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プロコル・ハルム

2023-06-15 00:24:15 | band

                            Procol Harum 1975

プロコル・ハルム
 Procol Harum



活動期間
  1967年~1977年
  1991年~2022年



メンバー
 <ピアノ>
  ゲイリー・ブルッカー/Gary Brooker(piano, vocal)在籍1967~1977, 1991~2022

 <オルガン>
  マシュー・フィッシャー/Matthew Fisher(organ, vocal)在籍1967~1969, 1991~1992, 1993~2003
  クリス・コッピング/Chris Copping(bass, organ)在籍1969~1977, 1997
  ピート・ソリー/Pete Solley(organ, piano, synthesizer, violin)在籍1976~1977, 1997
  ドン・スノー/Don Snow(organ)在籍1992
  ジョシュ・フィリップス/Josh Phillips(organ)在籍1993, 2004~2022

 <ギター>
  レイ・ロイヤー/Ray Royer(guitar)在籍1967
  ロビン・トロワー/Robin Trower(guitar, vocal)在籍1967~1971
  デイヴ・ボール/Dave Ball(guitar)在籍1971~1972
  ミック・グラバム/Mick Grabham(guitar)在籍1972~1977,1997~2000
  ティム・レンウィック/Tim Renwick(guitar)在籍1977, 1991
  ロビン・トロワー/Robin Trower(guitar)在籍1991
  ジェリー・スティーヴンソン/Jerry Stevenson(guitar)1991
  ジェフ・ホワイトホーン/Geoff Whitehorn(guitar)在籍1991~1996, 2000~2022

 <ベース>
  デヴィッド・ナイツ/David Knights(bass)在籍1967~1969
  アラン・カートライト /Alan Cartwright(bass)在籍1971~1976, 1977, 1997
  ディー・マレー/Dee Murray(bass)在籍1977
  デイヴ・ブロンズ/Dave Bronze(bass)在籍1991~1992, 1993, 1997
  ローレンス・コットル/Laurence Cottle(bass)在籍1992
  マット・ペグ/Matt Pegg(bass)在籍1993~2022
  
 <ドラムス>
  ボビー・ハリソン/Bobby Harrison(drums)在籍1967
  B.J. ウィルソン/B.J. Wilson(drums)在籍1967~1977
  マーク・ブレゼジッキー/Mark Brzezicki(drums)在籍1991~1992, 2000~2006
  イアン・ウォーレス/Ian Wallace(drums)在籍1993
  グラハム・ブロード/Graham Broad(drums)在籍1995, 1997
  ヘンリー・スピネッティ/Henry Spinetti(drums)在籍1996
  ジェフ・ダン/Geoff Dunn(drums)在籍2006~2022

 <作詞>
  キース・リード/Keith Reid(lyrics)在籍1967~1977, 1991~2016
  ピート・ブラウン/Pete Brown(lyrics)在籍2016~2022


     
     Procol Harum 1969


 プロコル・ハルムはイングランド出身のロックバンド。デビュー曲「青い影」の世界的な大ヒットで知られている。
 クラシックやブルースから大きな影響を受けた独自の作風を持っている。とくにクラシックとロックの融合を実現したその音楽性は、プログレッシヴ・ロックの源流のひとつとも言われている。

 
 プロコル・ハルムの前身は、イングランド出身のR&Bバンド「パラマウンツ」である。
 パラマウンツは、当時ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)に「最高のR&Bバンド」と称賛されたほどのバンドだったが、ヒット曲に恵まれず1966年9月に解散する。
 パラマウンツのピアニスト兼ヴォーカリストだったゲイリー・ブルッカーは、バンドの解散後にプロデューサーのガイ・スティーヴンスの紹介で詩人のキース・リードと出会い、リードが作詞、ブルッカーが作曲を担当してデモ・テープを共同制作するようになる。
 1967年1月、ブルッカーとリードはメロディ・メーカー紙に新バンドのメンバー募集の広告を出した。これに応じて採用されたのがレイ・ロイヤー(guitar)とデヴィッド・ナイツ(bass)だった。そして同じ時期に、ブルッカーとリードの制作したデモ音源が認められ、デラム・レコードと契約を交わした。
 この頃マシュー・フィッシャー(organ)は、メロディ・メイカー紙に自身の採用を売り込む広告を出していたが、これを見たブルッカーが連絡を取り、1967年2月にフィッシャーの採用が決まった。こうして「プロコル・ハルム」が結成されたのである。メンバーにふたりの鍵盤奏者と作詞担当者が名を連ねているが、これは非常にユニークな編成だと言えよう。

 なおバンド名は「Beyond these things」(こうしたものを越えて)を意味する不正確なラテン語で、プロデューサーであるガイ・スティーヴンスの飼い猫の名をもじったものと言われている。


 バンドは3月29日にロンドンのオリンピック・スタジオで「青い影」を録音。当時のプロコル・ハルムにはレギュラー・ドラマーがいなかったため、ジャズ・ドラマーのビル・エイデンが収録に参加した。この直後、ボビー・ハリスン(drums)がバンドに加わり、再び「青い影」が録音されたが、この時のテイクは採用されなかった。この時同時に録音された「ライム・ストリート・ブルース」は、「青い影」のB面に収録されている。

 「青い影」は、1967年5月12日にデラムよりデビュー・シングルとして発表された。
 ブルッカーのソウルフルな歌声とピアノ、フィッシャーのオルガン、哲学的な歌詞が非常に印象深いこの曲は、リリースされると同時に火がつき、イギリスでは発売後わずか2週間で38万枚を売り上げた。そして全英シングル・チャートを凄まじい勢いで駆け上がり、6月14日には1位となり、以後計6週連続1位を記録したのである。
 アメリカでもビルボード誌で5位まで上昇。そのほか西ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、カナダでも軒並みチャート1位となり、全世界で1,000万枚以上のセールスを記録する大ヒットとなった。

 この曲はバッハから多大な影響を受けており、「クラシックとR&Bの結婚」と絶賛された。なかでもジョン・レノン(ビートルズ)は、「今の音楽業界で、この曲以外は聴く価値がない」と、最大級の賛辞を贈った。また日本では荒井由実がこの曲を自身のルーツとし、これを聴いたのをきっかけに曲を自作するようになったと述べているほか、山下達郎は「レコードを買ったその日に100回は聴いた」と語っている。


 「青い影」は大ヒットしたものの、1967年7月には早くもメンバー・チェンジが行われた。レーベル側の意向でハリスンとロイヤーが解雇されたのである。ハリソンの後任にはB.J. ウィルソンが、ロイヤーの後任にはロビン・トロワーが迎えられたが、新メンバーのふたりはブルッカーのパラマウンツ時代のバンド・メイトであった。またバンドから離れたハリスンとロイヤーのふたりは、「フリーダム」というサイケデリック・ロック・バンドを結成した。
 1967年9月、アメリカでデビュー・アルバム『Procol Harum』が発表された。この後デラムからリーガル・ゾノフォンに移籍したが、1968年1月にゾノフォンからリリースされた母国イギリスでのデビュー・アルバムには、移籍に伴う契約上の問題から「青い影」は収録されなかった。


 1969年9月にはフィッシャーとナイツが脱退。その後任としてベースとキーボードの両方を演奏できるクリス・コッピングが加入する。コッピングもパラマウンツに在籍したことがあり、この時点でのプロコル・ハルムは、作詞のリードを除く全員がパラマウンツの元メンバーであった。
 この年発表したアルバム『ソルティ・ドッグ』は、初期の名作として評価されている。
 プロコル・ハルムはピアノとオルガンのツイン・キーボードという特異性を持っていたが、当時同じような編成のバンドとしてはザ・バンドやスプーキー・トゥースがあり、それぞれの類似点や相違点がしばしば話題となっていた。
 またこの頃はトロワーがジミ・ヘンドリックスに次第に傾倒するようになり、それに従ってバンド内でのトロワーのハードなギターの存在感も大きなっていった。


     
     Procol Harum 1977


 1971年に自分の音楽を追求するためにロビン・トロワーが脱退すると、バンドはブルッカーの持つクラシカルで重厚な音楽性に回帰するようになり、1972年にはカナダのエドモントン交響楽団との共演によるライブ・アルバム『プロコル・ハルム・ライヴ~イン・コンサート・ウィズ・ザ・エドモントン・シンフォニー・オーケストラ』を、翌73年には傑作『グランド・ホテル』を発表した。『グランド・ホテル』におけるラインナップは、ゲイリー・ブルッカー(vocal, piano)、クリス・コッピング(organ)、ミック・グラバム(guitar)、アラン・カートライト(bass)、B.J. ウィルソン(drums)、キース・リード(作詞)の6人であるが、以後約4年はこのメンバーで安定した活動を続けた。
 なお、1972年にはテン・イヤーズ・アフターとともに来日し、ジョイント・ライヴを行っている。


 1975年、当時ポップス・シーンに勃興していたAORの要素を取り入れたアルバム『プロコルズ・ナインス』を発表。
 1976年、『輪廻』の制作が始まったが、ゲイリー・ブルッカーはベーシストにクリス・コッピングを指名、オルガンにピート・ソリーを迎えた。このメンバー・チェンジにより、カートライトは1976年6月に脱退した。
 1977年2月に『輪廻』が発表された後、今度はコッピングが脱退したため、同年5月のアメリカでのプロモーション・ツアーのベーシストにはエルトン・ジョン・バンドのディー・マレーが起用された。しかしツアー終了後、ブルッカーを除く全メンバーが脱退を表明し、これを受けたブルッカーは「すべてをやりつくした」として、プロコル・ハルムの解散を決断した。
 1977年10月、プロコル・ハルムは最後の公演を行った。   



