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台湾食材 BETHESDA KASHIWA

美味しい台湾食材をはじめ何だかんだ日々のこと書き綴ります。
クリスチャンファミリー

ガソリン160円時代突入2021年8月20日

2021-08-20 23:18:39 | 祈り
 ガソリン160円時代突入2021年8月20日 「ガソリン160円時代突入」と ニュース記事を最近見たが・・・ ナゼ????? それでもガソリン税の重ね取りをいまだに しているのだろうか? 結果 運搬費の高騰(こうとう)に繋がり 物価の高騰へと繋がって行く コロナ過 コロナ過を理由に 産業が病んで いる時に 経済までも 死亡率を高めて よいのだろうか? 先日 ある高齢者が仕事を探しに行ったら 今のコロナ過にあって 高齢者の仕事は 「ビルの管理の仕事」か「道路警備の仕事」 「清掃員」しか無い 「あればイイほうだ」 と言われたという 他の仕事はどれも 若い希望者が殺到していて 高齢者は仕事がなかなか見つからないから 紹介も出来ない と言われたそうである それだけ逼迫(ひっぱく)した時代にあって 日本は 不用なマスク1枚と10万円 だけなのだ ろうか? 消費税も動かず ガソリン税も下がらず おまけに 税金の最速ばかりがコマメに届く 便乗するようにN丸Kまで自宅訪問! ・・・ 思わず「サギ」と思ったゼ 食べるに苦しく 動くに苦しい時代にあっても 警察は ノルマ達成なのか 上げ足取りか! 最近 いたるところに うようよ  一時停止だ シートベルトだと 夜中の電車も無い 時間に踏切でなにしているの? と 立っているような気がするし! 人情 仁義 はもう無くなったのか? そんなことが呟き漏れる この頃である https://07nose.wixsite.com/bethesda-kashiwa
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葦のかご教会水曜讃美祈禱会(2021年7月14日)能瀬熙至兄弟
https:// www.youtube.com/watch?v=VX9rfrrNJhA
 
 
【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be

【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always andForever
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be

【賛美】あなたが共に
Seekers (Together with God
당신이 함께
Eng,Kor sub)
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=xTuqgreT0hg&feature=share

【賛美】善き力にわれ囲まれ
By loving forces
선한 능력으로,ENG/KOR sub
covered by Seekers
Eng,Korsub)
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=2tCshyJunSM
 
 
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2021年8月18日(水)純福音千葉教会「黙示録17章18章」_日本語

2021-08-20 19:03:41 | 祈り
2021年8月18日_水曜聖書勉強会_日本語
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十二)チョープローゼル( 暖かい湖 ) 「哀しき夕陽、作者 能瀬敏夫」より

