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以下は、曹洞宗の檀家さんである読者さんからの質問に答える形での記事です。問題発生当時、すでに記述した内容ですが日本の宗教界にはびこる壊国勢力撲滅のためにも、再び記しておきます。
【小川寛大】韓国での曹洞宗「謝罪碑」建立問題の行方[桜H24/10/24]
懺謝文(全文)
われわれ曹洞宗は、明治以後、太平洋戦争終結までの間、東アジアを中心にしたアジア地域において、海外開教の美名のもと、時の政治権力のアジア支配の野望に荷担迎合し、アジア地域の人びとの人権を侵害してきた。また脱亜入欧のもと、アジアの人びととその文化を蔑視し、日本の国体と仏教への優越感から、日本の文化を強要し、民族の誇りと尊厳性を損なう行為を行ってきた。しかも仏教の教義にももとるようなこうした行為を、釈迦牟尼世尊と三国伝灯の歴代祖師の御名のもとに行ってきた。まことに恥ずべき行為というほかない。
われわれは過去の海外伝道の歴史の上で犯してきた重大な過ちを率直に告白し、アジア世界の人びとに対し、心からなる謝罪を行い、懺悔したいと思う。
しかし、それはかつて海外伝道に従事した人たちだけの責任ではない。日本の海外侵略に喝采をおくり、それを正当化してきた宗門全体の責任が問われるべきことはいうまでもない。
さらにまた、曹洞宗が一九八〇年に出版した『曹洞宗海外開教伝道史』が、過去の過ちに対して反省を欠いたまま発刊され、しかも同書の本文中において過去の過ちを肯定したのみならず、時には美化し賛嘆して表現し、被害を受けたアジア地域の人びとの痛みになんら配慮するところがなかった。かかる出版が歴史を語る形で、しかも過去の亡霊のごとき、そして近代日本の汚辱ともいうべき皇国史観を肯定するかのような視点で執筆し出版したことを恥と感じる。
また同時に、このような書籍の出版が太平洋戦争後三十五年を経てなされたということについても、重大な罪の意識を感じざるをえない。何故ならばそれは、宗門が明治以後、ある時は国家に阿諛(あゆ)迎合し、ある時は積極的に国策に荷担して戦争協力を行い、アジアの民衆に塗炭の苦しみを強いてきたという事実について、なんら反省することもなく、その責任すらも感じていなかったということに他ならないからである。
「歴史とは、過去と現在の間の尽きることを知らない対話である」といったのは、歴史家E・H・カーであるが、遺憾ながらわが宗門はこの対話の努力を怠り、過去の歴史に今を問いかけ、過去の歴史に学びつつ自らの座標軸を糾そうとする姿勢を持つことなく今日に至った。われわれは一九四五年の敗戦の直後に当然なされるべき「戦争責任」への自己批判を怠ったのである。
曹洞宗は、遅きに失した感は免れぬとはいえ、あらためてその怠慢を謝罪し、戦争協力の事実を認め、謝罪を行うものである。
われわれは「戦争責任」の重大性を認識し、アジアの人びとの痛みの上に立って、一九八五年二月以来、『曹洞宗海外開教伝道史』の文言の一々について徹底した読み直しを開始し、同書の随所に「民族差別による差別表現」「国策・皇民化政策荷担の事実への省改なき表現」が見られ、同書が歴史の書として誤った歴史認識によって執筆されているのみならず、抑圧された人びとの人権の視点を欠いており、人権擁護を推進しようとするわが宗門の立場と相矛盾するものであることを確認し、同書を回収し、廃棄処分することとした。
また、われわれはこの書籍の誤った歴史認識と差別表現を指摘したが、それは同書の誤りを指摘するのみでなく、歴史への反省を怠り、戦争責任を回避してきたわが宗門、及びわれわれ全宗門人にこそ向けられるべきことはいうまでもない。
思うに、仏教は、すべての人間が仏子として平等であり、如何なる理由によろうとも他によって毀損だれてはならぬ尊厳性を生きるものである、と説く。しかるにその釈尊の法脈を嗣受することを信仰の帰趨とするわが宗門が、アジアの他の民族を侵略する戦争を聖戦として肯定し、積極的な協
力を行った。
特に朝鮮・韓半島においては、日本は王妃暗殺という暴挙を犯し、李朝朝鮮を属国化し、ついには日韓併合により一つの国家と民衆を抹殺してしまったのであるが、わが宗門はその先兵となって朝鮮民族のわが国への同化を図り、皇民化政策推進の担い手となった。
中略
われわれは、重ねて誓う。二度と同じ過ちを犯さない、と。そして、過去の日本の圧政に苦しんだアジアの人びとに深く謝罪し、権力に組みして加害者の側に立って開教にのぞんだ曹洞宗の海外伝道の過ちを心より謝罪するものである。
一九九二年十一月二十日
曹洞宗宗務総長 大竹 明彦
・・・・・ここまで