 1990年にB.J.ウィルソンが死去したが、これがきっかけとなって元メンバーのブルッカー、フィッシャー、トロワー、リードが集結し、哀悼の念をこめて1991年にプロコル・ハルムを再結成。ジェリー・スティーヴンソン(guitar, mandolin)、デイヴ・ブロンズ(bass)、マーク・ブレゼジッキー(drums)を加えて、14年ぶりの新作アルバム『放蕩者達の絆』を発表した。
 トロワー1991年秋には脱退したが、バンドはその後もライヴやアルバム制作など活動を続ける。2003年には再来日して四人囃子との共演を実現させた。


 2005年、フィッシャーが著作権を巡ってブルッカーとリードを相手に訴訟を起こし、印税を要求する。「『青い影』では、オルガン・ソロを書いただけでなく、ブルッカーの書いたオリジナルのコードに重要な改変を加え、2分36秒に渡ってオルガンで貢献している」というのがその理由である。しかしブルッカーは、「『青い影』はフィッシャーがプロコル・ハルムのメンバーになる前に書いたもので、フィッシャーはアレンジしたに過ぎない」と主張。
 2006年12月20日、高等法院はフィッシャーの訴えを原則として認め、40パーセントの著作権を認める判決を下した。ブルッカーは、この判決を受け入れられないとしてただちに控訴。
 2008年4月3日、控訴院は「青い影」におけるフィッシャーの貢献を認めながらも「フィッシャーにはそれに伴う印税は一切入らない」とした。
 2009年7月30日、貴族院は2008年の控訴審を覆し、フィッシャーの主張を認める最終判決をくだした。これによって法廷での争いは終わり、現在ではブルッカー、フィッシャー、リードの3人が「青い影」の作詞作曲者としてクレジットされている。
 なおこの2009年にはイギリスのBBCラジオ2で、「青い影」が「過去75年間最もオンエアされた曲」に選ばれた。


 2012年来日。この時は松任谷由実とのジョイント・ライヴを数か所で行って、話題になった。
 2017年4月、14年ぶりの新作アルバム『乙女は新たな夢に』を発表したが、このアルバムではクリームの作品に歌詞を提供していたことで知られるピート・ブラウンが作詞を担当している。
 2019年に行なったスイスでのライヴを最後に、コロナ感染症拡大の影響でツアーを休止していたが、その期間に3曲入りEP『Missing Persons(Alive Forever)』を録音(2021年5月リリース)。


 2022年2月19日、プロコル・ハルムの支柱であるゲイリー・ブルッカーが76歳で病没。ブルッカーの死去ともない、プロコル・ハルムはその活動を終えた。
 2023年3月23日、創設メンバーで作詞担当のキース・リードがガンのため76歳で死去。


 プロコル・ハルムは、「青い影」は歴史的なヒットを記録したものの、その類似作品を作ることをよしとせず、つねに革新的で独自性のある音楽を制作し続けたといえる。ロックとクラシックを見事に融合・昇華させた個性的な作風は異彩を放っており、いまなお彼らの音楽を評価する声は高い。


 1994年9月9日、イタリアのソルマーノ天文台でピエロ・シーコリとピエランジェロ・ゲッツィによって小惑星が発見されたが、この星は「プロコル・ハルム」と命名されている。もちろんバンド「プロコル・ハルム」にちなんだものである。


     
     Procol Harum 2007


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★コンピレーション・アルバム)

 <アルバム>
  1967年 青い影/Procol Harum
  1968年 月の光/Shine on Brightly
  1969年 ソルティ・ドッグ/A Salty Dog
  1970年 ホーム/Home
  1971年 ブロークン・バリケーズ/Broken Barricades
 ☆1972年 プロコル・ハルム・ライヴ~イン・コンサート・ウィズ・ザ・エドモントン・シンフォニー・オーケストラ
       Procol Harum Live with the Edmonton Symphony Orchestra
  1973年 グランド・ホテル/Grand Hotel
  1974年 異国の鳥と果実/Exotic Birds And Fruits
  1975年 プロコルズ・ナインス/Procol's Ninth
  1977年 輪廻/Something Magic
  1991年 放蕩者達の絆/The Prodigal Stranger
  1996年 The Long Goodbye
  1997年 Ain't Nothin' to Get Excited About(as Liquorice John Death)
 ☆1999年 BBC Live In Concert ※1974年録音
 ☆2000年 One More Time:Live in Utrecht, Netherlands, 13, February 1992
  2003年 ウェルズ・オン・ファイアー/The Well's on Fire
  2007年 Secrets of the Hive
 ☆2008年 One Eye to the Future -Live in Italy 2007
 ☆2009年 Procol Harum-In Concert With the Danish National Concert Orchestra and Choir
  2017年 乙女は新たな夢に/Novum

 <EP盤>
  2021年 Missing Persons(Alive Forever)※2019年録音

 <シングル>
  1967年 青い影/A Whiter Shade of Pale UK1位 US5位
  1967年 ホンバーグ/Homburg UK6位 US34位
  1968年 クワイト・ライトリー・ソー/Quite Rightly So UK50位
  1969年 ソルティ・ドッグ/A Salty Dog UK44位
  1969年 The Devil Came From Kansas
  1971年 ブロークン・バリケーズ/Broken Barricades
  1971年 シンプル・シスター/Simple Sister
  1972年 征服者/Conquistador UK22位 US16位
  1973年 2Robert’s Box
  1973年 Grand Hotel
  1973年 A Souvenir Of London
  1974年 狂夢/Nothing But the Truth
  1975年 パンドラの箱/Pandora's Box UK16位
  1975年 ファイナル・スラスト/The Final Thrust
  1976年 As Strong As Sansom
  1977年 Wizard Man


【メンバー変遷】

#1 1967

  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)※ex. The Paramounts
  マシュー・フィッシャー(organ)※ex. The Roman Empire
  レイ・ロイヤー(guitar)→ Freedom
  デヴィッド・ナイツ(bass)
  ボビー・ハリソン(drums)※ex. The Powerpack → Freedom
  キース・リード(lyrics)

#2 1967~1969
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)→ solo
  ロビン・トロワー(guitar)※ex. The Paramounts, Jam
  デヴィッド・ナイツ(bass)→ Ruby
  B.J.ウィルソン(drums)※ex. The Paramounts, George Bean & The Runners
  キース・リード(lyrics)

#3 1969~1971
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  ロビン・トロワー(guitar)→ Jude
  クリス・コッピング(bass, organ)※ex. The Paramounts
  B.J.ウィルソン(drums)
  キース・リード(lyrics)

#4 1971~1972
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  クリス・コッピング(organ)
  デイヴ・ボール(guitar)※ex.Big Bertha → Long John Baldry Band
  アラン・カートライト(bass)※ex. Every Which Way
  B.J.ウィルソン(drums)
  キース・リード(lyrics)

#5 1972~1976
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  クリス・コッピング(organ)
  ミック・グラバム(guitar)※ex. Cochise
  アラン・カートライト(bass)→ Procol Harum #8
  B.J.ウィルソン(drums)
  キース・リード(lyrics)

#6 1976~1977
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  ピート・ソリー(organ)※ex. Snafu
  ミック・グラバム(guitar)
  クリス・コッピング(bass)→ Frankie Miller’s Full House
  B.J.ウィルソン(drums)
  キース・リード(lyrics)

#7 1977.4~1977.5
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  ピート・ソリー(organ)
  ミック・グラバム(guitar)→ Bandit
  ディー・マレー(bass)※ex. Elton John Band
  B.J.ウィルソン(drums)
  キース・リード(lyrics)

#8 1977.10
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)→ solo
  ピート・ソリー(organ)→ Whitesnake
  ティム・レンウィック(guitar)
  アラン・カートライト(bass)
  B.J.ウィルソン(drums)→ Frankie Miller’s Full House
  キース・リード(lyrics)

#9 1991
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)
  ロビン・トロワー(guitar)
  ジェリー・スティーヴンソン(guitar, mandolin)
  デイヴ・ブロンズ(bass)
  マーク・ブレゼジッキー(drums)
  キース・リード(lyrics)

#10 1991.8~1991.10
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)
  ティム・レンウィック(guitar)
  デイヴ・ブロンズ(bass)
  マーク・ブレゼジッキー(drums)
  キース・リード(lyrics)

#11 1991.12~1992.4
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  デイヴ・ブロンズ(bass)
  マーク・ブレゼジッキー(drums)
  キース・リード(lyrics)

#12 1992.5~1992.6
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  ドン・スノー(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  デイヴ・ブロンズ(bass)
  マーク・ブレゼジッキー(drums)
  キース・リード(lyrics)

#13 1992.8
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  ローレンス・コットル(bass)
  マーク・ブレゼジッキー(drums)
  キース・リード(lyrics)

#14 1993.6
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  ジョシュ・フィリップス(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  デイヴ・ブロンズ(bass)
  イアン・ウォーレス(drums)
  キース・リード(lyrics)

#15 1993.7~1993.8
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  デイヴ・ブロンズ(bass)
  イアン・ウォーレス(drums)
  キース・リード(lyrics)

#16 1993.8~1993.9
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  マット・ペグ(bass)
  イアン・ウォーレス(drums)
  キース・リード(lyrics)

#17 1995.7~1995.8
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  マット・ペグ(bass)
  グラハム・ブロード(drums)
  キース・リード(lyrics)

#18 1996.2~1996.4
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  マット・ペグ(bass)
  ヘンリー・スピネッティ(drums)
  キース・リード(lyrics)

