一杯の水

動物であれ、人間であれ、生命あるものなら誰もが求める「一杯の水」。
この「一杯の水」から物語(人生)は始まります。

「バガヴァッド・ギーター」シャンカラ註 序章(2)

2005年12月04日 15時16分07秒 | インド哲学&仏教
「バガヴァッド・ギーター」シャンカラ註 序章(2)をアップいたします。
「序章(1)」よりも、分かりやすいのではないかと思います。


ヴィシュヌ神としての彼自身に属し、3種のグナによって構成されている根本原質(ムーラ・プラクリティ)であるマーヤー、〔それ〕を支配している主、彼の自性は、不生、不滅、そして被造物の主宰神にして、永遠、清浄、知性、そして解脱であるが、彼御自身のマーヤー(幻力)によって、あたかも誕生し、肉体を持ち、この世に恩寵をもたらすかのように顕現なさったのである。
自分自身には益なきことであったにもかかわらず、生きとし生けるものを満足させるために、悲しみと迷いの大海原で苦しむアルジュナに、ヴェーダの2種の宗教の知識を分かち与えたのである。その宗教は、徳の高い者が理解し実践して初めて大いに栄えるのである。主によって教示されたその宗教は、全知にして崇拝されるべきヴェーダ・ヴィヤーサ仙が、ギーターと呼ばれる700の偈に編纂したのである。
この良く知られたギーター聖典は、全てのヴェーダ聖典の教えの要約にして精髄であり、その趣意を理解するのは難しい。いくつかの〔注釈書に〕よって、語句、語句の意味、文の趣意、そして論理が詳説されているとしても、普通の人々によって、多様で矛盾した教義の集成として理解されていることに私は気がついた。〔それゆえに〕私は、正しい判断に基づき、正確な意味を確定するために、簡潔な註釈書を書いているのである。
要するに、広く世に知られているこのギーター聖典の目的は、その根本原因も含めた輪廻(サムサーラ)の、完全なる停止を特徴とする最終的な至福(解脱)なのである。そして、それは、全ての行為の完全な放棄、すなわち、サンニャーサに基づく、アートマンの知識への定着を主題とする宗教(dharma)を通して、達せられるのである。

そこでまた、〔バガヴァッド・〕ギーターの趣旨であるこの宗教に言及して、主御自身が〔マハーバーラタ中の〕アヌ・ギーターで次のように語っている。
「なぜならば、かの宗教は、ブラフマンの状態を悟るために、掛け値無く相応しいものだからである」(「マハーバーラタ」アシュヴァメーダ篇 16.12)
「〔彼には〕法(dharma)と非法(adharma)、幸福と災いは無い。」(同上 19.7)
「沈黙と、思考の途絶えた唯一の座に没入する彼」(同上 19.1)
また、「放棄の特徴を持つ知識」(同上 43.23)

ここ(バガヴァッド・ギーター)でもまた、最後に、アルジュナに対して次の様に語られている。
「全ての宗教的儀礼(dharma)を捨てて、私にのみ帰依しなさい。」(18.66)

行為の特徴を持つ宗教の道は、人々の繁栄を願って、カーストと四住期に関して規定されている。そして、それはまた、〔転生によって〕神々の座〔を得ること〕や、それに類するものを得る手段なのである。それにもかかわらず、もし、〔行為の特徴を持つ宗教の道を、〕主に捧げる気持ちで実践し、結果に対する望みを抱かなければ、それは純粋な心をもたらす。そして純粋な精神は、知識に専心する能力を得る手段となることによって、そして、知識が生ずる原因となることによって、最終的な至福(解脱)を獲得する原因にさえなるのである。それ故に、これと同様の趣旨を念頭において、主は語る。
「ブラフマンに諸行為を捧げて」(「バガヴァッド・ギーター」5.10)
「ヨーガ行者達は行為をなす。全ての執着を捨てて、自己を清めるために。」(同上 5.11)

ギーター聖典は、最終的な至福(解脱)を目標としているこの2種の宗教を表明する。特に、それは、ヴァースデーヴァ(=クリシュナ)として知られている至高の真理、至高のブラフマン(parabrahman)の本質を主題として明示し、〔解脱を〕特別な目的とし、〔求道者に、この書物のなかで目的を達成する手段を指し示すという〕関係性を備えている。その趣旨を会得することによって、〔徳・実利・愛・解脱という〕人生の全ての目的の成就が確実となる。私(=シャンカラ)はそれを説明しようと企てているのである。(序章 完)

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当ブログのメインサイト「Hinduism & Vedanta」にも、ぜひお立ち寄りください。

「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯と講演集」以外に、「イーシャ・ウパニシャッド」のシャンカラ註や、「シャンカラの伝記の絵本」、また「インドの漫画」や、インド神話の宝庫である「バーガヴァタ・プラーナ」の翻訳などをアップしています。
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2 コメント

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いつも読んでくれてありがとう! (便造)
2005-12-06 00:55:29
「バーガヴァタ・プラーナ」と、「バガヴァッド・ギーター」が似てるのは当然といえば当然なのです。

「バガヴァット」という言葉は聖者や神々に用いられる尊称で、特にヴィシュヌ=クリシュナを指します。(仏教では「ブッダ=世尊」のこと。)

ということで、クリシュナを崇拝する人々をバーガヴァタ派と呼び、彼らの聖典として「バガヴァッド・ギーター」が編まれ、また、創造神話や伝説などを集成して「バーガヴァタ・プラーナ」が出来たのです。



と、こんなところでどうでしょうか?

「プラーナ」に関しては、メインサイトの「バーガヴァタ・プラーナ 解題」をご覧くださいね。目下、解題の翻訳が中断していますが・・・^_^;
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初歩的なことですまんのぅ・・・ (吟遊詩人)
2005-12-05 21:51:07
バーガヴァタ・プラーナと、ヴァガヴァッド・ギーターって、なんか名前も、中身も似ているような気がするんですけれど、で、いつもゴッチャになってしまうんですけれど、「簡単に」、どっちがどういうものなのか、説明してちょ。

すっかり、忘却の彼方なんで・・・(^_^;)

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