妻はカレーにじゃがいもの代わりにさつまいもを入れることがある。毎回ではないけど、かなりの頻度で。
正直、あまり美味しいとは思わない。
でも、妻は、辛いカレーの中の甘いさつまいもが絶妙だと言って実に旨そうに食べる。
それを見ると、美味しくないとは言えない。
カレーの時、さつまいもが入っていると、少しいやだなと思うけど、黙って食べていた。
まあ、いいか、息子も何も言わないところをみると気に入ってるのだと思うし。
先日、妻と息子の三人でカレーの話しになった。
息子「お母さん、カレーにさつまいも入れるよね、あれ、あまり美味しくない」
妻「え~ 美味しいじゃない! (僕を見て)ねえ!」
同意を求めてきた。
少し考える。
ここで、うんと答えると、引き続きさつまいもの入ったカレーが食卓にのぼるだろう。
でも、実はあまり美味しくないとはいいにくい。
「ねえ!」
再度、同意を求めてくる。
申し訳ないけど、やっぱりカレーにはじゃがいもが美味しい。
この一瞬の決断いかんで、その後のカレーライフを大きく左右する。
たとえ妻の機嫌を損ねても、快適なカレーライフを選び、旨いカレーを堪能するか、それとも、多少の味覚の好みには目をつむり、いつも食卓を用意してくれる妻の気持ちを優先させるべきか?
ここで「旨い」と答えると、やっぱりさつまいもはあまり美味しくないと言う機会は、二度とやってこないかもしれない。
食卓にカレーがのぼる度に、今日はじゃがいもでありますようにと祈ることを繰り返しながら残りの人生を過ごすことになるのだ。
「実はあまり好きじゃなかった」
言ってしまった!
「ふ~ん、そうだったんだ」
少しふくれた表情をしたけど、案外あっさり引き下がってくれた。
もっと早く言うべきだったのかもしれないけど、どうしても食べられないというレベルではない。
できれば、という欲目であり、こういう場合、伝えるべきかどうかは難しい。