バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

メルケル元ドイツ首相の講演集、「わたしの信仰-キリスト者として行動する」を読んで 

2023-07-26 04:00:00 | ゴスペル・エッセイ
福井市に移住し感謝なことは、自宅から車で10分のところに福井県立図書館(注・01)があることです。

今、読みたいと思った本が本当に置いてあるからです。

その一冊が2年前までドイツ首相であったメルケル女史(注・02)の講演集、

「わたしの信仰-キリスト者として行動する」(新教出版社)です。

以前から購入しようと思っていましたが、引っ越しに振り回されていた数か月間でしたから、

買うことも読むことができませんでした。

しかし、ようやく引っ越しが落ち着いた7月に、さっそく県立図書館に行き、

館内のパソコンで検索したら書棚にあり、借りて読みました。

この本を読んでまず結論からいいますと、「日本国民は全員、読むべき本だ」と思います。

それはメルケル女史のキリスト信仰が、具体的に政治運営に生きて働き、

ドイツ国民、そして全ヨーロッパ(=EU)に大いなる祝福をもたらす根源となっていることが

正しく理解できる本だからです。

この本は、メルケル女史が首相在任中に党大会や教会で語ったメッセージ集となっています。

正直、私もドイツは、カントやバルトなど著名な聖書学者や哲学者がたくさん輩出している

近寄りがたい国のイメージがありました。

しかし、メルケル女史の説教で聖書にもとづく自分の与えられた信仰を語る一言一言が、

生きている力強い言葉となっており、非常に驚きました。

日本ではあらゆる分野で宗教を持ち出すことはタブー視されています。

しかし、裏側(暗部)では、宗教基盤に支えられた自民党の一党独裁が77年間も続いており、

中でもカルト宗教として全世界に知られている統一教会と癒着した関係が、

1年前の安倍首相暗殺事件で明らかになりました。

メルケル女史の講演集を読むと安倍元首相とは余りにも差があり過ぎます。

前明石市長、泉さんがFLASH7/14で、「安倍政権は・・強きを助け、数字もごまかし・・・

た人物であり、岸田首相も同じ路線を走る危険な人だ」と指摘していますが、

メルケル女史の講演集では、まさに安倍政権と自民党政権とは真逆であることは明確なのです。

それは、・・・弱きを助け、数字を正直に発表し、

10年、20年先のドイツのビジョンを明確に描いき、実践してきた
(注・03)からです。

その意味で、ドイツもEUも素晴らしい指導者に導かれてきた戦後77年間だといえます。

同じ敗戦国であるのも関わらず、どうしてこのような月とスッポンのごとく差が出てしまったのかなのです。

それは一言でいうと周辺諸国への「へりくだり」の差です。

つまりドイツは今から30年前、敗戦40年を迎えたドイツ国会でなされた名演説

「荒れ野の40年」を語った統一ドイツ初代大統領,リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーの

国会での演説は、全ヨーロッパ、そして全世界に向けた

ドイツの犯した戦争責任の罪の告白と徹底したへりくだりの言葉でした。

そこで語られた言葉の力が、脈々とメルケル女史に受け継がれているのです。

しかし、安倍さんは全くの真逆で、「戦後日本の総括をする」と言いましたが、

すべて韓国や中国などアジア諸国へのヘイト発言の羅列で、高慢な姿勢でした。

私は今、メルケル女史のこの本から、語録集をまとめていますが、

「荒れ野の40年」も含め、ドイツの戦後と日本を比較して、

いつかブログで書きたいと思います。

日本が真にへりくだる国民にならない限り、ドイツのような希望はなく、

待っているのは、祝福ではなく、呪いしかないからです。


福井県立図書館(注・01)

福井県立図書館によると、平成27年度、福井県立図書館で個人へ貸出された冊数は838,779冊。日本図書館協会に「都道府県図書館の統計」から、人口一人当たりの貸出冊数が4年連続で全国一となりました。福井県の貸出冊数は人口一人当たりの1.044冊。全国で唯一、1冊を超える県となりました。約130万冊の蔵書を誇る「福井県立図書館」(分館の「若狭図書学習センター」も合わせる)は、ここ数年、県民一人当たりの貸出冊数で全国TOPクラスを維持しています。(福井新聞)


メルケル女史(注・02)

アンゲラ・ドロテア・メルケル出生名:アンゲラ・ドロテア・カスナー1954年7月17日 - )は、ドイツの元政治家。同国第8代連邦首相(在任: 2005年11月22日 - 2021年12月8日)、キリスト教民主同盟(CDU)第7代党首(在任: 2000年4月 - 2018年12月)。ドイツ連邦共和国において、またドイツ史上でも初めてとなる女性首相である。ユーロ危機、クリミア危機などでの外交対応や、ドイツの経済成長・健全財政の維持などで支持され、16年の長期政権を築いた。2015年の難民危機では、積極的な難民受け入れ政策が国際的に評価された一方、国内的には100万人超の難民殺到による犯罪が度々発生し国民の難民政策批判が高まり、2017年ドイツ連邦議会選挙で極右政党の躍進や地方選挙での連立与党連敗を招いたため、2018年に3年後の任期限りでの政界引退を表明した。2020年以降のCOVID-19の対応で、一転して求心力を回復した。2021年9月の連邦議会選挙と、その後の新政権の発足をもって2021年12月8日に連邦首相を退任し政界を引退した。(ウィキの一部)


