震度3~4くらいの余震はもう慣れてしまったらしく、とくに騒いだり避難したりすることもありませんが、われわれが感じないくらいのちょっとした揺れでも「あ、揺れた」と敏感に感じてしまうようになってしまったとのことです。
明るく、たくましく、笑顔で接してくれますが、毎日かなりのストレスを抱えながら仕事をしているんんだろうなぁと思いました。
市内中心部においても立ち入り禁止を示す「赤紙」が貼られている建物が散見されました。
タワービルから一番町買物公園に抜ける「ボウルサンシャイン」が入っているビル、フォーラスの向かいの「ディズニー・ストア」が入っているビル、etc.etc.....
仕事を終え、17時過ぎにみんなに別れを告げ、ビルを降りて車に乗り込んだところで大きな揺れに見舞われました。
車がゆっさゆさと揺られました。
福島県浜通り震源の震度6弱でした。
ほんのちょっと降りるのが遅かったら、ビルの10階以上のフロアでさらに大きな揺れに遭遇したかエレベーターに閉じ込められていたことでしょう。
ビルに残してきた仲間たちが心配で電話をしてみましたが、もうすでに全くつながらない状態でした。
車載テレビやラジオの情報から東北道が宮城県の白石ICから先鹿沼まで通行止めと分かりました。
白石で降りて国道4号線を延々と南下する手もありましたが、とっさの判断で113号線を北上し、山形、新潟経由で関越道から帰ってきました。
途中七ヶ宿辺りでは雪に降られましたが、車は四駆でまだスタッドレスを履いていたため問題なく走行でき、約7時間後の0:30頃には帰宅することができました。
仙台には友達や仲間が多く、土地勘もあるため一般の人よりは震災被害の大きさを理解できているつもりでいましたが、やはり聞くと見るでは大違いで復興への道のりの長さを痛感した一日でした。
そして東北の人たちはあまり口には出さないけれど、まだまだ支援が必要なんだとも思いました。
今回のスレッドは、私が決して忘れてはならない思いへの備忘録にするとともに、少しでも多くの人たちに震災現場の大変さを分かっていただければと思いアップしました。
みんなで乗り越えましょう。