軍部に加担したことへの懺悔の形を取ってはいますが、全体を通読すれば、自虐史観に基づき、韓国側の捏造擁護となっています。
一例を上げれば、日本は朝鮮の言葉を奪ってはいず、創氏改名で朝鮮の人々の名前を奪ってなどいません。拙記事で複数回、今に残る資料を添えつつ検証しました。
李氏朝鮮の属国化も嘘。それまで中国の属国であった朝鮮を開放すると共に、李氏朝鮮に拠る圧政から民衆を解き放ったのです。
日本は自国から持ち出しで、朝鮮のインフラ整備、学校の建設他、多大の寄与を持って、韓国近代化の礎を築いてあげたのです。
曹洞宗僧侶 一戸彰晃氏が韓国に謝罪の碑を建てる。
以下、聯合ニュースより
韓国南西部、全羅北道群山市の群山近代歴史博物館は26日、同館で「群山の近代文化、そして日本の仏教」をテーマに第1回韓日学術セミナーを28日に開催すると明らかにした。
東国大学の金浩星(キム・ホソン)教授の日本仏教史研究所と同館が共催するセミナーでは、韓日の学者8人と関係者らが参加。近代日本仏教の朝鮮半島侵略加担についてや、群山近代文化遺産の保存と活用のための議論が行われる。
特に、曹洞宗僧侶で青森県の雲祥寺住職、一戸彰晃氏が発表者として出席する予定で注目を集めている。
一戸氏は日本が朝鮮半島を侵略する過程で曹洞宗が加担した罪を反省し悔いる意味で、昨年9月に同市の東国寺に懺謝(仏教用語で許しを請い謝ること)文を刻んだ石碑を建てた。
以上転載。
上の写真は今年7月に釜山に建立した記念碑だ。
日本は朝鮮を植民地支配などしていないが、一戸彰晃は朝鮮半島を植民地支配したと謝罪する石碑を建てた。
一戸彰晃氏は、韓国東国寺にも曹洞宗総長名で懺謝文を建てています。
以下は非難を浴びた後、曹洞宗宗務庁による弁明
「懺謝文」全文の掲載休止と再掲載について
1、掲載中止から再掲載にいたる経過
9月10日 | 群山聯合ニュース配信「日本の曹洞宗韓国の寺に植民地支配謝罪の碑建設へ」 (上記報道に関係する、質問・意見・抗議等の反応多数) |
9月12日 | 曹洞禅ネット公開の「懺謝文」全文閲覧ファイル掲載休止 問い合わせ等への電子メール回答を順次配信 |
9月14日 | 「韓国メディアにおける一部報道について」中で、「懺謝文」載休止の告知 (人事部文書課 広報係発) |
10月16日 | 「懺謝文」全文閲覧ファイル再掲載 |
2、「懺謝文」を守るための暫定的な避難措置
9月10日、韓国の群山聯合ニュース等の報道後、さまざまな反応が曹洞宗宗務庁に寄せられました。電話やファックス、曹洞禅ネットへの意見のほとんどは、韓国の東國寺石碑建立と曹洞宗役員出席という事前情報に対する強い非難と撤回要求でした。これらの反応に対しては、実名で連絡先が明らかな方に対しては、9月12日夕方から一部誤報である旨を回答しましたが、その中で危険な兆候を発見しました。
それは、「懺謝文」本文そのものへの誹謗中傷を含む極端な論調が増加しつつあったのです。私どもが大切にしている「懺謝文」が不特定多数の、それも悪意のある人々によって無制限に拡散されて、もはや曹洞宗が制御できない規模と水準で攻撃対象となる危険性が確認できたのです。
このような事情から、9月12日夕方から緊急に「懺謝文」全文閲覧ファイルの掲載休止措置を講じ、ホームページ上には14日にその告知をしています。
「懺謝文」が現在でも曹洞宗の公式見解であるならば、その反応とくに誹謗中傷を一切顧慮することなく、閲覧ファイルを堂々と掲載しつづけるべきだというご批判は正論です。しかし、書籍・文書等の手段によるお互いの名前と顔の見える関係性であればともかく、インターネット等を介した匿名のそれも悪意と敵意だけのアクセスや無責任な煽動はいったん広がってしまえばそれを収束することは事実上不可能になります。
私たちは、「懺謝文」を二度と表明できないような最悪の事態を避けるために緊急的に閲覧停止措置をとりました。この措置が万全で非のうちどころのないあり方であったとはいえませんが、最悪を避けるために何がその時に必要かを考慮しての措置でした。
3、「懺謝文」の継承と発展
曹洞宗は今後も「懺謝文」の精神を継承し、行動を通して発展させていきます。20年前の文書ですから、その解釈や現実への適用については、不断の検討を加えていくことは当然のことです。曹洞宗では差別問題への指摘と学習を通して、教義自体も点検してきました。「懺謝文」にもさまざまな問題点や課題があることはこれまでも識者によって指摘されています。「懺謝文」も金科玉条に固定しておいてよいはずはありません。
いかなることがあっても、この「懺謝文」を撤回したり修正したりするのではなく、この歴史文書は保全しつつ、それに替わるものについては新たな見解を加えていくことになります。
