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台湾食材 BETHESDA KASHIWA

美味しい台湾食材をはじめ何だかんだ日々のこと書き綴ります。
クリスチャンファミリー

三)炎えるカンナ「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」より

2021-08-12 15:22:05 | 祈り
 三)炎えるカンナ「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」より  昭和二十年八月九日ソ連の参戦により、関東軍司令部から受けた第一報は、午前0時二十分であった。院内には急に緊迫感がただよった。翌朝私は早速マーチョ(馬車)を駆って満州中央銀行に走った。  正面玄関の植え込みに真紅のカンナが咲き乱れて、既に真夏の太陽が照りつけていた。あらかじめ連絡をしておいたこともあって、顔見知りの中国服の少女が別室に案内してくれた。この建物はかつて馬占山がこの地を制圧した頃に建築したもので、その豪華さは目を見張るものがあった。角材を敷き詰めた床は石のように重みがあり、逢瀬様の一段高い床の間風の所には、いきいきと目を輝かした虎の剥製が空を睨んでいた。  既に用意していた風で、当時の金で三十万円という大金を受け取ると、待たせたマーチョに飛び乗って病院に向かった。市内の埃っぽい喧騒は平常と変わりないが、何か目に見えない重苦しさが、この乾いた空気いっぱいに溢れていた。  病院にやがて一キロという地点で急に町中がざわめき立ち、ふと見上げると遥か稜線を飛行機雲が流れ、それを認めた瞬間、重爆発音がずしりと腹に響いた。ついに来るべき時 期がきた。永い年月を仮想敵との闘いに明け暮れていた私たちが、それに幾分慣れ始めた今、そんな自分の考えを根底から覆すような現実が目の前に迫ろうとする。  黒煙が上がり馬が大きく前脚を上げると、その前の土が見事にえぐられて宙に舞った。 ソ連機が北満の古都斉々哈璽に落とした最初の爆弾であった。  病院に帰ると院内は僅か三時間前とは比較にならぬ緊迫感で、廊下を小走りにすれ違う衛生兵や看護婦の顔が青白く引きつっていた。  第一回の伝達士官の報告によると、「各部隊は全力を挙げて迎撃せよ」と、いうことであった。要するにこの地にとどまってソ連軍の攻撃を阻止せよ、ということである。そして一方当病院の今後について考えると、おそらく夥しい負傷者が前線から送られてくるに違いない。その前に現在入院中の患者を後送するのが差し当りの急務であった。  午後になると北大営の野砲大隊から、「院内の戦用倉庫付近に野砲陣地を構築したい」との申し入れがあった。院長は熟考の末「赤十字条約で保護されている院内に陣地構築はまずい」と拒否し、野砲隊は止む無く病院前の連兵場楡林に構築することになった。  ところで赤十字条約とは一体何だろう、あんな条約無視の突然の参戦国に、果たしてその条約が本当に通じるのであだろうか、院長の内科医らしい真面目な判断に疑問を投げかける者も多かったが、一方世界が決めた赤十字条約なるものの重みが、それ程大きいのかも知れない、きっとそうなのだ、と、そっと腕章の赤い十字に触れるのであった。  十日未明、再び激しい炸裂音が響き渡り、そんな中で十一日、十二日の夜間、在院患者を二梯団に分けて後送することが決められた。  そうこうするうちに海拉璽の病院から後送された患者及び家族の一団が着のみ着のままで到着し、開戦当初の驚きとすさまじさが、彼らの放心したような表情からも窺われた。  途中あまりの混雑に子供とはぐれてしまったという若い母は、衛生兵に抱えられながら何度も後ろを振り返り、よろよろと隊列の後ろから続いた。如何に突発的に激しい戦闘が続いたのか、彼女等の半狂乱の、しかも言葉を全部飲み込んでしまったような固い表情から、想像するのも怖い思いであった。 出発の前夜、私は週番勤務の日であった。 週番肩章をかけると院内一巡した。どこの病室も出発の準備で大童であった。外科病棟を抜けるとそのまま外に出て裏山にのぼった。日没の後の稜線が、暗くなる瞬間を捕えて流れるように美しい、おそらくこれがこの裏山にのぼる最後になるに違いない。私は蒸れるような草の匂いに目を閉じた。この山の麓から寄せてくる満人のひしめき音は変らないが、真夏の夜をうそのように爽やかな涼風流れていた。  私は間もなく病棟に戻り巡回を続けた。「明夜の出発が決定した」と、田村曹長からの連絡が入り、私らは差当たり不要な重要書類は全て焼却するために整理を始めた。  机の中を整理し、金庫の中も、書棚も戦略に関わるものは全て集積して焼却を依頼した。空洞のようにがらんとした経理室に座り、それでも新しさに向かう期待感のようなものが満ちてくるのを感じた。  我々の出発は八月十四日に決定した。既に後退した後の残された全ての患者と行動を共にすることになった。 病院から列車への輸送は夜に入り暗黒の中で行われた。時々ソ連機の爆音が上がり、照明弾が流れ星のように夜を裂いた。そんな中に定められた通路を担架が黙々と往来した。歩ける患者は毛布を抱え、衛生兵と看護婦の懸命の作業が夜を徹して続けられた。私らが去ったあと再びこの病院は野戦病院としての機能を続けるに相違ない、その為の心配りも必要である。