#19 1997.7
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)
  ピート・ソリー(organ)
  ミック・グラバム(guitar)
  マット・ペグ(bass)
  デイヴ・ブロンズ(bass)
  クリス・コッピング(bass, organ, guitar)
  アラン・カートライト(bass)
  グラハム・ブロード(drums)
  キース・リード(lyrics)

#20 2000.9
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  ミック・グラバム(guitar)
  マット・ペグ(bass)
  マーク・ブレゼジッキー(drums)
  キース・リード(lyrics)

#21 2001.5~2003
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  マシュー・フィッシャー(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  マット・ペグ(bass)
  マーク・ブレゼジッキー(drums)
  キース・リード(lyrics)

#22 2004~2006.8
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  ジョシュ・フィリップス(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  マット・ペグ(bass)
  マーク・ブレゼジッキー(drums)
  キース・リード(lyrics)

#23 2006.10~2016
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  ジョシュ・フィリップス(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  マット・ペグ(bass)
  ジェフ・ダン(drums)
  キース・リード(lyrics)

#24 2016~2022
  ゲイリー・ブルッカー(piano, vocal)
  ジョシュ・フィリップス(organ)
  ジェフ・ホワイトホーン(guitar)
  マット・ペグ(bass)
  ジェフ・ダン(drums)
  ピート・ブラウン(lyrics)


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パラマウンツ

2023-06-06 12:05:27 | band

パラマウンツ The Paramount


活動期間
  1961年~1966年
  2005年



メンバー
  ゲイリー・ブルッカー/Gary Brooker(piano, vocals 在籍1961~1962)
  ロビン・トロワー/Robin Trower(guitar 在籍1961~1962)
  クリス・コッピング/Chris Copping(bass 在籍1961~1962)
  ディズ・デリック/Diz Derrick(bass 在籍1962~1966)
  ミック・ブラウンリー/Mick Brownlee(drums 在籍1961~1962)
  B.J. ウィルソン/B.J. Wilson(drums 在籍1962~1964, 1965~1966)
  フィル・ウェインマン/Phil Wainman(drums 在籍1964~1965)
  ボブ・スコット/Bob Scott(vocals 在籍1961~1962)


 パラマウンツはR&Bをベースにした、イングランドのビート・バンドである。
 ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)が、「最高のR&Bバンド」と称賛したことで有名
プロコル・ハルムの前身バンドとしても知られている。


 パラマウンツの成り立ちにはふたつの説がある。

 ひとつは、メンバーが中学時代に「ザ・レイダーズ」として結成したバンドがパラマウンツの前身である、とするもの。レイダーズのメンバーは、ロビン・トロワー(guitar)、クリス・コッピング(guitar)、ロビン・トロワーの兄であるミック・トロワー(lead-vocal)、ゲイリー・ニコルズ(drums)である。
 もうひとつは、コンテストに出場した者の中から選抜して結成した、というものである。
 1959年、サセックス州サウスエンドのパレス・ホテルでバンド・コンテストが行われた。運営していたピーター・マーティンは、出場バンドの中からメンバーをピックアップしてバンドを結成。このバンドが「パラマウンツ」と名付けられた。この時のメンバーは、ロビン・トロワー(guitar)、クリス・コッピング(bass)、ゲイリー・ブルッカー(piano)などである。
 後に元ミッキー・ロー & ザ・コースターズのミック・ブラウンリー(drums)、元ボブ・スコット & ザ・クランズメンのボブ・スコット(vocal)が参加。1960年9月にはブルッカー、トロワー、コッピング、ブラウンリー、スコットの陣容がそろった。



 1961年ごろから本格的にプロとして活動する。
 1962年、ボブ・スコットがギグに現れなくなり脱退したため、ブルッカーがリード・ヴォーカルを兼ねることになる。しかしブルッカーはまだ14歳だったので、制限された一部の場所でしか演奏できなかった。そのためパラマウンツはロビン・トロワーの父が営むカフェ「ザ・シェイズ・クラブ」で専属バンドとして演奏するようになった。
 1962年12月にクリス・コッピングが脱退し、ディズ・デリックが後任のベーシストとなる。また1963年9月にはドラマーがミック・ブラウンリーからB.J.ウィルソンに交替している。


 パラマウンツは、1963年にはロンドンでも定期的に演奏するようになっていた。
 マネージャーのピーター・マーティンは各所にバンドを売り込んでいたが、それが実ってEMIのプロデューサーにスカウトされ、1963年にパーロフォン・レーベルと契約を交わした。そして同年12月、ザ・コースターズ1959年のヒット曲のカヴァー「Poison Ivy」でシングル・デビューを果たす。
 このレコードは1964年1月の全英シングル・チャートで35位にまで上昇するスマッシュ・ヒットとなり、これによって彼らは「Ready Steady Go!」などのテレビ番組にも出演するようになった。しかしその後リリースしたシングルは、チャート入りすることがなかった。



 1964年後半から1965年初頭にかけてウィルソンが「ジミー・パウエル・アンド・ザ・ファイブ・ディメンションズ」に移籍、その代わりとしてフィル・ウェインマンが加入したが、1965年にウィルソンはバンドに復帰。 
 その後サンディ・ショウやクリス・アンドリュースなどのヨーロッパ・ツアーのバック・バンドを務めたりしていたが、6枚のシングルと、4曲入りEP1枚を残し、1966年9月に解散。アルバムのリリースはなかった。
 解散後、ブルッカーは1967年春にプロコル・ハルムを結成。のちにロビン・トロワー、B.J.ウィルソン、クリス・コッピングもプロコル・ハルムに加入している。


 1983年、パラマウンツのすべてのシングルを収録したアルバム『Whiter Shades of R&B』が発売される。1998年には、このコンピレイション・アルバムの拡大版がEMIから「At Abbey Road」シリーズとして発売された。
 1998年には「リコリス・ジョン・デス」名義でアルバム『Ain’t Nothin’ To Get Excited About』もリリースされている。1969年にプロコル・ハルムからマシュー・フィッシャーとレイ・ナイツが脱退、コッピングが加入した。プロコル・ハルムのラインナップはブルッカー、トロワー、コッピング、ウィルソン、キース・リード(作詞)となったが、リード以外の4人はパラマウンツに在籍経験があり、この4人で1970年1月にアビイ・ロード・スタジオにおいて、もともとパラマウンツ時代に演奏していたR&Bのカヴァー曲など38曲を録音した。『Ain’t Nothin’ To Get Excited About』はこの時の録音をリマスタリングしたものである。


 2005年、パラマウンツは、ブルッカー、トロワー、コッピング、ブラウンリーの4人によって、39年ぶりの再結成を果たした。


     



【ディスコグラフィ】

 <シングル>
  1963年 Poison Ivy ※UK35位
  1964年 Little Bitty Pretty One
  1964年 I'm the One Who Loves You
  1964年 Bad Blood
  1965年 Blue Ribbons
  1965年 You Never Had It So Good

  <EP盤>
  1964年 The Paramounts(Little Bitty Pretty One / A Certain Girl / Poison Ivy / I Feel Good All Over)
  1965年 Les Paramounts(Draw Me Closer / You've Never Had It So Good / Blue Ribbons / Cuttin' In)※フランスのみでリリース

  <コンピレーション・アルバム>
  1983年 Whiter Shade of R&B
  1998年 The Paramounts at Abbey Road 1963-1970 ※録音=1963~1966, 1970
  1998年 Ain't Nothin' to Get Excited About ※「Liquorice John Death」名義


【メンバー変遷】
 #1 1959~1962
   ゲイリー・ブルッカー(piano)
   ロビン・トロワー(guitar)
   クリス・コッピング(bass)
   ミック・ブラウンリー(drums)
   ボブ・スコット(vocals)

 #2 1962
   ゲイリー・ブルッカー(vocals, piano)
   ロビン・トロワー(guitar)
   クリス・コッピング(bass)
   ミック・ブラウンリー(drums)

 #3 1962~1963
   ゲイリー・ブルッカー(vocals, piano)
   ロビン・トロワー(guitar)
   ディズ・デリック(bass)
   ミック・ブラウンリー(drums)→ Mickey Jupp Band

 #4 1963~1964
   ゲイリー・ブルッカー(vocals, piano)
   ロビン・トロワー(guitar)
   ディズ・デリック(bass)
   B.J. ウィルソン(drums)→ Jimmy Powell & The Five Dimensions

 #5 1964~1965
   ゲイリー・ブルッカー(vocals, piano)
   ロビン・トロワー(guitar)
   ディズ・デリック(bass)
   フィル・ウェインマン(drums)→ Sweet Fame

 #6 1965~1966
   ゲイリー・ブルッカー(vocals, piano)→ Procol Harum
   ロビン・トロワー(guitar)→ Jam, Procol Harum
   ディズ・デリック(bass)
   B.J. ウィルソン(drums)→ George Bean & The Runners

 #7 2005
   ゲイリー・ブルッカー(vocals, piano)
   ロビン・トロワー(guitar)
   クリス・コッピング(bass)
   ミック・ブラウンリー(drums)


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モーグル・スラッシュ

2023-05-24 11:01:04 | band

モーグル・スラッシュ Mogul Thrash


活動期間
  1970年~1971年


メンバー
  ジェームス・リザーランド/James Litherland(vocals, guitar)

  ジョン・ウェットン/John Wetton(bass, vocal)
  ビル・ハリスン/Bill Harrison(drums)
  ロジャー・ボール/Roger Ball(sax)
  マルコム・ダンカン/Malcom "Molly" Duncan(sax)
  マイケル・ローゼン/Michael Rosen(guitar, trumpet)