ビジョンを明確に描いき、実践してきた」(注・03)

メルケル女史が、首相になった2005年にドイツが備えなければならない3つの項目を教書で明確にしました。
1・温暖化への防衛策として沿岸工事への備え
2・エネルギーの根本的な見直し(2011年の福島原発事故以後、ドイツは原発を廃止に動く)
3・得体の知れない細菌の蔓延への備え(コロナ禍への俊足な対応ができた)
これらは軍事的国防に優るものと位置付けて準備することを命じたのですが、
日本は同じ頃、バブル崩壊立て直しで10年、20年先を見通すビジョン作成どころか、
政治、経済、IT、教育などすべて混迷の時代の始まりでした。

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理念としての血縁関係 01 日本人の根底に流れているもの

2023-07-25 04:00:00 | 日本教から脱出するにはどうするのか
今、大河ドラマ「どうする家康」が放送されています。

もうすぐ有名な事件が描かれます。

それは家康の懐刀といわれ最も忠実な部下、石川数正(注・01)の裏切りです。

朝日日本歴史人物事典にあるように家康も部下たちも驚いた最大のライバルである

豊臣秀吉に臣従してしまう事件です。

私たちは石川数正のように与えられたものがあるのに、裏切ってしまうことは多々あります。

ただ石川数正もその理由はネットで調べると原因不明とあり、

大河ドラマではどのように解釈し、描かれるのでしょうか。

このように戦国時代においても謀反、反乱は絶えず繰り返されていましたが、

自分の最も忠実な部下、同盟者だと思っていた味方が、突然に敵になる「謀反」とは何かです。

山本さんは、裏切る側に何らかの明確な決心と自己正当化があり、

そこに至るまで長い躊躇、逡巡、懊悩、不安、動揺がある。

それを辿っていくと民族のもっている「義」の概念が解明できると指摘しています。

山本さんは日本教の義、または正義とは何かは何かを提示しています。

ハビヤン版・平家物語では、裏切りという形の謀反では、

木曽義仲の平家への謀反を「正々堂々たる挑戦」と書き、謀反という分類をしていないのです。

また、頼朝の決起は合法だとして、謀反とはみていないのです。

それは血縁関係の忠誠の表明があったからだといいます。

現実の血縁関係は解消して、「理念としての血縁関係」があったと文覚の証言を書いています。

この「理念としての血縁関係」は反乱とか謀反とかいうものを帳消しにする思想で、

日本人の根底に流れているのです。

私はある方が、身内に自分を面倒見てくれる人がいないので、

他人の青年を養子にして、自分の財産を譲りましたが、その根柢は、

「理念としての血縁関係」そのものでした。

これは日本人独特の血縁関係であり、西欧にはないものなのです。

そこには神の義は存在していません。


石川数正(注・01)
戦国・安土桃山時代の武将。通称は与七郎,伯耆守,出雲守。のち康正,吉輝と名乗る。石川康正の子。天文18(1549)年駿河今川氏の人質となった松平竹千代(徳川家康)に随行する。桶狭間の戦後,家康が今川氏から独立すると,酒井忠次,石川家成と共に,老臣として,内政・外交に活躍する。永禄12(1569)年には,叔父家成に代わって西三河の旗頭となった。なお,領国支配においては,東三河の旗頭・酒井忠次との間に違いがある。忠次が家康の権限の一部を代行していたのに対し,家成・数正にはそのような権限はなかった。天正12(1584)年家康が豊臣秀吉と戦った小牧・長久手の戦では,小牧山の本陣を守る。翌13年城代を務めていた岡崎城を出奔し,秀吉方へ走る。ただし,その理由は明らかになっていない。同14年秀吉から和泉国内に所領を与えられた。同18年小田原の役後,信濃松本8万石に移封される。文禄1(1592)年肥前名護屋に出陣し,同年没した。(朝日日本歴史人物事典)
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イエスのみ名の力の破壊力 02 口だけで唱えて、全く生かしていない 

2023-07-24 04:00:00 | 使徒言行録に書かれた聖霊の働き
使徒言行録
5:27 彼らが使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した。

