台湾食材 BETHESDA KASHIWA

美味しい台湾食材をはじめ何だかんだ日々のこと書き綴ります。
クリスチャンファミリー

十)凍土のゼムランカ「哀しき夕陽、作者 能瀬敏夫」より

2021-08-16 21:25:35 | 祈り
  十)凍土のゼムランカ「哀しき夕陽、作者 能瀬敏夫」より             見渡す限り荘漠たる雪野原であった。ここがこの貨車の終着点だと言うが、シベリアの大地に降り立つと、匂うような寒気が地を這っていた。 みんな身の回りのものを持って隊列を整え、歩哨の隊長があごをしゃくるのを合図に、うっすらと雪に埋もれたシベリアの大地を、ラーゲルに向かって行進する。途中に丸太造りの民家があった。それを飾る唯一のもの、小さな窓に白いカーテン、ソ連労働者の新婚家庭なのかも知れない。 ラーゲルはここでも三重の鉄条網に囲まれ、その中に幾つかのゼムランカ(半分土に埋もれた建物)が、やはりうっすらと雪をかぶって寒々と並んでいた。 既に先客がいるらしく、彼らは驚いたように我々を見る。何れも弱々しい兵隊で、主力が作業に出た後の、取り残された病弱者なのかもしれない。 情報将校が来て、名簿を受け取ると早速入所を促した。門扉が開かれ、その両側に歩哨が並び、こちら側では先頭から順に身体検査が始まった。持ち物を全部前に出して、頭の先から足の先まで、物入れ、衣服の縫い目、帽子の中、靴の中、手袋まで調べ上げ、めぼしいものは全部取り上げて積み上げた。 彼等は上官の目を盗んで、珍しいものはさっと自分の懐に入れる。その素早さには驚くが、上官は見ているのか、見ていないのか、或いは役得と心得てみて見ぬ振りをしているのか、しきりに積み上げられた宝の山の管理に余念がない。 さて、身体検査が終わった順に入所となる。入所は必ず四列に整頓して入るように、との注意があった。四列の基準が少しでも崩れると、員数を数える歩哨の頭の中が混乱するらしく、何度も繰り返し四列に並ばせ,一、二、 三、四と数えてゆく、途中出四列が参列になったりすると、真っ赤になって怒り又最初からのやり直しである。それでも何度か立ち止まって頭の中で数字を調整しているらしく、辛うじて員数計算を終了して名簿の数とあったときは、本当に嬉しそうに拳を挙げて見せた。  哈璽浜からはるばる持ち込んだ余分な衣服、万年筆、お金、写真、ノート、時計、印刷物は全部取り上げられ、私も万一のためにと布製のバンドに縫い込んだ相当額の日本紙幣や、これだけは大切にもち続けようと雑脳の背中の部分に縫い込んだ同人誌「潤田」も、そっくり其の侭取られてしまった。「潤田」には敗戦下の哈璽浜で悲嘆や絶望の中から書き綴ったみんなの詩や歌や随筆などが掲載されていて、当時を偲ぶ何よりの資料であった。  あまりにも何から何まで取られてしまうと逆にほっとして、ここまで来ては観念するより仕方がないと、上下の軍服だけの身に殻になった雑脳を無造作に握り、歩哨が居並ぶ収容所の門を胸を張る思いでくぐった。オブルチア第一ラーゲルへの第一歩である。 このラーゲルには八百名ほどの日本人が収容されて居るらしく、さすがに所内は整然として日本人らしい几帳面さが窺われた。  本部があって、そこでは日本人幹部が常時ソ連側将校と作業の打ち合わせや、人員の配置などに気を配っているとのことであった。 しかし、此処は私らにとって意外にも仮のラーゲルに過ぎなかった。翌日私ら凡そ二百名は、更に数十キロ離れた日本人が初めて踏み入るという奥地オブルチア第二分所へと移動するのである。 哈璽浜以来同行した多くの戦友と別れの挨拶もせず、誰が残り、誰が同行するのかも分からぬままに、呼び出された者から順にトラックの人となり、荒地のままの急造の道路を転がるようにして奥地に向かった。 第二分所はこの道の尽きるところ、川のほとりにあった。多くの収容所が川のほとりにあるのは、逃亡を阻止するための、彼らが数度の失敗から学んだ智恵でもあった。 既に先遣隊が作業をしているらしく、私らを引き取りにきたナチャーニック( 監督)が、  今車輌が通り抜けた道路も、途中の伐採も、ゼムランカ(半土中の宿舎) も、数軒見える民家風の丸太小屋も、全て彼らの労働力によるものだ。と、トラックの上で、踊るような振動に耐えながら通訳を通じて教えてくれた。  第二分所は比較的小規模の収容所で、所長は青い目の如何にも都会育ちらしい洗練された青年将校のように見えた。やはり第一分所と同様に頑丈な三重の鉄条網に囲まれているが、ゼムランカも僅か二棟だけで、その他に小さな急造の建物が幾つか雑然と並んでいた。  