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Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

劇場版『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』

2010年07月27日 | アニメ
渋谷のシネマアンジェリカで『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』を見てきました。

かつて高畑監督いわく、TVシリーズ『赤毛のアン』の劇場版について
「ダイジェスト版は作りたくないけど、1~6話までを劇場向けに再編集すれば面白くなると思った」
との考えで製作されたものの、諸事情からスクリーンでは上映されなかったという作品です。

まあTVシリーズと比べればボリュームが足りないのは確かですが、アンの到着から
翌々日の朝までという短い時間を100分で一気に語りきるテンポと凝縮感は、
連続モノを見るのとまた違った面白さがありました。

それに大きなスクリーンで見るアンの表情の豊かさ、そして風景の美しさは格別です。
最近のアニメを見慣れた人の目には、絵柄が古びていたり作画が安定しないように
見えるかもしれませんが、それを差し引いても十分以上に魅力的な映像だと思いました。

そしてアンの空想が始まったとたんに画面を埋めつくす、花吹雪や妖精の群れ。
心象風景を画面効果として大胆に取り入れるという発想は、いまやアニメでは
当たり前になりましたが、演出としてそれを確立した作品こそ『赤毛のアン』
ではないかとも思います。

まあぶっちゃけて言うと、見に行った動機に「劇場公開記念の小冊子が欲しい」
という下心があったのは確かですが、もちろんそれだけが理由ではありません。

実はいま自分の心をとらえて離さない『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督が、
Web上でマイマイ関連のお話を書かれていたときに、何度か『赤毛のアン』について
言及されているのを読んでおり、そこに劇場版の上映が重なったという次第。
だからこの機会に劇場でも『赤毛のアン』を見ておきたいという気持ちもあったのです。

そして画面に現れたのは饒舌にしゃべり、くるくると表情を変え、裸足で走りまわり、
「頭の中のこしらえごと」で世界を楽しむことを知る、髪の毛にコンプレックスのある少女。
やっぱりここには間違いなく、『マイマイ新子と千年の魔法』の原点がありました。

ジブリ的な作品と称されることの多い感じな『マイマイ新子と千年の魔法』ですが、
この『劇場版 赤毛のアン』を見ると、むしろその作風は「ジブリ以前」の(古きよき)
日アニ作品を起源として、その伝統をまっすぐに受け継ぐものだと思います。

言い換えれば、マイマイ新子は「ジブリが成し得なかった形での、日アニ作品の進化形」
ということになるのかもしれません。

片渕監督が日米合作アニメ『リトル・ニモ』について書かれた文章に、こんな一節があります。

“われわれとして、キャラクターの演技表現についてもう少し別な道を模索して
 ゆくべきではないか、と、近藤さんに提案してみたことがある。
 たとえ話としてその方がわかりやすかろうと、
 「たとえば、『赤毛のアン』でやってきたことを先に進めるような意味合いで」
 といったのが逆効果だったようだ。”
(WEBアニメスタイル「β運動の岸辺で 第28回 70ミリ・キャデラック映画」より抜粋)

『赤毛のアン』を見てから『マイマイ新子と千年の魔法』を見ると、かつて実現しなかった
「赤毛のアンを先に進めた作品」がようやく誕生したことを、目の当たりにできると思います。

これが公開記念の小冊子。中は文章だけですが、豪華執筆陣でなかなか読ませます。


劇場備え付けのスタンプを中表紙に押してきました。


パンフは800円。美術ボード風のカードの裏に高畑氏の解説文などが書かれてます。
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