 モーグル・スラッシュはイングランドのジャズ・ロック・バンド。
 「Splinter」というロンドンのバンドの解散後、メンバーだったジョン・ウェットン(bass, vocal)とエド・ビックネル(drums)が、「ダンディ・ホーンズ」として活動していたマルコム・ダンカン(sax)とロジャー・ボール(sax)のふたりに出会い、新たなバンドを結成するために動き始める。
 このバンドに「コロシアム」を脱退したジェームス・リザーランドが関心を示し、加わることになる。
 こうして1969年9月に結成された新バンドの名は、当初は「Brotherhood」だったが、メンバーの中で唯一名を知られていたのがリザーランドだったため、彼の知名度を利用して「James Litherland's Brotherhood」と名乗ることになった。


 1969年12月にはドラマーがビル・ハリスンに交替。さらに元エレクションのマイケル・ローゼン(guitar, trumpet)が加わって、バンドは6人編成となる。
 1970年5月、RCAと契約を交わすことになったが、この時に同名グループが存在することが分かったため、バンド名を「モーグル・スラッシュ」と改めた。
 さっそくプロデューサーにブライアン・オーガーを迎え、1970年11月にシングル「Sleeping In the Kitchen」をリリース。さらにアルバムのレコーディングを行い、1971年2月にファースト・アルバム「モーガル・スラッシュ」を発表した。
 ブルースとジャズのエッセンスをハード・ロックにも通ずるパワフルなサウンドの中に活かしており、とくにジョン・ウェットンとビル・ハリスンの自由度の高い演奏がバンドの推進力となっている。ギター、ヴォーカル、ソングライティングを担当するリザーランドの存在が前面に出てきているため、コロシアムを彷彿とさせるサウンドになっている。
 本国イギリスではあまり知られることがなかったが、ヨーロッパ各地域では好評を得た。その後ツアーを行うなど精力的に活動したが、レーベル側の法的問題もあって、1971年5月には解散を余儀なくされた。


 解散後、ジェームス・リザーランドは「ミリオン」を結成、ジョン・ウェットンは「ファミリー」に参加した。
 ダンカンとボールはのちアヴェレイジ・ホワイト・バンドの結成に参加し、大きな成功を収めることになる。


     



【メンバー変遷】
#1  1969
 ジェームス・リザーランド(vocal, guitar)
 ジョン・ウェットン(bass, vocal)
 エド・ビックネル(drums)
 ロジャー・ボール(sax)
 マルコム・ダンカン(sax)

#2  1969~1971
 ジェームス・リザーランド(vocal, guitar)
 ジョン・ウェットン(bass, vocal)
 ビル・ハリスン(drums)
 ロジャー・ボール(sax)
 マルコム・ダンカン(sax)
 マイケル・ローゼン(guitar, trumpet)


【ディスコグラフィ】
 <アルバム>
  1971年 モーグル・スラッシュ/Mogul Thrash ※旧邦題「炸裂!モーグル・スラッシュ」
 <シングル>
  1971年 Sleeping in the Kitchen


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ポール・バターフィールド・ブルース・バンド

2023-04-26 13:19:42 | band

ポール・バターフィールド・ブルース・バンド Paul Butterfield Blues Band


【活動期間】
  1963~1971

【メンバー】
 <vocal>
   ポール・バターフィールド/Paul Butterfield(vocal, harmonica) 在籍1963~1971
 <guitar>
   エルヴィン・ビショップ/Elvin Bishop(guitar) 在籍1963~1968
   マイク・ブルームフィールド/Mike Bloomfield(guitar) 在籍1964~1967
   バジー・フェイトン/Buzzy Feiten(guitar) 在籍1968~1969
   ラルフ・ウォルシュ/Ralph Walsh(guitar, vocals) 在籍1969~1971
 <keyboards>
   マーク・ナフタリン/Mark Naftalin(keyboards)在籍1965~1968
   テッド・ハリス/Ted Harris(keyboards)在籍1969~1970
 <bass>
   ジェローム・アーノルド/Jerome Arnold(bass) 在籍1963~1967
   バグジー・モー/Bugsy Maugh(bass) 在籍1967~1969
   ロッド・ヒックス/Rod Hicks(bass, contrabass, vocals) 在籍1969~1971
 <drums>
   サム・レイ/Sam Lay(drums, vocal) 在籍1963~1965
   ビリー・ウォーレン/Billy Warren(drums) 在籍1965
   ビリー・ダヴェンポート/Billy Davenport (drums) 在籍1965~1967
   フィリップ・ウィルソン/Phillip Wilson(drums) 在籍1967~1969
   ジョージ・デヴィッドソン/George Davidson(drums) 在籍1969~1970
   デニス・ホィッテッド/Dennis Whitted(drums) 在籍1970~1971
 <horns>
   キース・ジョンソン/Keith Johnson(trumpet) 在籍1967~1969
   スティーヴ・マダイオ/Steve Madaio(trumpet, percussion, backing-vocal) 在籍1969~1971
   デヴィッド・サンボーン(alto-sax, percussion)  在籍1967~1971
   ジーン・ディンウィッディ(sax, flute, vocals)  在籍1967~1971
   トレヴァー・ローレンス/Trevor Lawrence(baritone-sax, percussion, backing-vocal) 在籍1969~1971


     


 シカゴで生まれ育ち、シカゴ・ブルースの洗礼を受けたポール・バターフィールドが1963年に結成したバンド。
 バターフィールド・ブルース・バンドはイギリスにおけるブルース・ブレイカーズ同様、バンドの歴史の中で何人もの名プレイヤーを輩出していることでも知られている。


 バターフィールド・ブルース・バンドは、ポール・バターフィールドとエルヴィン・ビショップとの邂逅にはじまる。
 1960年代初頭、バターフィールドがシカゴ大学に入学したばかりのある日、バターフィールドは家の前でビールを飲みながらギターを弾いていると、通りがかったひとりの青年から話しかけられた。ふたりはブルースについて語り合い、あっという間に意気投合した。この通りがかりの青年が、ギタリストのエルヴィン・ビショップである。オクラホマの農村出身のビショップは、シカゴ大学に入学するためにその日シカゴに着いたばかりだったそうである。
 この頃のバターフィールドが演奏していた楽器はギターであり、ハーモニカを吹いたことすらなかったが、ビショップとの出会いを境にすぐハーモニカに取り組み、半年ほど後には見違えるほど上達したという。後年ビショップはバターフィールドのことを「生まれつきの天才だ」と語っている。


 やがてバターフィールド(vocal, harmonica)とビショップ(guitar)は「バターカップス」(The Buttercups)という名のデュオで演奏活動を始めた。経験を積んでゆくうちに、ふたりはシカゴのノースサイドにあるフォーク・クラブ「ビッグ・ジョンズ」からレギュラー出演のオファーを受ける。1963年のことである。
 バンドとして出演することを考えたふたりは、いずれもハウリン・ウルフのツアー・メンバーだったジェローム・アーノルド(bass)とサム・レイ(drums)をメンバーに加えた。これが「ポール・バターフィールド・ブルース・バンド」結成のいきさつである。
 このバンドでの「ビッグ・ジョンズ」でのライヴは大成功を収めた。
 以後彼らは結成以来2年間にわたって「ビッグ・ジョンズ」で毎週6晩演奏し続け、シカゴ界隈では次第に有名になっていった。そして著名なプロデューサーのポール・ロスチャイルドの目に留まることになったのである。
 このバターフィールド・ブルース・バンドは、人種的な観点で見ると、白人ふたり(バターフィールドとビショップ)とアフリカ系ふたり(アーノルドとレイ)から成り立っていた。1950年代半ばにアフリカ系アメリカ人の公民権適用と人種差別解消を求めて起こった公民権運動は、たちまち野火のように広まり、シカゴでも1964年8月に暴動が起こっていた。緊迫した空気に満ちていたこの当時、いわゆる「白人」と「黒人」の混成バンドの結成は非常に画期的なことだった。
 
 
 このころロスチャイルドは、当時シカゴ周辺ではすでに有名だった新進ギタリスト、マイク・ブルームフィールドにも注目していた。
 バターフィールドとブルームフィールドの間に起こる音楽的化学反応を見たロスチャイルドは、「ブルームフィールドをバンドに入れるよう」バターフィールドの説得にかかった。
 そしてブルームフィールドの加入後、バンドはエレクトラ・レコードと契約を交わすのである。
 1964年12月、バンドは初録音を行う。この時収録された『Born in Chicago』がデビュー・シングルとしてリリースされた。この曲はバンドの旧友ニック・グレイヴナイツが作曲したものであった。『Born in Chicago』の初期ヴァージョンは、1965年にエレクトラから発表されたコンピレイション・アルバム『Folksong '65』に収められており、これによってバンドは次第に注目されるようになってゆく。


