独りぐらしだが、誰もが最後は、ひとり

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「自由」について       公園小父さん

2018-01-14 00:06:34 | 日記
「文庫本を貸し出さない様に…」と図書館に申し入れというか、お願いを出版社側がしているそうである。それに関して特に言う立場にないが、ただ私の場合だと良書は、通読しておしまいとならず、所有したい、ポケットにしのばせて公園を歩きたいというように、妙な愛着がうまれそれがどうした訳か文庫に多いのである。
 今日も『続々天才の世界(湯川秀樹)三笠書房刊』をもっている。このなかの「荘子」が好きなのである。後期高齢者であるから、束縛もこれといってないのでどちらかと云えばカッコ付きの自由、つまり“魂の自由”を求めているのである。魂の自由までさすがにとやかく言う人はいない。湯川秀樹先生も嬉しそうにお話しされているのがまたいいのだ。
 だが「荘子」は難しい。むずかしいから「思想全集」など様々な版の訳を読み本文のほかに解説を読むのである。しかし基になっているのは、司馬遷が著(あら)わした『史記』のほんの僅かな伝記に書かれた数行だけである。
 儒教の開祖は孔子でありそれを発展させたのは孟子であった。それと対応して道教の開祖は老子でありその後を受けて発展させたのが荘子であると云われている。
 荘子は名を周といった。荘周は、地方の小都市に住み、漆園の吏(り)であったというから、今なら漆畑を見回わる警備員というところか。最後にこの解説者は、終に裏長屋で貧困な生涯を送ったものと想像される。と書いているから公務員ではなかったであろう。『史記』では云う。「楚の威(い)王が、荘子の賢人ぶりを聞いて、使者をたて、手厚い贈り物を持たせて、宰相にするとの条件で、迎えに行かせた。荘子は笑いながら使者に答えた。 
「千金は莫大な報酬だし、宰相は尊い地位だが、あなたは祭りの日に生贄(いけにえ)にされる牛を見たことがありましょう。何年も飼育され、あげくのはては刺繍の着物をきせられて太廟(たいびょう)に引かれて行くのです。そのときになって、子豚になりたいと願っても、どうしてかなえられましょう。
 どうか、お引きとりください。わたしをそんな目に遇わせないでください。わたしは、たとえドブの中であっても、気ままに泳ぐほうが性に合っているのです。権力者のもとで自由を奪われた生活を送るのはまっぴらです。宮仕えなど一生涯せず、心のままに生きたいのです」

—— それはある意味で近代人のパターンを超えた人格ですね。
湯川 超えているところが魅力でもある。ただ苦しんで考えているとか、学んでいるとかいうのではなくて、それをさらに全部楽しみ、遊びにしているわけや。実際読めばよむほどそういう感じがしますね。
—— この前の天才論の、世阿弥のときには性格も抜群で、まごうかたなき天才だと思いましたけれども、それにかかわった意味での悲劇性を感じましたね。
湯川 荘子はどうであったかよくわからないけれども、ぼくは若いとき、彼の思想を厭世的だと思った。あとになって何度も読んでみると、喜劇ではないけれども、やはりすべてのものを達観している。達観した結果むしろ楽しんでい る。これはやはり達人ですね。
—— いささかも悲劇性を感じさせませんね。
湯川 ひじょうに悲惨な時代であるにもかかわらず、そのなかで足を切られても、それは悲しむことはない、それはそれでいいことがあるという考え方ですね。常識的な考え方を逆転することによって、そこに何か喜びを見いだす。また人にも見いだすようにいっているわけです。そういう点では一種の救済の思想でもあると思いますね。
—— それは荘子の思想の特徴ですね。こういう思想家というのは、いままでわ
たしのうかがった範囲では一人も出てきませんでした。
湯川 なかなかないですね。弘法大師空海は荘子とはまた相当ちがう人ですが、たいへんな努力家だったように見えるけれども、やはり楽しかったんじゃないですか。自分の能力をあらゆる方向へ伸ばして、自分の生命力をいろんなほうへ出していくわけです。字も書く、文章も書くし、詩もつくる。さまざまの社会的活動もする。これは苦しんでいるようではないね。楽々とやっている。しかし荘子とはやはりちがいますね。
—— これまでの天才論の系譜のなかでは、少々異質のところが目立ちますね。もとより共通の要素ももってはおりますけれども。