ゼムランカは半分土に埋もれているので、入り口を入るとはっとする程暗く、一段下ってその正面の一番奥にペチカがあり、土間の通路を挟んで左右に、夫々丸太で組んだ二段の休息の場が続いている。 電灯が無いので暗くなると、ブリキ缶に油を入れて、これに布をたらして火をつける。 このブリキ缶を、入り口と、中央と、一番奥につるしてあるが、暗さに慣れるまではなかなか歩行も困難であった。 その日の夕食は、「今日は特別だよ」と前触れつきで、作業から戻ったばかりの先発の連中が飯上げをしてくれた。 間もなく所長が巡回に訪れて、随行の日本人通訳が「今日はみんなのお祝いに、特別ご馳走を提供してくれた」と、自慢そうに報告した。所長はそれに応えて何度も頷いたが、栗色の髪と透き通るような肌の白さ、それにブルーの澄んだ目が幾分私らの心を和ませてくれた。 目の前に並べられた食器代用の缶詰の空缶 には、籾殻つきの半雑炊が盛られていた。 「これがご馳走かよ」  藤根が思わず口走った。今まで病院で比較的まともな食事をし、貨車でも油脂入りのきらきらした飯を食べていた我々には意外であった。 「いただきまぁす」  古い連中はそんな私らにお構えなくこの飯を食べ始めた。本当にうまそうにこの籾殻を口に含むと、口の中で何度か転がし、プッと吐き出す。すると中身は口の中に残って、籾殻だけが地面に散った。  私らもやってみた。何と口の中でいつまで経っても籾殻は分離せず、だから半噛みのままもみと一緒に米までが地面に吐き出される。  古い連中が食べ終えて、その三倍も時間を掛けながら、しかもまるで食事をした感触がない、これは大変な処へ来たものだ。と、実感した。  何といっても私らと同行した連中はおっとりしているから、食べ物にもあまり深いこだわりがない。ところが、それが見事に変転して餓鬼の心境になるまでには、たった一日の労働を経験することで実感するのである。  パンの分配には掟のようなものがある。それを知らされたのはその翌日のことであった。あの麩の多い黒パンは美味いと思う。しかし、あの円形の分厚いパンを等分に分けるのは、正に至難の業である。しかもそれには次のように、彼等自身が生み出した侵しがたいルールがある。 一、先ずこの分厚く円い黒パンを、割当て人数分に平等に切ることから始まる。 二、次に一見平等に切ったパンを、班の連中が見守る前にずらりと並べる。ところが、ここで「大体平等だからまぁいいや」と、満足するわけにはいかない。大体の形は平等でも、その密度によって夫々重さが違うからである。 予め用意した手製の天秤を前に、みんなが注目する目の前で、一個ごとに軽量をして全数の重さを同じにする。 ところが、「これで平等だから公平だ」と、考えるのはまだ甘い、重さが同じなら、やはり見た目の大きさに惹かれるからである。 三、そこで今度は、ずらりと並べたパンに、夫々一から順次番号の札を置き、当番がその札の半片を、見えないように缶の中 に入れて待つ。 しかし、そこで「よし、これなら公平だ」と、やたらにその札を引くわけにはいかない。今度はその札を引く順番による運不運が影響しそうな気がするからである。 四、番号札を引く順番は、毎日確実に順繰りに移動する。当番は勿論最期に残される。最後に当番が札を引いて、その日の 責任全うすることになるのである。  これで今回のパンの分配は公平という意味で満足するのである。しかし、このパンの量も、その日の作業のノルマーの達成度合いによって違うから、伐採や、道路作業のような重労働で与えられたノルマーを達成することは、先ず不可能なのである。  例えば、道路作業に於けるその一人分の土を掘り下げるノルマーが一立方メートルだとする。それなら軽い、と思うのは早計である。 満身の力を込めて振り下ろすつるはし、凍えた土は粘力のあるコンクリートのように固く、時には土から火花が散るのである。  重労働における一○○%達成は正に至難であり、その達成率によってパンが減り、体力が低下し、更に労働力が低下する。そんな悪循環が自ら栄養失調を招き、それに耐え切れない者は眠るようにこの世を去る。しかしそれが今我々が進み得る唯一の道なのである。 (シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された 「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。 「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」) https://07nose.wixsite.com/bethesda-kashiwa