5:28 「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。

それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。」

5:29 ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。

5:30 わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。

5:31 神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、

この方を導き手とし、救い主として、御自分の右に上げられました。

5:32 わたしたちはこの事実の証人であり、また、神が御自分に従う人々にお与えになった聖霊も、

このことを証ししておられます。」


私たちはイエスのみ名の力をどうして発揮できないのでしょうか。

ケネス・ヘーゲン(注・01)の代表作、「イエスの御名」で、

5:29 からの説教がキリスト教の土台であると書き出しています。

また、「イエスのみ名の力を口だけで唱えて、全く生かしていないのが私たちの現実だ」

とも指摘していますが、その通りなのです。

ましてや私が23年間もいた無教会に至っては、

一度も「イエスのみ名の力」についての説教は聞いたことがないという集団でしたから、

キリスト教の基礎がないと言わざるをえません。

またイエスのみ名に力があるにもかかわらず、その力を行使しないのが分からないどころか、

行使する方法すら教えられていない無教会ですから、ことは深刻なことです。

パウロはピリピ教会に宛てた手紙で、


ピリピ人への手紙

2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、

2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、

2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。

2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、

2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。


ケネス・ヘーゲン(注・01)
ケネス・ヘーゲン(1917~2003年)。彼の著書はいまだに読まれており、ケネス・コープランド、クレフロ・ダラー、ジェシー・デュプランティスなど、ヘーゲンの弟子たちを通してその教えは今も人々に影響を与えています。ペンテコステ派の牧師で、レーマ聖書学校(Rhema Bible Training College)の創立者としても知られています。ヘーゲンはそのほか、レーマ聖書教会、ケネス・ヘーゲン・ミニストリーズを創立し、繁栄の神学を説いてきました。ヘーゲンのミニストリーはラジオ番組や、テレビ番組、6500万部を売り上げた出版事業に広がり、発行する月刊誌『Word of Faith(信仰の言葉)』は、購読者が60万人を数えました。

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割礼問題 24 神は真実な方  13 ぐちゃぐちゃに潰されること

2023-07-23 04:00:00 | ローマ人への手紙を読み解く
ローマ人への手紙
3:1 では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。

3:2 それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず、彼らは神の言葉をゆだねられたのです。

3:3 それはいったいどういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、

その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。

3:4 決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。

「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、/裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。

3:5 しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。

人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。

3:6 決してそうではない。もしそうだとしたら、どうして神は世をお裁きになることができましょう。

3:7 またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、

なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。

3:8 それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」とも言えるのではないでしょうか。

わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、こういう者たちが罰を受けるのは当然です。


5節ですが「わたしたちの不義」とはどのようなことを指しているのでしょうか。

それは自分を義とすること、

つまり神の前にぐちゃぐちゃに潰されていない

自分の義(自己中心)が立っている(またはその支配下にある)ことです。

さて先回、4節は詩編51編の引用であり、バテシバ事件を引き起こし、

預言者ナタンの鋭い追及を受けたダビデ王は、

まさに神の前にぐちゃぐちゃに潰されてしまった後に歌った詩編でした。

結局、神の前にそれができるか、またはそのように導かれて、

コンバージョン(注・01)をしたのか否かなのです。

初代の王サウルは、バテシバ事件のような重大な罪は犯していませんが、

彼の問題はダビデのように神の前にぐちゃぐちゃに潰されていなかったことです。

しかも、ダビデへの憎しみを常に抱いていたことです。

それゆえに悪霊に支配され、ダビデに激しい殺意を抱き、実行に移していきました。

サウルの罪はやがて後日、イエスへのユダヤ教支配者層も同じような状態になってしまい、

イエスを十字架につけろと叫び求めるに至ったのです。


コンバージョン(注・01)
「罪人を神に忠実な者へ変える」という意味であったが、1400年代に宗教の「改宗」、そして一般的な「変更」「転換」と言った意味を持つようになった。
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山上説教  60 正しい断食とは 01 日本の教会は究極の断食「花嫁断食」を知らない

2023-07-22 04:00:00 | イエス・キリストの生涯  マタイによる福音書
マタイによる福音書
◆断食するときには
6:16 「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。

偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。

彼らは既に報いを受けている。

6:17 あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。

6:18 それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。

そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」


先回、日本の教会では断食はかなり軽視されていることを指摘しましたが、

それは断食よりも教会で会食する交わりが楽しいからでしょうか。

それとも断食は初代教会の出来事のように考え、

断食を定期的にしていくことは考えもしないという風潮ができてしまったからでしょうか。

マタイによる福音書を筆頭に共観福音書には、断食というキーワードが、

共観福音書

マタイ・・・7回

マルコ・・・3回

ルカ・・・・5回

そして

使徒言行録・3回

新約聖書合計 18回

ですが、共観福音書では、

今回の断食する時にあるような断食の基本姿勢と

もう一つマタイでは9章になりますが、

9:15 イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。

しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。


9章で詳しく語りますが、9章はまさに究極の断食について書かれている個所で、

まさに「花嫁断食」の箇所です。

断食がなぜ日本のキリスト教会でここまで軽視されているのか、

それは究極の断食である「花嫁断食」に目が開かれていないからです。


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