この「懺謝文」全文をお読みいただいて、不愉快に感じられる方や歴史認識等において異議のある方もいらっしゃることは承知しております。この文書は曹洞宗の宗旨や教義そのものではなく、行政責任者の公式見解でありますから、各々の思想信条においての判断までを拘束するものではありません。
・・・・・・ここまで
要するに曹洞宗としての自虐史観を今後も持ち続ける、という表明です。
宗教が政治的言語を発した瞬間から、特定思想を奉じる結社に変貌します。
檀家の中でも事実認識により意見が分かれることを、宗門が主張すること自体が間違っています。
青森県・雲祥寺の一戸彰晃ssi。
曹洞宗の檀家の人々は、とりわけ雲祥寺の檀家の皆さんはこの一戸彰晃ssiを許すべきではありません。もし真剣に日本を思うなら。
備考
「懺謝文」(さんじゃもん)=日本曹洞宗が1992年11月20日付で発表した同教団の戦争責任見解と謝罪表明ですが、それがあたかも日本が全て悪かったとする日本人毀損の文言になっています。
「懺謝」とは仏教語の「悔過(けか)」「懺悔(さんげ)」と同義です。
「懺悔」と「謝罪」を合わせた語で、おのれの罪過を悔い、謝りゆるしを乞うことを意味する。
カトリック神父の日本毀損
(2018-07-18 02:29:04 | 売国奴)
無記名Unknown は読まぬままハネます。
内容要約のタイトルを入れ他とかぶる可能性のないHNを記名の上、ご参加ください。
文章の一部をHNに代用すること禁止。「匿名」「通りすがり」など
極力受け付けません。
異論反論歓迎、しかし一定の知的レベルに満たないコメントは、最初は極力公開しますが、それ以降は読まぬままハネます。
施設の患者様に志摩で海女さんやってた方がいまして・・・今は日本人の海女さんは少ないそうです。ほとんどが朝鮮人だそうです。
朝鮮人を何度も連呼するので笑ってしまったのですが。。
鳥羽か志摩の海女さんは韓国の海女さんと交流会あるらしく韓国にも行ったそうです。
よく無事に戻って来れたなと思いますが。
韓国人はな・・とため息ついていました。笑
ただ、今のお寺を見ますと酒の飲み過ぎで糖尿病やら。あまりありがたみがわきませんので彼岸や盆のお参りは辞退してます。
臨済宗は、とりわけ問題がないと思います、
曹洞宗を筆頭に、最悪なのが以下、
小泉純一郎総理の時代に、総理と閣僚の靖国参拝に反対を申し入れた連中です。
*総理・閣僚による靖国神社公式参拝を中止されますよう強く要請いたします。
平成18(2006)年8月4日
真宗教団連合
浄土真宗本願寺派 総長 不二川公勝
真宗大谷派 宗務総長 熊谷 宗惠
真宗高田派 宗務総長 生柳 光壽
真宗佛光寺派 宗務総長 大谷 義博
真宗興正派 宗務総長 藤井 浄行
真宗木辺派 宗務長 吉川 恵教
真宗出雲路派 宗務長 平 弦月
真宗誠照寺派 宗務長 櫻井 徳良
真宗三門徒派 宗務長 黒田 昌英
真宗山元派 宗務長 佛木 道宗
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これら、もはや仏教徒ではありませんね。左翼集団、中に朝鮮人が入り込んでいるかもしれません。
曹洞宗や浄土真宗は、解放同盟とも関係があるようです。
問題 - 国民が知らない日本の危機
http://www18.atwiki.jp/nihonnkiki/pages/94.html
一戸さん、いい加減なことを触れ回っているようです。
もう、意図的に日本を毀損しているとしか思えないレベルですね(国民の敵)。
日本人僧侶が軍用コンドーム『突撃一番』を寄贈…慰安所の存在を立証する貴重な資料
http://blog.livedoor.jp/ttongsulland/archives/1477371.html
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高潔な人柄であったと言われる道元禅師は、今の惨状をどう観ておられるのでしょうか。
永平寺開創と正法の宣揚~道元禅師の御生涯と大本山永平寺4
http://tenzo.net/dogen4/
玄明首座の真相 - つらつら日暮らし
https://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/4c19c0197f983f4b9c65ddd3c108b36a
家の中には各所に神棚があり、御1日(おついたち)十五日のおつとめを欠かさず、「人は一代、名は末代」が口癖だった祖母。
日本人全体としてもう一度、神道の精神に立ち返る時期が来たのではないでしょうか?