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2021年8月15日_純福音千葉教会「エステルの信仰(エステル14章10-17節)」日本語

2021-08-16 21:08:41 | 祈り
2021年8月15日_主日2部礼拝_日本語
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九)満州里からチタへ「哀しき夕陽、作者 能瀬敏夫」より

2021-08-16 02:12:20 | 祈り
 九)満州里からチタへ「哀しき夕陽、作者 能瀬敏夫」より 貨車の中の私ら十名ほどの小集団も、やがて帰国への夢が覚め、時々扉の隙間にすうっと浮ぶ月影の流れを背景に、東北弁の誰はばかることのない大声の会話が続いたが、実は頭の中の片隅ではみんな不安に神経を研ぎ澄まして、車輪を伝う鉄の響きをうつろに聞いているのである。 広軌の鉄道だから揺れは少ないが、更に速度を遅くしているのは、この貨車の上を絶えず屋根から屋根へと移動する歩哨への配慮らしい。この寒風を切って走る貨車の上に人が居る。それだけでも信じられないことなのに、彼らは平然と銃を抱えて、走行中の列車の上で終夜の立哨をするのである。 しかし私らもかつて、満州の東の果て東安で初年兵としての教育を受けたときは、小雪が舞う衛庭に並ばされ、ストップウォッチを片手に号令する助教兵長の合図で、さっと素手を寒風にさらし、その指の先からしんしんと痛くなり、みるみる青白く凍結するのを見て、心に水を掛けられた思いがしたものである。 「これが限界だと思うものはバケツに手を入れろ」 バケツの中の冷たい水が、ほっとする温もりのように、やがてじわじわと何とも例えようのないむず痒い痛さが、頭の芯を傷めたものである。 たしかに訓練をすることによって、何秒か或いは何分かの我慢は続くようになる。ところがどうだろう、彼らシベリアから入ったソ連の兵隊は、平気で寒風の中で顔を荒い、素手で馬の手綱を握るのである。この極寒の地にいて、彼らの耐寒力は一種の兵器的役割を果たすのではないかと思ったほどである。 いま貨車の屋根に、こつこつと足音を残して隣の貨車に移る兵の、この常識破りの耐寒力は、彼らの神経の図太さそのものにもつながるのである。 貨車は長いうねりとなって、時折その後尾の灯りか扉の隙間から見え隠れした。 満州里はその語音の通り哀愁を帯びたソ満国境の街である。かつて此処では常時両軍の歩哨が対峙して相手の動きに神経を集中し、夜になると、何処からとも無くあがる無数の証明弾に激烈な情報の模索が行われたところである。そしてこの滔々と流れる黒竜江を渡ると、そこは既に寒気も一層厳しいシベリアの一部なのだ。 突然急ブレーキが鳴り、貨車ごとの連結音が前方から後方へと音をくねらせて移動すると、がくんと急停車し、自動小銃のけたたましい音が夜を裂いて鳴り響いた。 貨車の屋根の上を、後方へと走る歩哨の慌ただしい足音が去ると、更にひとしきり銃音が響き、はたと静寂が蘇った。 すると、後方からロシヤ語のざわめきが聞え、それが怒声となり、徐々に私らの貨車にも近づいてくる。 ソ連との国境い黒竜江を目の前にしての出来事である。誰もが一度は頭に描きながらその決行を諦めていたことを、いま黒竜江を前にして実行した奴らがいるのに相違ない。 歩哨の重い足音が駆け寄ると、扉の外からのぞきこんで、「全員数がわかるように並べ」と言う。その外套の白く凍えた鼻当てから更に白い鼻息が煙のように揺れた。 まだ童顔のその少年兵は、辛うじて数を確かめると得意気に、身振り宜しく今の銃声の顛末を説明した。そして「お前らは止めろよ」と云うと、防寒手袋の拳を挙げて誇示して見せた。 その歩哨の話では、隣の貨車の換気窓から三名が脱走したと言う。勿論貨車の上片隅の三十センチ四方程度の窓だから、一人ずつ逆さに落ちて脱出したに違いない。誰だろう、無事に成功してほしい。それにしてもこの皓々たる月明の中でよくも決行したものだ、国境を過ぎると万策は尽きるので、その前の最後の決断に賭けたのであろう。 歩哨は、「三名とも俺等が射殺した」と、自動小銃を肩に当てて片目をつぶったが、この月明では或いは本当にそうかも知れないと思った。 再び貨車はがくんと重い響きを残して動き始めた。ひとしきり走ると間もなく轟音が響き、冷たい空気がさっと入った。 鉄橋だ。黒竜江だ。国境だ。 どろんとした黒い水のうねりが海のように不気味に続いている。みんなが扉の隙間に上から下へと顔を並べて外を見た。藤根がドラム缶を引き寄せると一番上から見下ろして、がっかりしたような声を上げた。 「こりゃぁ、駄目だ」「やっぱす駄目だわ」  橋桁を数えるようなリズミカルな騒音が暫く続くと、急にどすんと重い走りに戻り、ここからがシベリアなのだ、と、互いに顔を見合わせた。  