湯川 とにかく荘子はひじょうにユニークです。現代でも十分通用する考え方やね。
—— むしろ現代を超えた……。
湯川 そうです。現代を超えている。現代はあかんぞと、その批判もしている。それは驚くべきことです。

 学者ではないので、公園小父さんは、 散歩の途中にぶつぶつ云うぐらいしかできないが、荘子が描いた奇想天外な寓話の底に、論理があり哲学があり思想があったということである。現代でもそうだろうが、芸術や文学、それに携わる人間に政治の影が色んな意味でしのび寄ってくる。陶淵明という人は、政治や、思想の従属物ではない人生と文学の自由の書としてこよなく荘子を愛した。
 「是非はすべて現象であり、相対的なものである。」これが荘子のよって立つ真であった。後の文学者や詩人や坊さんたちは、ここにすい寄せられ、影響を受けたといわれる。そして「中国禅」はここから産声をあげたといっても過言ではないらしい。
 「北のはてしない大海に一匹の魚がいる。その名を鯤(こん)という。この鯤の大きさは、幾千里あるかわからない。
 時が至ると、鯤は突如として姿を変えて鳥となる。それに鵬(ほう)と名づける。この鵬の背の大きさも幾千里あるかわからない。
 鵬が羽ばたき、空中に舞い上がると、その翼は天のはてまで拡がった雲のように見える。『内篇「逍遥遊篇(とらわれないあそび)第一」

これが荘子内篇の書き出しである。六、七百年後に「荘子」と出会い その絶対自由の境地、世界に憧れた文人詩人が大勢でている。突然隠棲宣言した陶淵明は官界生活をすて、故郷の農村に帰り「帰去来の辞」を詠んだ。
  帰りなんいざ  
  田園まさに蕪(あ)れなんとす
  胡(なん)ぞ帰らざる
 そして、小鳥の声や、風や雨の音や草の匂いのする田舎暮らしの変哲も無い日々の中から、『荘子』の境地とでもいう“真”を発見したといわれている。
 日本では与謝蕪村はむしろ陶淵明の影響が如実のようだ。松尾芭蕉の『奥の細道』の書き出し「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人也。」は熱烈な荘子ファンである李白の「夫(そ)レ天地ハ万物ノ逆旅(げきりょ)ニシテ、光陰ハ百代ノ過客ナリ」に感動して書いたと云われている。図書館で読んだ「『荘子』鈴木修次著(清水書院)」を拾い読みしたものです。著者によりますと、
 「そのことは、これまでの注者のいわぬところであるが、外篇、「知北遊」第二十二に、
 世人ハ直(た)ダ物ノ逆旅為(た)ルノミ」ということばがある。「世人」を「天地」にかえれば、李白のことばになる。「万物」ということばは、雑篇、「則陽」第二十五にある。