 1965年10月、ようやくデビュー・アルバム『ポール・バターフィールド・ブルース・バンド』をリリース。この時、ブルームフィールドの提案によってマーク・ナフタリン(keyboard)がバンドに加入している。ナフタリンの加入はあまりにも急だったため、デビュー・アルバムのジャケット写真の中にはナフタリンは入っていない。
 このアルバムにはエルモア・ジェイムスの『Shake Your Moneymaker』、マディ・ウォーターズが歌った『I Got My Mojo Working』、ジュニア・パーカーの『Mystery Train』、ウォルター・ジェイコブズの『Blues with a Feeling』や、再録音された『Born in Chicago』のほかオリジナル曲などが収録された。この時のブルームフィールドの圧倒的なギター・テクニックの前には、ビショップはサイド・ギターに徹せざるをえなかった。
 アルバム・チャートは1966年に記録したビルボード123位が最高位だったものの、デルタ・ブルースとカントリーを取り入れた作った新しいスタイルは、フォークを好む若者とオールド・ブルースを好む年長者達双方から支持されるようになっていった。
 なおドラマーのサム・レイはデビュー・アルバムのリリース後に病気のためバンドを離れ、後任としてブルース界のベテランであるビリー・ダヴェンポートが加入した。サム・レイはのちロック、ブルース、ジャズで殿堂入りした。また当時10代の青年だったジェイムズ・オスターバーグ(のちのイギー・ポップ)にドラムのレッスンを行ったことでも知られている。


 1965年7月、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドは「ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル」に出演する。
 出演者のなかにはボブ・ディランも出演もいた。
 ディランは早くからバターフィールド・ブルース・バンドに注目しており、フェスティヴァルで演奏する直前に彼らをサポート・バンドに指名した。この頃バンドはディランのマネージャー、アルバート・グロスマンと契約しており、またマイク・ブルームフィールドとサム・レイは過去にボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の録音に参加したことがあるという繋がりもあって、ディランの要望はすんなり受け入れられた。
 ニューポートでのディランは、バンドを従えて強烈なエレクトリック・ブルースを4曲を演奏したが、アコースティックなフォークを信奉するファンは動揺し、「ディランがエレキ・ギターを持った」と非難を浴びせた。ただしその非難は「劣悪な音響とあまりにも短すぎる演奏に向けられたもので、実際には歓声もあがっていた」とも言われている。エレクトリック・ディランについてはその後も論議が続いたが、少なくともバターフィールド・ブルース・バンドに関しては、このステージによってその名を広く知らしめることになった。


     


 1966年7月、セカンド・アルバム『イースト・ウェスト』を発表。
 このアルバムは、ブルースの追求はもちろん、ジャズ、インド音楽、サイケデリックなどからも影響を受けた、
 収録されているのは、ロバート・ジョンソンの「Walkin' Blues」、マイク・ネスミスの「Mary, Mary」、R&Bシンガーのリー・ドーシーが歌った「Get Out of My Life, Woman」、ナット・アダレイ(ジャズ・コルネット奏者)が作曲した「Work Song」などであるが、アルバムのハイライトは、なんといっても13分のインストゥルメンタル・ジャム・セッション「East-West」であろう。
 この曲はインドのラーガやジョン・コルトレーン(ジャズ・サックス奏者)、ドラッグによる幻覚などに影響されたブルース・ロックで、バターフィールドおよびふたりのギタリスト(ブルームフィールドとビショップ)によるインプロヴィゼイションが展開されている
 「East-West」は、ロック史上においてジャム・セッションをフィーチャーした最初の曲とも言われており、サンフランシスコの多くのバンドに影響を与えた。ライブではおよそ1時間に渡って演奏が続けられることもあった。
 この曲がきっかけとなり、アル・クーパーの『スーパー・セッション』など、ジャム・セッションを収録したアルバムが多く制作されることになる。
 後年エルヴィン・ビショップは「クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー、グレイトフル・デッドなどのバンドはフォーク・バンドのようなもので、コードをかき鳴らしていただけだった。ブルームフィールドはどんなスケールも弾きこなし、彼らをノックアウトした」と語っている。
 この頃の『イースト・ウェスト』のライヴ・バージョンは、1996年に発表されたアルバム『East-West Live』で聴くことができる。


 セカンド・アルバムのリリース後にバンドはツアーに出る。
 バンドがイギリスに滞在していた1966年の冬、当時ピーター・グリーン(guitar)が在籍していたジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズと何曲か録音する。このうち4曲が1967年1月にイギリスで『John Mayall's Bluesbreakers with Paul Butterfield』というタイトルの45回転EPとして発売された
 1967年6月には、カリフォルニアで行われた「モントレー・ポップ・フェスティバル」に出演。


 バンドは音楽的成功を手に入れたが、この1967年には、ブルームフィールドやアーノルドが相次いで脱退する。(ブルームフィールドは脱退後「エレクトリック・フラッグ」を結成)
 このためバンドはホーン・セクションの導入と、ジャズとロックのクロスオーヴァー・サウンドへのシフトを図り、新たにバグジー・モー(bass)、フィリップ・ウィルソン(drums のちアート・アンサンブル・オブ・シカゴ)、キース・ジョンソン(trumpet)、デヴィッド・サンボーン(alto-sax)、ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)を加えて再出発した。
 デヴィッド・サンボーンとは、もちろん後年世界的なジャズ・サックス奏者となるデヴィッド・サンボーンのことである。


 1967年、サード・アルバム『ピグボーイ・クラブショー』を発表。アルバム・タイトルは、「オクラホマの田舎者」というイメージがあるエルヴィン・ビショップのニックネームに由来するものである。
 マイク・ブルームフィールドが脱退したため、ビショップにかかる比重は必然的に大きくなっている。ブルースをベースに、R&Bのテイストを加えたこのアルバムは、ビルボードのチャートで52位まで上昇しているが、これはバンド史上最高位である。
 


 1968年、ソウル・ミュージックへより接近した4作目のアルバム『イン・マイ・オウン・ドリーム』を発表。このアルバムを最後として、1968年末にマーク・ナフタリンと、バンド結成以前からのパートナーであるエルヴィン・ビショップが脱退する。ビショップはのちセッションマンとして活躍している。


 1969年8月、ウッドストック・フェスティヴァルに出演し、7曲演奏する。映画にはバンドの演奏シーンは登場しなかったが、「Love March」がアルバム『ウッドストック・オリジナル・サウンドトラック』(1970年)に収録されている。
 この年、ジャニス・ジョプリンと、永遠の名曲「One Night Stand」を録音。これは14年後の1983年にリリースされたジョプリンのアルバム『白鳥の歌』に収録された。


     


 1969年にジェリー・ラゴヴォイのプロデュースによる5作目のアルバム『キープ・オン・ムーヴィング』を、1970年にはウェスト・ハリウッドの「トルバドール」での演奏を収めたライヴ・アルバム『ライヴ』を発表したが、ビショップ脱退後からバンドの勢いは下降線をたどり、1971年に発表した6作目『サムタイムズ・アイ・ジャスト・フィール・ライク・スマイリン』を最後に、同年ポール・バターフィールド・ブルース・バンドは解散した。
 解散後、バターフィールドは「ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ」を結成し、2枚のアルバムを発表している。
 1972年には、ベスト・アルバム『Golden Butter:The Best of the Paul Butterfield Blues Band』がエレクトラからリリースされた。

 
 2015年、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドは「ロックの殿堂」入りを果たした。
 彼らは殿堂入りしたアーティストのなかで唯一トップ40入りしたシングルもアルバムもない存在であるが、「シカゴ・ブルースとエレクトリックなロックを融合させ、それまではほぼアフリカ系アメリカ人のものだったブルースを一般大衆の元に届けた」という大きな功績があり、1960年代のミュージック・シーンにとって非常に重要なバンドであったことが評価されたといえる。。


【メンバーの変遷】 
 #1(1963~1965)
  ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
  エルヴィン・ビショップ(guitar)
  ジェローム・アーノルド(bass)
  サム・レイ(drums, vocal)

 #2(1964~1965)
  ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
  エルヴィン・ビショップ(guitar)
  マイク・ブルームフィールド(guitar)
  ジェローム・アーノルド(bass)
  サム・レイ(drums, vocal)

 #3(1965)
  ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
  エルヴィン・ビショップ(guitar)
  マイク・ブルームフィールド(guitar)
  マーク・ナフタリン(keyboards)
  ジェローム・アーノルド(bass)
  サム・レイ(drums, vocal)

 #4(1965)
  ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
  エルヴィン・ビショップ(guitar)
  マイク・ブルームフィールド(guitar)
  マーク・ナフタリン(keyboards)
  ジェローム・アーノルド(bass)
  ビリー・ウォーレン(drums)

 #5(1965~1967)
  ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
  エルヴィン・ビショップ(guitar)
  マイク・ブルームフィールド(guitar)
  マーク・ナフタリン(keyboards)
  ジェローム・アーノルド(bass)
  ビリー・ダヴェンポート(drums)

 #6(1967)
  ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
  エルヴィン・ビショップ(guitar)
  マーク・ナフタリン(keyboards)
  バグジー・モー(bass)
  ビリー・ダヴェンポート(drums)
  キース・ジョンソン(trumpet)
  デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
  ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)


 #7(1967~1968)
  ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
  エルヴィン・ビショップ(guitar)
  マーク・ナフタリン(keyboards)
  バグジー・モー(bass)
  フィリップ・ウィルソン(drums)
  キース・ジョンソン(trumpet)
  デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
  ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)

 #8(1968~1969)
  ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
  バジー・フェイトン(guitar)
  バグジー・モー(bass)
  フィリップ・ウィルソン(drums)
  キース・ジョンソン(trumpet)
  デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
  ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)


 #9(1969)
  ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
  バジー・フェイトン(guitar)
  テッド・ハリス(keyboards)
  ロッド・ヒックス(bass)
  フィリップ・ウィルソン(drums)
  キース・ジョンソン(trumpet)
  スティーヴ・マダイオ(trumpet, backing-vocal)

  デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
  ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)
  トレヴァー・ローレンス(baritone-sax, backing-vocal)