祝詞も知らない日本人が増えてきた今の世、通販もどきの新興宗教や草加などに騙される人が多いのは、日本人が神を捨ててしまったせいです。
オカシナ坊さん、麻原、足裏診断教祖、草加トップ、こんな人々にしてやられたのも、日本人の自業自得かも。
1992年の大竹宗務総長の懺謝文、ひどいものですね。しかしあの頃は南京大虐殺や慰安婦問題など日本の保守が総攻撃を受けていた頃ではなかったでしょうか。私も朝日新聞ファンでした、時代の空気は恐ろしい。
うろ覚えで申し訳ないのですが、数年前、なんで曹洞宗はフランス発祥の人権教育に熱心なんだと曹洞宗侶に聞いたことがあります。彼によると、ある世界宗教者会議があって、曹洞宗の代表者が曹洞宗には差別はないという趣旨の発言をしたそうです。するとBの戒名は差別じゃないかと騒ぎ出したものがいた。世界は差別でできているから次々と文句が出てきた。それら騒ぎを収めるために出したのが懺謝文のようです。
続く説明文では組織防衛に必死です。村山談話に政府が苦慮してきたことと瓜二つ。そして宗門内で人権教育が始まった。
部外者から見ると、宗教者会議なら大乗仏教の原理、差別即平等を世界の宗教者になぜ説教しないんだろうと思う。改宗させるのが布教だろ、宣教だろと。
でも考えてみてください、彼らも日本人です。他人を変えようとは思わない。まず相手の心を傷つけないように心配りする。論争に勝ってはいけない。宗旨の核心を傷つけられないよう政治文書として言い訳する。宮内庁と似ているかも。
「近頃の若いものは自由を履き違えておる、彼らは人の迷惑を考えない、本当の自由とは何かわかっていない。自由には責任が伴うのだ。」と説教する文章を時々見る。自由、Freedom, Libertyには勝手気儘という意味しかない、責任という観念はついてこない。自由は不完全な用語と知って、なぜ初めから自由と責任、責任と自由のセットで教えないのか。
差別も同じで、世界は差別でできている。だからものが識別できる、違った音が聞こえ、夏があり冬が来る。差別のどこが悪い
液体には水もあり油もある。差別は悪い平等であるべきだと言う人はなぜ石油を飲まないのか論理的に説明すべきだ。平等で何が悪い。
大乗仏教は言葉のトリックをよくわかっていて、差別即平等、平等即差別という、一方の単語だけでは不完全だから。曹洞宗の坊さんなら知っている。
一神教的思考のせいだろうか、自由や差別や平等や責任を一単語だけ取り出して論ずることが多い。そのことがすでに論理のトリックなのだが。
曹洞宗は奥が深すぎて全体像を捉えきれない。外から見てわかることは、道元禅師の事績、禅師作の正法眼蔵、永平寺等での坐禅修行に支えられた教団であるということ。政治的活動は控えているはずだけれど、百軒の檀家があれば二百票、無関係というわけに行くだろうか。
真冬の永平寺にお参りしたときは、修行僧の足早に廊下を渡る素足の裏が赤く染まっていたのを
幼いながらに 清廉とした眺めと記憶に留めたものです。
日本の魂を汚す輩は仏罰天罰落ちるべきです。
微力ながら、この生臭坊主、断固として抗議します。
怒涛の更新、貴重な情報をありがとうございました。
実家の寺の跡取りとして、仏教系の大学に進むのが普通なのですが、そういう大学を出たわけでもなく、跡取りでもないが、修行を済ませて坊主の資格を得て、跡取りのいない寺にうまく婿入りする。
その目的だけで、寺の娘と見合いを繰り返していた本願寺派の見習い坊主がいました。
葬儀で異質な感じでしたので、実家のお寺を聞いてみたところ、親は教師で寺とは無縁だが、同様な仲間が結構いて修行することが出来たと言ってましたから、驚いた次第です。
80年代の中核や革マル派という様子で、後日うまく婿入りしたと聞きましたから、こういう左翼・反日が、坊主になっているのです。
まして当時の若者が、一人で計画的に宗教関係に進もうと考えるのは普通ではないはずですから、組織的に狙ったとしか思えません。
普通の檀家の人達は、住職は当然日本人であり、代々住職の家系と思っていますから、出自が怪しげなど疑うことは殆ど無いと思います。
どこかの寺の次男三男が婿入りしてきたとしか思いません。まして在日だとか、アナーキストだとか、テロリストだとか考えません。
牧師も同様のコースがいますね。
反日左翼が実益を兼ねて、一般的に信用されやすい宗教人を隠れ蓑にしているだけだと思います。