 私(公園小父さん)は不勉強で引用のしかたも粗雑で著者には本当に申訳なく思います。読んでくださる皆様にはぜひ原著を読んでくださる事をお願いいたします。
 あやまってすむのなら、何とかと言います。悪事をはたらいた訳ではないので意味合いはちがうのですが、その代わりここから、お詫びの印に、まったく何処にもない,誰も指摘してこなかった事象、私のオリジナル、荘子にかかわるある人物とその方が著わした本の事を呟いてみたいと思います。私もふくめ思っても見ないことですから、なにより著者本人が驚かれるかもしれません。
 できるだけ短くまとめたいと思います。
 芭蕉と蕪村のことを荘子に影響をうけた文人として書きましたが、現代はどうだろうと見渡しても居そうもありません。
 そんな中で、荘子に出逢い、影響を受けて、生活やその作品にまで荘子の、
 「是非はすべて現象であり、相対的なものである」。
 この荘子の思念にぶち当たって、その日から生き方を変え創作を一から出直すというより、今までの想念や積み重ねて来た概念物を、心の斧や鉞で、徹底的に破戒(日本キリスト教団に所属していたことからあえてこの破戒にします)する所からはじめた人物。見て来た様に言いますが大丈夫です。小父さんが長い旅にふみ出そうとしていた一時期(今から五十年前)お傍に居たことがあったのです。その心の鉞や心のマシンガンで破戒しつくす様子を牧師は毎日手記として書き止めていたのです。その文章のタイトルが『単細胞的思考』。この時点で、出版など1%も念頭になかったことは、はっきりと断言できます。
 その後現在に至るまで著書は二十冊数冊出版されたようですが,出版人からの少額の寄付はあったでしょうが印税は百円も著者には入っていないはずです。そこがまた現代の荘周たる所以と考えます。
 荘子は、幾千里ある鯤や鳥の鵬で、社会常識の概念や世界観を覆した様に上野霄里という「単細胞的思考」の著者は、己を、0.3ミリの単細胞のぞうりむしにしてしまったのだ。そして、絶対という真理を手にした。こういう人はまずいない。本が読まれ名が知られていたとしても、誰も知らない。存在しない。世の中の動きは現象でしかない。すべてが相対事象である。体制といえば反体制、幸福と不幸、勝ち負け、繁栄と没落……。
 どうもいけない。公園小父さんの文は、生煮えである。消化し切れていない。せっかく現代に存在する荘子『単細胞的思考』を著した荘周『上野霄里』を発見したのだから、ここが大事な剣が峰に立っているのである。やむをえないので岩波文庫から『荘子』を出されている金谷治先生に助け舟をだして頂くことに致します。さすがに学者の文章は違うと思われるでしょう。ただし今日は、金谷治先生もキット驚かれる筈ですが。
 《いったい、人々はこの現実世界のなかに、大小・長短・彼此(ひし)、善悪、美醜、生死などといったさまざまな対立差別のすがたを認めている。そして、人々はそれを現実の真のすがただと信じている。しかし、と荘子は考える。それは、人間のかってな認識、小ざかしい判断であって、客観世界の真実のすがたではない。彼(かれ)と此(これ)との違いは、こちらの場所を変えればたちまち逆転して、さきの彼が今や此になり、さきの此が今や彼になるではないか。善悪、美醜の価値判断はなおさらいうまでもない。美人の美しさは、鳥や魚には通用しない。してみると、すべての対立差別は一時的で相対的なかたちにすぎないであろう。それなのに、人は愚かにもそれを確実なものと考えて、その差別のすがたにとらわれ、そのために無用の苦しみをくりかえしているのだ。人間の我執がこの現実界の差別を作っているだけのことで、いかに大きな違い、きびしい対立とみえることでも、それらの間に「道は通じて一つ」なのである。人間のこざかしい知恵分別を棄てよ。偏見を去り、執着を棄て、さらには人間という立場をも放ち棄ててこの世界の外からふりかえるとき、もはや生死の区別さえもが消え去るであろう。》
          『荘子・内篇・金谷治訳注・解説ヨリ(岩波文庫)』
 
 上野霄里は、 詩集「詩的ノート」の中に書いている。
【巡礼行】
私は人間の生き様を書かない
人間の営為の陰にひそむ
生き様に結果するダイナミズムを
描き語り歌い書く

このダイナミズムこそ
超脱の理由だ
人間の内奥に潜む
原生性の正体だ
人間性の基本的願望だ
社会に人間はいない
人間の心は
社会を支えてはいない
もっと無人な処
そこがもっとも華やかな社会

人間の正体を見るために
私は敢えて
社会から離れる
唐天竺でもメッカでもなく
己の心の中の十万億土に巡礼行
 
 上野霄里はアメリカの文豪ヘンリー・ミラーとは友人である。大昔だがミラーがこんな事を書いて来たと手紙に書いて来たことがあった。
 「ミラーは私をナイアガラの滝、ビクトリアの瀑布、ヒットラー、火星人、フン族の大王アッチラ、狂人、汽関車、俺の仲間、聖人、と云ってくれています。彼はこの手紙のあと、つづけてタイプのキーを私との会話の為に叩くそうです」