2021-08-20 07:48:17 | 祈り
 十二)チョープローゼル( 暖かい湖 ) 「哀しき夕陽、作者 能瀬敏夫」より       列者が着くと、プラットホームから大分離れたところで、伸び上がるようにして取っ手につかまり、歩哨に押し上げられて乗り込んだ。 客室は二段になっていて、上段の空いている所に身体を捻じ曲げるようにして入り込むと、歩哨と向き合って座った。歩哨は私の監視役としてついてきたのだが、また、私の案内役でもあった。 下の席から上がってくる煙草の煙りと共に、男女の甲高いロシヤ語が交錯した。 大部分が労働者らしく、座席いっぱいに身体を伸ばしたり、そんな喧騒の中に円くなって寝込んでいる者もいる。 そんなロシヤ人の中にたった一人日本人がいるのに、特に注目するでもなく、列車は闇の中を鈍い振動を残して走り続けた。 私はポケットからマホルカ( 茎煙草) をつまみ出して歩哨にあごをしゃくると、彼はズボンのポケットから皺くちゃな新聞紙を取り出した. 二人はマホルカを上手に包み、その端を唇で湿し、指先でしごくと、不恰好だが煙草になった。赤い火が走り、甘辛い香りが口いっぱいに広がり、煙となって吐き出された。 ときどき窓を掠めて鈍い灯りが見えたりしたが、あとは暗さが果てしなく続いているようであった。 五、六時間も走ったであろうか、列車が止まり、歩哨に続いて私も大地に降り立った。中年女性の丸々と肥えた赤ら顔が、カンテラを上げると、列車はそのまま私ら二人を残して走り去った。急に茫漠たるシベリアの大地が足元に広がり、例えようもない不安が私を襲った。 歩哨は何度も来た事があるらしく、自動小銃を斜めに背負うと「ダワイ」と、つぶやくように下を向いて歩き始めた。全く人気の無い大地だが、暗さに目が慣れてくると、おぼろげながら道路の輪郭が見え、厳しい寒さの中にも樹々の若葉が匂うようであった。  ここは、チョープローゼルと言う所である。「暖かい湖」と、言う意味らしいが、何処にも湖らしい風景は見えず、霞の向こうには深い森が続いているように思われた。  病院は駅から三、四十分のところにあった。 既に真夜中なのだがぼんやりと灯りが見えた。その点在する灯りの広さから判断すると、随分細長い建物のようであった。  衛兵所の小窓を開けて、歩哨が二言、三言話すと、予め連絡がしてあったと見えて、すぐ中に入れられた。玄関に入ると消毒薬の匂いがつんと鼻をついたが、それはほっとする程身に沁みる、かつての懐かしい病院の匂いでもあった。  驚いたことに、白衣を着た日本人の看護婦が現れ、当然のように私を病室に案内した。  私は彼女を目で追いながら、ポケットをさらう様にしてマホルカを摘み、唖然として彼女に見とれている歩哨のポケットに入れた。彼ははっとしたように視線を逸らし、照れ臭そうにあごをさすると、にやりと笑ってその手を私に差し出した。私はその若者らしい大きなごつい手を握り返し、そのまま胸の辺りで小さく振って看護婦の後に続いた。  病室には三十程のベッドが並び、心地よい室温にみんなぐっすり寝込んでいるようであった。手続きは明日にするからと、とりあえず体温をとることになった。 「皆さんは何処の部隊でありますか 」  と軍隊調で問うと、目のくりくりとしたまだ少女さの抜けきらない看護婦は、「私等は孫呉の病院ですよ」と、言った。 「ああ孫呉ですか、孫呉ならよく私のところからも患者を送りました。私はチチハルの病院です」と、急に親しみが湧き、懐かしさが溢れてきた。  彼女はちょっと目を大きく開いたが、すぐ平静に戻り、「どうぞ」と、体温計を受け取ると鉛筆を握りなおし、急に「あらっ」と、私の顔と見比べ、「もう少し入れて下さい」と、不満そうに押し戻してよこした。  私は「いいです、もう熱は無いんです」と、覚悟を決めた。  彼女はきょとんとして「でも…」と、もじもじしていたが、気をとり直したように「では休んでください」と、ベッドの襟を直すと、不思議そうに首を傾げながら廊下に消えた。  何か、昨日までのことが嘘のようにほっとした気持ちと、まぁ、なるようになるさ、と、自分に言い聞かせる不安な気持ちとが交錯して、ベッドの上で長々と、伸び上がるようにして頭の下に手を組んだ。  カーテンのない枕元の窓ガラスに、樹々の枝が風のように揺れるのが見え、いつか私は夢の中に入っていった。  目を覚ますと、朝陽がいっぱいに溢れていた。一斉に朝の検温が始まった。昨夜は少女のように見えた看護婦が、今朝は尼僧のような落ちつきがあり、急に近寄り難いものを感じたが、彼女の口元から出る何気ない事務的な声の響きを、私は思わず目をつぶって深々と味わった。  当然のことながら、今朝も体温は平常であった。しかし、新患であると言うことで特別に診察があった。診察とは言っても、日本人の若い軍医が聴診器を当てて、触診をするだけのことで、要するにそれだけで可能な範囲の診断ということであった。  検温表に目を通し、しきりに心音を聞いていた軍医が、「まぁいいか」と、ひとごとのように言って、「二、三日入院して様子を見ましょうよ」と、言った。  後ろに続いた婦長が寄ってきて、「丁度良かったわ、大丈夫でしたら、この病室の室長をやってくださいよ」と、言う。  要するに、朝の体操に始まり、食事や伝達事項、病室の掃除、検温の補助、朝夕の点呼、その他諸々に関するこの室の指揮を取ってくれ、と、言うわけである。  そんなことで、私にとっては入ソ以来久々に平穏な日々が続いた。  最初軍医は、二、三日と言っていたのに、それが五日となり、一週間となって、漸く退院が決まり、病院の裏側にあったゼムランカ( 宿舎) の訓練隊に入ることになった。  訓練隊は、退院して作業に参加するまでの体力づくりの場であったから、シベリア各地から、何らかの疾患を経て、辛うじてここまで来た者達の溜まり場であった。  勿論、完全に治癒した者もいるが、内科的疾患の場合は、触診で分る場合は別として、あとは熱が平静に戻った時点で此処に集められるから、慢性病、神経的疾患、神経痛は因より、心肺に関する疾患も、一定の期間を経過して平熱が認められると、自動的に退院措置が取られるようであった。だから、とても完治したとも思われない兵もいて、そんな兵は、作業を外れて、それで無くとも薄暗いゼムランカの土間に、気だるそうに動いていた。  しかし、健康を取り戻した者にとっては、ここでの作業は、農作業、ペンキ塗り、公園の掃除、公共施設の便所掃除といった具合に、比較的軽作業であったから、本来の作業に比べると天国であった。 ただ、全くの他国者同士の集団であったから、集団としての統制がとりづらく、作業の割り振り、グループの編成なども難しいが、ゼムランカに戻ると、その暗がりでは、いつも正面に背を向けて、独りでごそごそと何かをしている者が多かった。  本部には、予め各地の作業場から、作業員の要請が溜まっているらしく、一応回復したと判断された者は、突然のように三人、五人とトラックに乗せられて、何れかの作業場へと送り込まれていった。  そんなとき、突然私も呼び出されて院長の前に立った。ソ連の軍医少佐である院長は、私を見詰め、手元の書類と見比べながら言った。「ノーセ」と、目で確認してから、「ダモイ、ダモイ」と、私を指差し、通訳を通じて話し始めた。  意外にも、私らを日本へ帰すと言うのである。入院以来の模範的行動を認め、特に日本側軍医の推薦があったので、それを院長である少佐が承認し、特に今回のダモイグループに入れると言うのである。  私のほかにも十二名の兵が選ばれたので、彼等は喜びを懸命に堪えて私の左に整列した。  私は、この十二名を指揮して故国に向かうことになった。  院長は私に、「妻はいるか 」「両親は元気か 」と、聞いた。「敗戦後の日本は大変だが民主化のために頑張れ」とも言った。  私の中に、ぼんやりと夢とも現実ともつかない思いが広がっていった。  本当かもしれない、いや、まさか  院長が去ると、周囲で成り行きを見ていた兵隊がどっと寄ってきた。みんなが羨ましがり、伝言を頼むと、予め用意していたらしい 小さく書き込んだ紙片を渡す者もいた。まさか、と、まるで信じない者もいたが、徐々に彼らの目の色も変ってきた。  日本側軍医が推薦し、それを院長が承認すると言う格式ばった行事はかつて無いことで、何か信憑性がありそうであった。 (シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された 「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。 「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」) https://07nose.wixsite.com/bethesda-kashiwa
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