 #10(1969~1970)
  ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
  ラルフ・ウォルシュ(guitar)
  テッド・ハリス(keyboards)
  ロッド・ヒックス(bass)
  ジョージ・デヴィッドソン(drums)
  スティーヴ・マダイオ(trumpet, backing-vocal)

  デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
  ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)
  トレヴァー・ローレンス(baritone-sax, backing-vocal)

 #11(1970~1971)
  ポール・バターフィールド(vocal, harmonica)
  ラルフ・ウォルシュ(guitar)
  ロッド・ヒックス(bass)
  デニス・ホイッテッド(drums)
  スティーヴ・マダイオ(trumpet, backing-vocal)

  デヴィッド・サンボーン(alto-sax)
  ジーン・ディンウィッディ(tenor-sax)
  トレヴァー・ローレンス(baritone-sax, backing-vocal)


【ディスコグラフィ】 ☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレイション・アルバム
  1965年 ポール・バターフィールド・ブルース・バンド/The Paul Butterfield Blues Band US123位
  1966年 イースト・ウェスト/East-West US65位
  1967年 ピグボーイ・クラブショー/Resurrection of Pigboy Crabshaw US52位
  1968年 イン・マイ・オウン・ドリーム/In My Own Dream US79位
  1969年 キープ・オン・ムーヴィング/Keep on Moving US102位
 ☆1970年 ライヴ/Live US72位
  1971年 サムタイムズ・アイ・ジャスト・フィール・ライク・スマイリン/Sometimes I Just Feel Like Smilin' US124位
 ★1972年 Golden Butter:The Best of  the Paul Butterfield Blues Band US136位
 ☆1996年 Strawberry Jam(1966年~1968年録音)
 ☆1996年 East-West Live(1966年~1967年録音)
 ☆2016年 ガット・ア・マインド・トゥ・ギヴ・アップ・リヴィング-ライヴ1966/Got a Mind to Give Up Living-Live 1966(1966年録音)
 


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アルヴィン・リー&カンパニー

2023-04-17 18:49:31 | band

アルヴィン・リー&カンパニー Alvin Lee & Company


活動期間
  ①1974年~1975年
  ②1976年



メンバー
 ①1974年3月(レインボウ・シアター・ライヴのメンバー)
  アルヴィン・リー/Alvin Lee(vocals, guitar)

  ニール・ハバード/Neil Hubbard(guitar)※Kokomo
  アラン・スペナー/Alan Spenner(bass)※Kokomo
  ティム・ヒンクリー/Tim Hinkley(keyboards)※元スネイプ
  メル・コリンズ/Mel Collins(sax)※元スネイプ
  イアン・ウォーレス/Ian Wallace(drums)※元スネイプ
  ダイアン・バーチ/Dyan Birch(backing-vocals)※Kokomo
  フランク・コリンズ/Frank Collins(backing-vocals)※Kokomo
  パディー・マクヒュー/Paddie McHugh(backing-vocals)※Kokomo

  1974~1975
  アルヴィン・リー/Alvin Lee(vocals, guitar)
  スティーヴ・トンプソン/Steve Thompson(bass)※元ストーン・ザ・クロウズ
  ロニー・リーハイ/Ronnie Leahy(keyboards)※元ストーン・ザ・クロウズ
  メル・コリンズ/Mel Collins(sax)
  イアン・ウォーレス/Ian Wallace(drums)

 ②1976
  アルヴィン・リー/Alvin Lee(vocals, guitar)
  アンディ・パイル/Anmdy Pyle(bass)※元サヴォイ・ブラウン
  ティム・ヒンクリー/Tim Hinkley(keyboards)
  ブライソン・グラハム/Bryson Graham(drums)※元スプーキー・トゥース



 1974年、当時テン・イヤーズ・アフターに在籍していたアルヴィン・リーは、バンドの活動と並行してソロ・プロジェクトをスタートさせたが、まずはこの年3月22日に予定されていたロンドンのレインボー・シアターでの公演のために「アルヴィン・リー&カンパニー」を結成する。
 このバンドはブリティッシュ・ファンク・バンド「ココモ」に元「スネイプ」のティム・ヒンクリー、メル・コリンズ、イアン・ウォーレスをジョイントさせたものである。
 アルヴィン・リー&カンパニーのレインボウ・シアター公演は、2枚組ライブ・アルバム『栄光への飛翔 』(In Flight)として1974年11月にリリースされたが、それと前後してアルヴィンは「アルヴィン・リー&カンパニー」を新たなラインナップで組織し直し、ライヴ活動を展開した。


 この頃にはアルヴィンとレーベルとの音楽的方向性の違いが顕著となっており、そのうえアルヴィンがソロ活動に重きを置くようになったため、テン・イヤーズ・アフターは1974年4月に10枚目(スタジオ・アルバムとしては8枚目)のアルバム『ポジティヴ・ヴァイブレーションズ(Positive Vibrations)』を発表したのち、解散した。

 
 1975年、アルヴィンはソロ・アルバム『パンプ・アイアン』(Pump Iron!)を制作したが、この時のレコーディング・メンバーで第2期「アルヴィン・リー&カンパニー」を編成し、1976年3月から7月頃にかけてライヴを行っている。


     


【ディスコグラフィ】
 1974年 『栄光への飛翔』(In Flight)・・・ビルボード65位


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グランド・ファンク・レイルロード

2023-02-04 16:06:21 | band

グランド・ファンク・レイルロード Grand Funk Railroad


活動期間
  ①1969年~1976年
  ②1980年~1983年
  ③1996年~



メンバー
 ①1969~1976
  マーク・ファーナー/Mark Farner(vocals, guitar)1948年9月29日生 ミシガン州フリント生まれ 在籍1969~1976

  メル・サッチャー/Mel Schacher(bass)1951年4月8日生 ミシガン州オワッソ生まれ 在籍1969~1976
  ドン・ブリューワー/Don Brewer(drums, vocals)1948年9月3日生 ミシガン州フリント生まれ 在籍1969~1976
  クレイグ・フロスト/Craig Frost(keyboards)1948年4月20日生 ミシガン州フリント生まれ 在籍1973~1976  

 ②1980~1983
  マーク・ファーナー/Mark Farner(vocals, guitar)
  デニス・ベリンジャー/Dennis Bellinger(bass)
  ドン・ブリューワー/Don Brewer(drums, vocals)

 ③1996~
  マーク・ファーナー/Mark Farner(vocals, guitar) 在籍1996~1999
  メル・サッチャー/Mel Schacher(bass) 在籍1996~
  ドン・ブリューワー/Don Brewer(drums, vocals) 在籍1996~
  ハワード・エディ・ジュニア/Howard Eddy Jr.(keyboards) 在籍1996~1999
  マックス・カール/Max Carl(vocals) 在籍2000~
  ブルース・キューリック/Bruce Kulick(guitars) 在籍2000~
  ティム・カーション/Tim Cashion(keyboards) 在籍2000~
  クレイグ・フロスト/Craig Frost(keyboards) 在籍2005~


     
  


 1970年代を席捲したアメリカのハード・ロック・バンド。
 デビュー当初からセンセーショナルな話題を振り撒き、大音量のハードなサウンドとパワフルな演奏でアメリカを代表するロック・バンドとして活躍した。
 1976年に解散するまで、RIAA認定プラチナ・アルバム6枚、同ゴールド・アルバム6枚を獲得。全盛期の1970年から1974年にかけては、ベスト・アルバムを除く8作(『クローサー・トゥ・ホーム』から『ハード・ロック野郎』まで)を連続して全米アルバム・チャートのトップ10に送り込んでいる。


 1965年夏、デトロイトのWJBK局のディスク・ジョッキーだったテリー・ナイトは、当時ベーシストのマーク・ファーナー、ドラマーのドン・ブリューワーらとともに、「テリー・ナイト&ザ・パック(Terry Knight and the Pack)」というバンドを結成した。ドンは、1960年代半ばに結成した「ジャズ・マスターズ」というバンドで活動しており、ジャズ・マスターズと並行しての加入であった。

 結成時のテリー・ナイト&ザ・パックのラインナップは、テリー・ナイト(vocals)、カート・ジョンソン(guitar)、マーク・ファーナー(bass, guitar)、ボビー・コールドウェル(organ)、ドン・ブリューワー(drums)である。
 当時のテリー・ナイト&ザ・パックはR&Bをベースとしたロックを演奏していた。
 彼らは1965年夏に地元デトロイトのマイナー・レーベル「ゴールデン・ワールド」からデビュー・シングル『Tears Comes Rolling』をリリース。1966年夏には「ラッキー・イレヴン」レーベルに移るが、それと前後してマーク・ファーナーがディック・ワグナー率いる「ザ・ボスメン」に参加するために脱退した。ファーナーの後任にハーマン・ジャクソン(bass)を加えたバンドは、ラッキー・イレヴンでは4枚のシングルと2枚のアルバムをリリース。このうちシングル『I(Who Have Nothing)』はベン・E・キングのヒット曲をカヴァーしたもので、1966年暮れから1967年初頭にかけて全米46位のスマッシュ・ヒットを記録している。


 1967年春、テリー・ナイトはバンドから離れ、ソロとして独立する。ドン・ブリューワーを始めとする残されたメンバーはバンド名を「ファビュラス・パック」と改め、ザ・ボスメンでは成功までに至らなかったマーク・ファーナーをギタリストとして呼び戻し、シングル『Harlem Shuffle』で再始動する。その後このバンドにはクレイグ・フロスト(keyboard)が加わる。
 しかし看板のテリー・ナイトを失ったファビュラス・パックの勢いは下降線をたどり、経済的な危機に立たされた。そこで形成を立て直すためファーナーとブリューワーはバンドを組む計画を立て、マネージャー兼プロデューサーとしてテリー・ナイトを招く。そして1968年暮れにメル・サッチャー(元クエスチョン・マーク & ミステリアンズ)をメンバーに加えた。
 このロック・トリオは「グランド・ファンク・レイルロード」と名付けられ、1969年5月1日にキャピトル・レコードと契約を交わした。
 ちなみに、バンド名はミシガンとカナダを結ぶアメリカの鉄道会社「Grand Trunk Western Railroad」をもじったものである。