これで、一縷の望みは完全に絶えた。「お前らはダモイだ」「日本へ帰すのだ」と、云い続けて貨車に載せたソ連兵の、それにしてもあまりにも分り切った嘘をよくも言い続けたものだ。と、それに一縷の望みを託した自分の心の浅はかさを棚に上げて思うのである。  うとろうとろとしていると、夜の底から甲高い女性の声が聞え、気がつくと貨車は完全に停止していた。国境を越えて最初の停車駅である。 「もう脱走は出来ないと思って止めやがったなぁ」、呟くように誰かが言った。 砂利を踏む足音が遠くから近づき、カンテラの光が見え隠れした。暗がりに良く見ると、赤ら顔の中年女性の着膨れた外套が黒く油に光っていた。 その女性にズドラースト「こんにちは」と声をかけると、彼女はカンテラを上げて「ダモイ、ダモイ」「帰国だ、帰国だ」と、黄色い歯を見せた。 「何がダモイだ」と、土橋が怒鳴った。 彼女がカンテラで車輪を照らし、ハンマーを振り下ろすと、甲高い金属音が寒さに震えるようにこだました。とりあえずソ連領に入って最初の形ばかりの点検であった。 そこからひとしきり走ると再び貨車は停止し、歩哨が次々と扉の錠前をはずしていった。飯上げである。 扉を開けると、既に明け始めた空が広々と大地を覆っていた。雪はうっすらと地面に残る程度だが、その寒さは強烈で、思わず鼻をひくつかせて冷たい空気を吸い込んだ。 あらかじめ与えられた員数表で飯の分配である。飯バックを貨車ごとに並べると、一号車から順に受領者を確認しての分配が始まった。飯は白米に油脂を炊き込んだのでキラキラと光り、万一日本に帰れる日がきたら、是非とも真似てみたいと思うほどのうまさであった。 斉藤が、「バックを返納するときは、必ず水をいっぱい入れて返納すること」と、大声で怒鳴った。水は豊富だが絶え間なく汲まないと凍結するので、蛇口の前は長い列になり、運ばれた水は五右衛門風呂のような大釜に入れて、次の炊き出しのために準備した。 やがて夜となり昼となり、こんな飯上げを何回か繰り返したが、この飯上げ時だけが各車輌間の情報交換の場でもあった。みんなが飯上げに夢中になっている間に、隣りの貨車の指揮官に近寄ると、声を潜めて昨日の脱出劇のいきさつを聞いた。 決行したのは本田伍長以下三名だったと言う。私らが想像した通り、換気窓の有刺鉄線を潜り抜けて逆さに落ちて脱出したらしい。 この辺の地理に詳しい開拓団の出身者が先導を買って出たと言うから、もし撃たれていなければ、脱出は成功したかも知れない。と説明してくれた。それにしてもこの厳しい寒気の中を本当に逃げおおせたのであろうか。 飯上げが終わると、それから暫くは我々休息の時である。みんな中段に胡坐して車座になると、いつもの通りおらが村の自慢話である。青森出身の大橋が、大分禿げ上がった頭に手を当てて云った。「藤根のおっかぁは、芸者上がりの美人だっつうもなあ」、すると藤根が、更に禿げ上がった頭を光らせて、「そうでもないってばぁ」と、照れた。 彼らはみんな補充兵だから、何れも私よりも十歳以上は年上である。夫々故郷では専門の大工であったり、長年農業を続けた村の有志であったり、料理屋の旦那であったり、いわゆる妻も子もある一家の主である。それが私を「親父」と呼ぶのだから困ってしまう。 「親父、大阪屋さ唄わせてけろよ」  大阪屋は秋田県出身の農家だが、土に親しんだ皺だらけの顔と、実直そうなその細い目 は彼の年輪を物語っている。 「大阪屋いっちょういくか 」  声を掛けると、間髪をいれずみんなが拍手する。大阪屋の顔に似合わぬ美声は、民謡「江差追分」となって嫋々として、鉄の扉を伝い寒風に吸われていった。  やがて、シベリアはチタ駅を通過するはずである。 (シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された 「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。 「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」) https://07nose.wixsite.com/bethesda-kashiwa
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2021年8月15日土浦グレイスキリスト教会の主日礼拝です。ーそのあかしは真実である。

2021-08-16 01:23:58 | 祈り
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