使徒言行録
5:33 彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。
5:34 ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、
ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、
使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。
5:35 それから、議員たちに向かってこう言った。
「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。
5:36 というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、
彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者は
みな散らされて、あとかたもなくなりました。
5:37 その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、
民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちも
みな散らされてしまいました。
5:38 そこで今、あなたがたに申したいのです。
あの人たちから手を引き、放っておきなさい。
もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。
5:39 しかし、もし神から出たものならば、
あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。
もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」
彼らは彼に説得され、
5:40 使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、
イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ガマリエルは別の名をラビ・ガマリエル1世ともいい、
その名の意味は「神の報い」です。
サンヘドリンの指導者であり、タルムードによれば、
その長(ナーシー)としてラバン・ガマリエルとも尊称されています。
紀元63年頃に死去したといわれています。
派閥から言えば、パリサイ派に属し、律法学者ですが、
普通の律法学者と違い、この人物、はすべての人に尊敬されている人で、
使徒パウロの恩師だといいます。それは
使徒言行録
22:3 「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。
と書かれているからです。
しかも、ユダヤ教学界では最も人気のあったヒルレル学派に属し、
そのヒルレル学派を開いたラビ・ヒルレルという人の孫に当たる人でした。
普通のユダヤ教の律法学者を先生という意味の
「ラビ」という敬称を用いましたが、特に偉大なラビは
「ラバン」と呼ばれていました。このラバンと呼ばれた教師は
ユダヤ教の歴史においても数人しか存在していませんが、
そのラバンと呼ばれた最初の人がこのガマリエルでした。
ユダヤ教の古い伝承の本に、「ラバン・ガマリエルが死んで以来、
もはや律法への尊敬はなくなってしまった。
同時に、純潔と節制も絶えてしまった」と記されているほどの人なのです。
彼はそれほど尊敬されていたのです。