 1969年7月4日、グランド・ファンク・レイルロード(以下GFR)はアトランタ・ポップ・フェスティヴァルに出演。
 まだレコード1枚すら出していない一介の無名バンドにすぎなかった彼らは、一説ではノー・ギャラで事実上のデビューであるこのステージに立ち、エネルギッシュで圧倒的なパフォーマンスを見せつけて12万5千人の大観衆の度肝を抜き、熱狂させた。
 センセーショナルなデビューを飾った彼らは、1969年7月にはシングル『タイム・マシーン』でレコード・デビューする。
 その後も、18万人を集めてダラスで行われたテキサス・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァルへの出演をはじめ、各地のコンサートも軒並み成功させたGFRは、1969年10月18日に地元デトロイトのオリンピア・スタジアムで行われたレッド・ツェッペリンのアメリカ公演の前座を務める。この時GFRの大熱演を目の当たりにして興奮した聴衆はアンコールに次ぐアンコールを要求、そのあおりでメイン・アクトのレッド・ツェッペリンは大幅に予定時間を過ぎてもステージに上がることができなかった。この事件によってグランド・ファンクは「ツェッペリンを食った超大型新人バンド」として、ロック界では知らぬ者がない存在となった。


     


 GFRは、当時のロック界を覆っていたニュー・ロックの影響を受け、よりハードなサウンドを志向し、テリー・ナイトのプロデュースによって1969年8月にファースト・アルバム『グランド・ファンク・レイルロード登場』をリリースした。
 このアルバムからシングル・カットされた『ハートブレイカー』は、今ではハードロックの古典とされている。当時の日本では、グループ・サウンズの人気バンド「ザ・タイガース」がコンサートでレパートリーとして取り上げていた。また井上陽水がのちに大ヒットさせた『傘がない』は、彼が『ハートブレイカー』のコード進行を借りて書いたものである。そのほか、アニマルズの『孤独の叫び』をカヴァーしているが、ライヴにおけるヘヴィで荒々しい演奏が評判を呼び、この曲もGFRの看板のひとつとなった。
 破竹の快進撃を続けていた当時のGFRの魅力を余すところなくパッケージしたのが、1970年に発表された『ライヴ・アルバム』である。

 
 1970年代初頭のGFRの人気ぶりはアメリカのロック・バンドのなかでも群を抜いていた。以下のエピソードがそれを物語っている。
 1970年6月、サード・アルバム『クローサ-・トゥ・ホーム』のプロモーションのため、ニューヨークのタイムズ・スクエアに、2か月で100万ドル(3600万円)の掲示料を払って縦30メートル×横80メートルの巨大看板を設置して話題になる。
 1970年11月1日のロサンゼルスのアナハイム・コンベンション・ホールでのコンサートにパトカー350台が出動。
 1970年11月16日に売り出された、12月のマジソン・スクエア・ガーデンでのコンサート・チケット2万枚がわずか4時間で完売。
 GFRは1970年秋までの約1年間で4枚ものアルバムをリリースしているが、1970年のレコード・セールスは、トータルでなんと1000万枚にものぼった。
 ニューヨーク・デイリー・ニュース紙の人気投票で、GFRは1970年の「ベスト・ロック・グループ・イン・ザ・USA」に選ばれた。
 1971年7月9日、ニューヨークのシェア・スタジアムで行ったコンサートは、ワールド・シリーズ以上の熱狂を巻き起こしたと伝えられている。このコンサートの前売りは55,000人分のチケットがわずか72時間で売り切れ、興行収益は30万6000ドル(約1億2100万円)を記録したが、これは前人未踏と言われた1965年のビートルズのシェア・スタジアム・コンサートの記録(55,600人ぶんを3週間で完売、興行収益30万4000ドル)を大幅に塗り替えるものであった。


 1971年、1ヵ月にわたるヨーロッパ・ツアーのあと、7月に初来日を果たす。
 7月17日に後楽園球場で、7月18日に大阪球場でコンサートを行ったが、後楽園でのコンサートは雷を伴う激しい風雨の中で行なわれ、悪天候をものともしない彼らのパフォーマンスは4万人の大観衆を興奮の坩堝に叩き込んだ。このドラマチックな様子は半ば伝説と化しており、未だに語り継がれている。


 3人のエネルギッシュな演奏、ストレートでパワフルなロックンロールは、短期間で多くのロック・ファンの熱狂的な支持を得た。こうしてGFRはアメリカのトップ・バンドのひとつとして、あるいは全米屈指のライヴ・バンドとして、ロック・シーンに君臨することになったのである。
 ローリング・ストーン誌のデヴィッド・フリッケは「グランド・ファンク・レイルロードを語らずして1970年代のロックについて語ることはできない」という言葉を残している。


 順風満帆の活躍を続けていたGFRだが、1971年後半にはテリー・ナイトのマネジメント方針や金銭管理に対して不信感を募らせるようになる。1972年になるとついにGFR側はテリー・ナイトを解雇するとともに、正当な利益を受けていないことを理由に800万ドルの損害賠償請求を起こした。1972年3月、ジョン・L・イーストマン(リンダ・マッカートニーの兄)が代理人となる。4月には逆にテリー・ナイトがGFRのメンバーとイーストマン代理人を相手取り5500万ドルの損害賠償訴訟を起こし、結局ナイトが勝訴した。
 これを機にテリー・ナイトと決別したGFRは、1972年に自らが初めてプロデュースしたアルバム『不死鳥』を発表。なおこのアルバムからバンド名を「グランド・ファンク」と改めている。
 『不死鳥』はケイジャン・フィドルの名手ダグ・カーショウと、旧友のクレイグ・フロスト(Craig Frost Keyboard)をゲストに迎えており、以前に比べてややポップな音楽性を加味している。このアルバムからは『ロックンロール・ソウル』がシングル・カットされ、ヒットした。


 この頃GFRはバンドにキーボーディストを加えることを計画、一時はピーター・フランプトンがその候補に挙げられていたようだが、結局『不死鳥』にゲスト参加した旧知のキーボード・プレイヤー、クレイグ・フロストを1973年に正式メンバーとして迎えた。フロストの加入でバンドの音楽性の幅はさらに広がった。
 この年8月、異才トッド・ラングレンをプロデューサーに起用したアルバム『アメリカン・バンド』を発表。このアルバムはビルボード誌で全米2位、キャッシュ・ボックス誌で全米1位を記録している。また7月に先行リリースされたアルバムのタイトル曲は9月29日にビルボード誌で全米1位を獲得、ビルボード誌の年間チャートでも23位となる大ヒットを記録した。このアルバム・タイトルはそのままGFRの代名詞となったほか、のちにはアメリカのロック・バンドのライブで何度も演奏されている
 続いて1974年に発表したアルバム『輝くグランド・ファンク』では、1962年に全米1位を記録したリトル・エヴァの大ヒット曲『ロコモーション』(作詞作曲はジェリー・ゴーフィン & キャロル・キング)をカバーしてシングル・カットしたが、これがビルボード、キャッシュ・ボックスともに全米1位を獲得、1974年の年間チャートでは6位となるGFR最大のヒットとなった。


 1974年には「ラズベリーズ」「スリー・ドッグ・ナイト」「キッス」など多くのバンドを成功に導いたジミー・イエナーをプロデューサーに迎え、12月に『ハード・ロック野郎』を発表する。このアルバム・ジャケットはメンバーの顔と、以前からの友人であるふたりのボディビルダーの体を組み合わせた写真を使っているが、起用されたボディビルダーのうちひとりがのち俳優として成功するアーノルド・シュワルツェネッガーである。このアルバムはポップな感覚を打ち出し、『オー・ワンダフル』『バッド・タイム』の2曲のシングル・ヒットを生んだ。


 1975年、GFRは2枚組ライヴ・アルバム『グランド・ファンク・ツアー'75』を発表。
 キャピトル・レコードとGFRの契約は、あと2枚のアルバムをリリースするという内容であり、GFRはこのライヴ・アルバムがダブル・アルバムだったことから契約内容を満たしたと考えた。しかしキャピトル側はあくまで「新作を入れたアルバムでないと契約を果たしたことにはならない」として、両者は対立する。
 最終的には新作の入ったアルバム1枚で契約は果たされることで合意し、1976年にアルバム『驚異の暴走列車』を発表した。しかしこのアルバムはチャート最高47位と低迷、以後GFRの人気は下降線をたどることになるのである。


 『驚異の暴走列車』を最後にMCAに移籍したGFRは、フランク・ザッパのプロデュースで1976年に『熱い激突』を発表した。しかし当時のGFRはほぼ解散状態となっており、鬼才ザッパをもってしてもバンドの勢いは取り戻すことができなかった。
 アルバムのチャート最高は52位にとどまり、これをもってGFRは解散した。
 解散後、ファーナーはアトランティック・レコードと契約してソロ活動を開始、『不死身の勇者(1977年)、『No Frills(1978年)の2枚のアルバムを発表。
 ブリューワー、サッチャー、フロストの3人は「フリント(Flint)」を結成し、フランク・ザッパやトッド・ラングレンをゲストに迎えて1977年にアルバム『電撃を発表したが、セールスは振るわなかった。(ちなみにフリントはミシガン州の地名で、ブリューワーとマーク・ファーナーの出身地である)