機械器具の設置場所を明示し、保有糧抹や酒保商品についても表示した。経理科の金庫の中も全部整理して「検討を祈る」と誰へともなくメモを置いた。 私たちの出発は十四日の深夜になった。前線から送られてくる負傷兵や家族の様子から容易ならぬ事態になったことを実感したので、全ての私物を放棄し、幾分気分はさっぱりした。 出発の命令も暗黒の中で口伝により行われた。のろのろと動き出した列車のデッキに若い母親が狂った表情で空を見詰めていた。衛生兵が抱き抱えて車内に入れても,すぐ又すり抜けるようにデッキに出て、暗黒の空を見詰めていた。それは正に自分の子供を失った自分への怒りのようでもあった。 列車は動いては止まり、動いては止まり、暗黒の世界を模索しながら進んだが、途中どこからともなく様々な情報が流れた。満軍の反乱があったらしい、匪賊の襲来だ、その都度列車は止まり、ざわめき、機関車が吹き出す煤煙が頬をなでた。 哈璽浜の駅に着いたのは十五日の早朝であった。私達は更に南下して通化に向かう予定であったから、哈璽浜はそのための通過点と心得ていたが、そんな我々を意外な情報が待ち受けていた。天皇の玉音があったというのだ。 先発で、既に南下しているはずの前の梯団が、まだ哈璽浜の引込線上に居ていち早くその情報を届けてくれた。そしてその情報は激しい水の流れのように全員に浸透した。唖然と宙を見詰めるもの、その場にへたへたと座り込んでしまうもの、「うそだ…うそだ…」と自らを戒めて怒声をあげるもの、しかしそれが実感として心に沁みるまでには、それ程長い時を必要とはしなかった。 先ず瞬間的に考えたことは、最後に残された機密書類の焼却であった。そして事態がどのような変化をたどるか、まるで想像も出来ない、そのことへの不安であった。 病院関係者にはその時点でカプセル入りの青酸カリが渡された。戦争は終わった、しかし、更に一歩死に近づいたのだ。そしてそれは闘うこととは別の意味をも含んでいた。 プラットホームに書類を積み上げて火をつけた。黒煙が上がった。その黒煙と共に張り詰めた若者の心が、そのまま昇天するようであった。もう何でも焼いてしまいたい、そんな衝動に駆られて手当り次第に焼いた。手帳も雑脳も、腹に巻きつけた千人針まで抜き取って焼こうとした。ふとその肘を強く抑えられて振り向くと、そこに青白い化身のような顔があった。目には哀しみをいっぱい溜めて、その見開かれた目の奥に何ものをも許さない怒りが燃えていた。その目の奥の静かな怒りが今私らがやるべきことを教えてくれた。私らが今なすべきことは何だろう、多くの患者と共に先ず生きることではないのか。   私は兵四名を連れて、哈璽浜市内の状況を偵察に出掛けた。駅前に出ると群集がさっと道を開け、その先の広場の中ほどに死体がぶざまに転げていた。日本人女性なのだ。私は突然頭を殴られた衝撃を覚えて思わず身構えると、背筋の方から敗戦の実感がうずを巻いて燃え、そして冷えていった。 駅前通りには群集のデモが続いていた。何か大声でわめきながら手を上げると、一斉にわあっと声を合わせ、その列はみるみる膨れれ上がった。私らは銃を構えてその列に進んだ。列ははじかれた様に二つに割れ、散っていった。しかし、直ぐそのあとでデモ隊は吸い寄せられるように塊となり、怒声がいっそう大きく渦を巻いた。駅前通から自段街に出て、キタイスカヤを過ぎる頃には、デモの隊列は私らの後ろに長々と続いた。  彼らはもう私らを怖れてはいない。しかし、まだ私らが抱えている銃への怖れはある。一巡して街中が極めて我々に不利な状況にあることが確認された。  南崗への出発命令が下ったのは既に午後も夕暮れ時になっていた。南崗には満鉄の社宅があり、多くの日本人が住んでいたので、何か新たな情報が聞けるのかも知れない。  隊列を組んで出発した。全員が銃を持ち刀を持ち、拳銃を持っているので、民衆は大きく道を開けた。私は先頭にたって黙々と歩いた。突然ここまで行動を共にした李君と張君がうつむき加減に近づくと「私らは別行動をとりましょうか」と話し掛けた。何れも心を許した朝鮮国籍の部下だった。日本軍の中にいることの危険を感じたのかも知れない。或いは、このままこの隊列にいることが、我々の行動の妨げになると考えたのかも知れない。私は振り向きざま「何をいうか、ついてこい」と大喝した。彼らは隊列に戻り気まずい行進が続いた。  私は歩きながら直ぐ後悔した。南崗に着いたら潔く握手をして別れよう、と心に呟いた (シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された 「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。 「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」) https://07nose.wixsite.com/bethesda-kashiwa
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葦のかご教会水曜讃美祈禱会(2021年7月21日)能瀬熙至兄弟
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【賛美】主の計画の中で
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