家庭とはたとえどのような問題を持つ子供でさえも愛され、ゆるされるところです。
それでは関連聖書をみましょう。
ルカによる福音書
◆「放蕩息子」のたとえ
15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
ヨハネによる福音書
14:18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る
ヤコブの手紙
3:17 上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。
憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。
【解説】
日本語では「出来損ない」という言葉があり、最初の聖書の引用は有名な「放蕩息子」のたとえです。
イエスのたとえ話の中でも、もっとも有名なもののひとつで多くの芸術作品のテーマとなっています。
レンブラントやホントホルストなど、北ヨーロッパのルネッサンスの多くの画家たちが
この主題を取り上げ描いています。
全体を通して「Lost and Found」は父の言葉としてルカの福音書のなかで二度使われていますが、
そこから遺失物取扱所、落とし物届、の意で使われるようになりました。
また「失われていたが見いだされた」という言葉は、無条件の神の愛によって救われる
罪深い人間の救済を表すメタファーとなり、
奴隷貿易の商人から転じて牧師となった
ジョン・ニュートン作詞の賛美歌「アメイジング・グレイス」(注・01)の歌詞にも使われています。
アメイジング・グレイス」(注・01)
アメリカ合衆国で最も慕われ愛唱されている曲の一つであり、
『第二の国歌』とまで言われる。日本においても、映画・ドラマ・アニメ・CM曲などで多用されるなど、
讃美歌の中では最もよく知られた曲の一つである。
Amazing grace!(how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.
驚くべき恵み(なんと甘美な響きよ)
私のように悲惨な者を救って下さった。
かつては迷ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える。
(ウィキ)
それでは関連聖書をみましょう。
ルカによる福音書
◆「放蕩息子」のたとえ
15:11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
15:12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
15:13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
15:14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15:15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
15:16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
15:17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
15:18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
15:19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
15:21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
ヨハネによる福音書
14:18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る
ヤコブの手紙
3:17 上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。
憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。
【解説】
日本語では「出来損ない」という言葉があり、最初の聖書の引用は有名な「放蕩息子」のたとえです。
イエスのたとえ話の中でも、もっとも有名なもののひとつで多くの芸術作品のテーマとなっています。
レンブラントやホントホルストなど、北ヨーロッパのルネッサンスの多くの画家たちが
この主題を取り上げ描いています。
全体を通して「Lost and Found」は父の言葉としてルカの福音書のなかで二度使われていますが、
そこから遺失物取扱所、落とし物届、の意で使われるようになりました。
また「失われていたが見いだされた」という言葉は、無条件の神の愛によって救われる
罪深い人間の救済を表すメタファーとなり、
奴隷貿易の商人から転じて牧師となった
ジョン・ニュートン作詞の賛美歌「アメイジング・グレイス」(注・01)の歌詞にも使われています。
アメイジング・グレイス」(注・01)
アメリカ合衆国で最も慕われ愛唱されている曲の一つであり、
『第二の国歌』とまで言われる。日本においても、映画・ドラマ・アニメ・CM曲などで多用されるなど、
讃美歌の中では最もよく知られた曲の一つである。
Amazing grace!(how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.
驚くべき恵み(なんと甘美な響きよ)
私のように悲惨な者を救って下さった。
かつては迷ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える。
(ウィキ)