 この延長上でぞうりむしとなった上野霄里は「単細胞的思考」の原稿を広告紙の裏に猛烈なスピードと勢いで書き飛ばして行ったとおもわれる。その目次から、ぞうりむしの生まれ変わる羽化の様子が、歓喜とかさぶたをひっぺがす激痛を伴ったうめき声と内奥の絶叫だった事が分かるだろう。666頁の中から一部をお目にかけよう。◎目覚めよ、阿呆ども ○想い出は華麗なる灰色 ○文明圏・この奴隷 ○ノーベル賞阿呆論 ○洞窟の中の哲学 ◎悪魔も故郷に帰ると天使になる  ◯失敗は平然と犯せ  ◯四次元の運動の法則  ◎人と同じことしかやれない奴はぶち殺せ  ◯円満解決という敗北の形式  ◯技巧というもっとも下手なテクニック
 
 これは実は著者上野自身の、自分に刃(やいば)をむけて叱咤した言葉なのです。
  次の言葉からそれがうかがわれます。
 「私は戦争を悔いてはいない
 戦争故の悲惨さを決して嘆きはしない
 それらを生み出す
 己の中の文明の精神を
 恐れ恥じ怒り憎む!」

 三千年の沈黙に入る前おこなった懺悔なのです。これはほんの十分の一ほどの見出しですが、これが五十年前に世に出たときは驚いたと思いますが、しかしすぐ平静を装うのが世の常です。著者はそんなつもりはないのですから、なおさらです。なぜなら、アメリカの文豪ヘンリー・ミラーによって血液が作られ、いままた荘子によって背骨が出来,骨格がそなわったわけです。それが五十年前著者上野が三十代前半での出来事でした。

 私(小父さん)もぞうりむしの感覚思考になっていることがわかります。
公園を歩く靴も斜めにすりへって身体も斜めになって、それでも散歩は楽しい。私も何時の頃からか相対感はうすれている。太陽を見ているうちに一層そう感じる様になった。最後に偶然にみつけた上野霄里先生の文章を紹介して終わります。先生と三千年後にお会いしましょう。逢えなくば、それもまたよし。
     
梯子段の上の微笑 ヘンリー・ミラー、その喜びの美学
 ◉ 荘子のエーテルの中で      上野霄里  1976年
  
 ヘンリー・ミラーはこれまで一度として、いわゆる絵画を手掛けたことがあっただろうか? 「菜根譚」の主題である「一点の素心」はミラーにおいて内側から響いてくる声として確かに受けとめられている。彼には本格的な遊びの精神が無疵のままで息衝いている。人類がこせこせと文明の迷宮の中にのめりこんでいった時、奇しくも一つの秘蹟として安全地帯に居残っていた人間精神の原形質が彼の中で躍動している。それは一体何と呼称すべき精神なのか? 長らくこの種の存在に就いて失念したまま今日に至った文明には適切な言葉を探し出すのが困難である。それはさしずめ荘子のいう逍遥遊のエスプリであろう。彼は一度として美術など手掛けてはいない。彼の屈託のない精神が大鵬のように大らかに遊んだ結果としてこれらの作品があとに残された。
 大鵬は南冥に遊ぶ。そしてミラーは(原生美学の領域)に、どのようなものにもわずらわされることなく遊ぶ。それは無邪気といった言葉では説明のつかない厳然とした次元に立つ者の風格に満ちている。それは自由人間という言葉では到底把握できない超絶の次元に生きる者の当然身に負うべき姿である。彼の作品の一点一点に丹念に直視してみたまえ。文明社会が造り出している地上二メートルの不毛な精神風土では決して垣間みることのできない暖かい心の鼓動がある。殆んど伝説化してしまっている愛のぬくもりがあるのだ。こういったミラーの作品がわたし達の胸に迫力をもって訴えてくる何かは、彼の日々の確かな生き方あってのことである。反権力,非政治、無組織の生き方を額面通り楽々と風流に実行している彼はまさしく巨人の一人に違いない。大切なのは美術に関わることではない。自分の真心のままに生き果てることである。
 そこには虚無の気配は全くない。かつて長いさすらいの時代に悲痛な口調で『梯子段の下の微笑』を書いたミラーであるが十年前、この著作の扉に「梯子段の上から微笑を君に送る」と書いて贈ってくれた。その言葉のなんと明るい響きにみちていたことであろう! 彼はまさしく、一つの域に達している。荘子のエーテルのたゆたう中で逍遥遊の時間を過ごすミラーを前にして私の胸は熱くなるのを禁じ得ない。ミラーに内在する美しき一点の素心よ!
     ※〈ミラーの石版画十七点は誠に残念ですが省略いたしました。〉