海外アニメーション

2010-08-08 23:56:02 | 日記
音声連のサイトを見ていたら、外画制作の部門は
「洋画」「海外ドラマ」「海外アニメーション」の3つにわかれていると書いてあります。

シンプソンズは海外アニメーションに当たると思いますが、
あ、アニメと言っても「海外」を付ければいいのかと思いました。
それだと、声優話をするとしても、いわゆる声優アニメと一線を画する事が出来ます。

やっぱり重要なのは「海外」の部分だと思います。

「マウスアンドマジック」も、「海外」アニメーションの本として紹介されていたと思います。
良かったです。

改訂版

2010-08-08 23:35:41 | 日記
8月10日付で昨年秋に出版されたいわゆる江副本1の新書版が出ていました。
まさかの新書化ですが、改訂版とあるのにその説明が何もないので、
「ご好評により製本が良くなった2より重い1」の新書化自体が改訂版なのかもしれません。

「弁護団は人権派の集まりになりました」と書いてありました。うう、またか、です。
「あんな大報道されたの、みんな敬遠するかと思ったらそうでもなくて、
 色々探したら人権派の先生方が集まってくれました」。

人権派というのは、反権力、と一言で説明されていました。
単純というか、それで済めばいいよなあと思いました。

面白かったのはこの指摘です。「マスコミが捜査官で特捜検事が立件者」。
全国の金の流れを追えば脱税が見える国税と違い、とても探せないので
実際は報道に出た中からありそうなのを探して捜査するしかないみたいで
これがなれ合いだそうです。今、どうか分かりませんが。

リクルートの事が当然詳しく書いてありますが、事件の事よりも、
同社が就職斡旋から始まって学校、教育(どこまでも)、つまり若者の生活すべてを
マニュアル化しちゃったように見えるのが、落ち込みました。

事件は平成初め、90年代初めで、80年代の特攻野郎やナイトライダーを過ぎ、
「きちんとちゃんと」「海外ドラマを英語学習」かなんかの反元気時代と重なります。
90年代末になって、ワウワウによってNHKが吹き替え制作の面白さを思い出さされて
ERやビバヒル(裏シンプソンズ)、フレンズなんかがようやく出てきた印象があります。

1995年刊の吹き替え本1はこれを受けてのものだったんだろうなと思います。

ところで、そういうのは継続は誰がやってもいいと思うのですが、
実際にはサブカル志向というか、マイナー短調人間には出来ないでしょうか。
(単純にサブカル志向と言ったら、サブカルに失礼です^^)

だったら、ベタというか単純バカとも言いますが、メジャー長調人間がやっちゃうもんと思います。

検審

2010-08-08 00:13:52 | 日記
朝日新聞夕刊の検察審査会の話は面白かったです。8月最初の連載日に早速、なので
「もうメンバー入れ替わっちゃったじゃんか」ということみたいですが^^。

「係の人がうその記載をして、小沢氏はそれに関与してないと言っている」とやっぱり書いてありますが、
じゃあその係の人は「勝手にお金人間」ということになる、と思います。

早稲田大学は、帝大の専制を嫌って飛び出したという事なので、素質がある人はともかく
「いつ見抜かれるか気が気じゃない」という負け犬根性が刷り込まれるんだと思います。

やや飛躍ですが、だから日本が戦争に負けて原爆を落とされたんだと思います。
最初原爆はナチスに落とす予定だったそうです。ギリで間に合わなかったので、余ったそうです。

余った原爆を、落としちゃいたいほど当時の日本の「勘違いしたえばったバカ」が
うるさかったということだと思います。いつまでも熱血気取りで降参しようとしないし。

ユダヤ人(フォックス)が日本を助けてくれるの当然だと思います。
例えばスタジオクラシックスの事です。それなのに、町山さんの雑誌は、知らんふりだったわけです。
執筆者も共犯と言えば言えますが、原稿の内容がいいので、とりあえずいいそうです。
「それよりかは」という、広い心(笑)に思えます。

それから、ヤフーの少し下の方に、「イタリアに広島長崎ロード。今どこにするか検討中」がありました。

なぜ突然そんなことになっているか書いてありませんでしたが、
イタリアと言うととりあえずマンガ「テルマエ・ロマエ」は面白いです。

これ本当に面白いみたいで、等身大ポップなどたくさんありますが、
朝日新聞に載った事があるみたいで、その切り抜きが書店に貼ってあったと思います。

熱血気取りと言うと、日吉キャンパスの下には戦艦大和の司令基地が埋まっています。
遺跡として取ってあるそうで、だから空気が落ち着かず変な事件が起こるのではないかと。
それからやっぱり「役人の誘いを断って障害一市民でいた事が自慢」みたいなので、
逆に「役人なんかになっちゃだめですよ」という締め付けがあって変に歪んでいるのかもしれません。

両校とも、「オックスブリッジを気取った」時代のあだ花かなという気がします。
後者はお子様なだけで無害かもしれませんが、前者はやはり危ないのかなと思います。

大体、もうマンガ日本史に描かれちゃいましたが、伊藤博文はドイツ人が楽しそうに
政治を語っているのを見てドイツ形式がいいんだと思ったそうですが、
とんだ早とちりというか、鑑識眼の無さというか。

それは洗脳の効果だと思います。「楽しそうだけど、これでいいのかな、なんか変だな→
あっぶねえなあ」と思わなかったのか、そんな人間が跋扈していたというか。