     


 1980年になって、解散時のマネージャーであるアンディ・ガヴィリエールからの打診がきっかけとなり、1981年2月にファーナーとブリューワーがGFRを再結成。ベーシストは、当初はメル・サッチャーが参加する予定だったが、レコーディング直前に脱退したため、後任にデニス・ベリンジャーを加えてGFRを再結成。
 新たなグランド・ファンク・レイルロードは、『グランド・ファンク復活』(1981年)、『ホワッツ・ファンク?』(1983年)の2枚のアルバムを発表するが、いずれも評価は芳しくなかった。
 バンドはリック・ベイカー(keyboard)を加えて1981年と1982年にツアーを行ったが、アルバムのセールスが低迷していたこと、マネージャーのガヴィリエールが死亡したことによって、1983年に二度目の解散を余儀なくされた。
 その後ファーナーはソロに戻り、クリスチャンのレコーディング・アーティストとして活動。1995年にはリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドの一員となった。
 ブリューワーは、フロストも在籍しているボブ・シーガーのシルヴァー・ブレット・バンドに参加。


 1995年後半からGFRの元メンバーたちは何度か集まり、リハーサルを行うようになった。そして1996年にオリジナル・メンバー(キーボーディスト/ギタリスト、バックグラウンド・ボーカリストのハワード・エディ・ジュニアがツアーに参加)で再々結成。1997年にはボスニア救済のためのコンサートに出演している。
 1998年後半、ファーナーはソロ活動のためにバンドから脱退。GFRは2年間活動を休止した後、残ったブリューワーとサッチャーはマックス・カール(lead-vocal 元38スペシャル)、ブルース・キューリック(guitar 元キッス)、ティム・カーション(keyboards 元ボブ・シーガー、元ロバート・パーマー)を加えて新しいラインナップを完成させた。
 2005年、GFRはミシガン・ロックンロール・レジェンド殿堂入り。この年クレイグ・フロストが復帰、ツイン・キーボード編成となる。
 2018年、メル・サッチャーのデナ夫人が癌のため死去したため、スタンリー・シェルドン (元ピーター・フランプトン))がサッチャーの代役を務めた。
 2019年、GFR50周年を記念して「アメリカン・バンド・ツアー2019」を行った。



【ディスコグラフィ】

 <アルバム> ☆=ライヴ・アルバム ★コンピレーション・アルバム
  1969年 グランド・ファンク・レイルロード登場/On Time (全米27位 日本44位 オーストラリア14位 カナダ34位)
  1969年 グランド・ファンク/Grand Funk(全米11位 日本26位 オーストラリア13位 カナダ9位)
  1970年 クローサー・トゥ・ホーム/Closer to Home(全米6位 日本30位 オーストラリア9位 カナダ5位)
 ☆1970年 ライヴ・アルバム/Live Album(全米5位 全英29位 日本10位 オーストラリア15位 カナダ5位)
  1971年 サバイバル/Survival(全米6位 日本7位 オーストラリア9位 カナダ5位)
  1971年 戦争をやめよう/E Pluribus Funk(全米5位 日本15位 オーストラリア11位 カナダ3位)
  1972年 不死鳥/Phoenix(全米7位 日本21位 オーストラリア13位 カナダ8位 ノルウェイ20位)
 ★1972年 ゴールデン・ディスク/Mark, Don & Mel:1969-71(全米17位)
  1973年 アメリカン・バンド/We're an American Band(全米2位 日本10位 オーストラリア27位 カナダ4位 ノルウェイ12位)
  1974年 輝くグランド・ファンク/Shinin' On(全米5位 日本24位 オーストラリア43位 カナダ2位 ノルウェイ10位)
  1974年 ハード・ロック野郎(世界の女は御用心)/All the Girls in the World Beware!!!(全米10位 日本38位 オーストラリア66位 カナダ20位)
 ☆1975年 グランド・ファンク・ツアー '75/Caught in the Act(全米21位 日本31位 カナダ33位)
  1976年 驚異の暴走列車/Born to Die(全米47位 日本35位 カナダ31位)
  1976年 熱い激突/Good Singin', Good Playin'(全米52位 カナダ48位)
  1981年 グランド・ファンク復活/Grand Funk Lives(全米149位)
  1983年 ホワッツ・ファンク?/What's Funk?
 ☆1997年 ボスニア/Bosnia
 ☆2002年 1971ライヴ/Live:The 1971 Tour

<シングル> 
  1969年 タイム・マシーン/Time Machine(全米48位 カナダ43位)
  1969年 ミスター・リムジン・ドライヴァー/Mr. Limousine Driver(全米97位 カナダ92位)
  1970年 ハートブレイカー/Heartbreaker(全米72位 カナダ58位)
  1970年 ナッシング・イズ・ザ・セイム/Nothing is the Same
  1970年 アイム・ユア・キャプテン(クローサー・トゥ・ホーム)/I'm Your Captain(Closer to Home)(全米22位 カナダ21位)
  1970年 ミーン・ミストリーター/Mean Mistreater(全米47位 カナダ30位)
  1971年 孤独の叫び/Inside Looking Out(全英40位)
  1971年 フィーリン・オールライト/Feelin' Alright(全米54位 カナダ20位)
  1971年 ギミー・シェルター/Gimme Shelter(全米61位 カナダ49位 ドイツ42位)
  1971年 戦争をやめよう/People, Let's Stop the War(全米105位)
  1972年 フットストンピン・ミュージック/Footstompin' Music(全米29位 カナダ43位 オーストラリア83位)
  1972年 アップセッター/Upsetter(全米73位 カナダ89位)
  1972年 ロックンロール・ソウル/Rock & Roll Soul(全米29位 カナダ37位)
  1973年 アメリカン・バンド/We're an American Band(全米1位 カナダ4位 オーストラリア87位)
  1973年 ウォーク・ライク・ア・マン/Walk Like a Man(全米19位 全英57位 カナダ16位 ドイツ10位 オーストラリア5位)
  1974年 ロコ・モーション/The Loco-Motion(全米1位 カナダ1位)
  1974年 シャイニン・オン/Shinin' On(全米11位 カナダ13位)
  1974年 オー・ワンダフル/Some Kind of Wonderful(全米3位 カナダ6位 オーストラリア39位)
  1975年 バッド・タイム/Bad Time(全米4位 カナダ3位)
  1975年 テイク・ミー/Take Me(全米53位 カナダ58位)
  1976年 サリー/Sally(全米69位 カナダ35位)
  1976年 Can You Do It(全米45位 カナダ75位)
  1977年 Just Could'nt Wait
  1981年 Y.O.U.(全米125位)
  1982年 Stuck in the Middle(全米108位)


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ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース

2023-01-08 13:57:06 | band

ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース Ginger Baker's Air Force


活動期間
  1970年~1971年


メンバー
  ジンジャー・ベイカー/Ginger Baker(drums, percussions, vocals)在籍1970.1~1971.1

  フィル・シーメン/Phil Seamen(drums, percussions)在籍1970.1~1970.5
  レミ・カバカ/Remi Kabaka(percussions, drums)在籍1970.1~1970.5
  アラン・ホワイト/Alan White(drums, piano)在籍1970.3~1970.5
  ロッキー・ジゾルヌ/Rocky Dzidzornu(percussions)在籍1970.5~1970.9
  ニーモイ・アクアイ/Neemoi "Speedy" Acquaye(percussions, drums)在籍1970.9~1971.1
  ガスパー・ラワル/Gasper Lawal(percussions)在籍1971.1
  デニー・レーン/Denny Laine(guitar, piano, vocals)在籍1970.1~1970.5
  ケン・クラドック/Ken Craddock(guitar, organ, piano, vocals)在籍1970.9~1971.1
  スティーヴ・ウインウッド/Steve Winwood(organ, bass, vocals)在籍1970.1~1970.3
  リック・グレッチ/Ric Grech(bass, violin)在籍1970.1~1970.5
  ハロルド・マクネアー/Harold McNair(sax, flute)在籍1970.1~1970.5
  クリス・ウッド/Chris Wood(sax, flute)在籍1970.1~1970.3
  グラハム・ボンド/Graham Bond(sax, organ, piano, vocals)在籍1970.1~1971.1
  コリン・ギブソン/Colin Gibson(sax, bass)在籍1970.3~1971.1
  スティーヴ・グレゴリー/Steve Gregory(sax, flute)在籍1970.9~1971.1
  バド・ビードル/Bud Beadle(sax)在籍1970.9~1971.1
  ジネット・ジェイコブス/Jeanette Jacobs(vocals)在籍1970.1~1970.5
  ダイアン・スチュワート/Diane Stewart(vocals)在籍1970.3~1971.1
  エレノア・バルーシアン/Eleanor Barooshian(vocals)在籍1970.3~1970.5
  キャスリーン・ジェイムス/Catherine James(vocals)在籍1970.5~1970.10
  アリキ・アシュマン/Aliki Ashman(vocals)在籍1970.9~1971.1
  ジョニー・ハーストラップ/Johnny Haastrup(vocals)在籍1971.1


     



 ジンジャー・ベイカーが結成したジャズ・ロック・グループ。
 結成当初は、3人の打楽器奏者と3人の管楽器奏者を含む10人の大編成であった。
 ジャズのフォーマットやアフリカン・ビートなどを大胆に導入した、いわば最初期の「フュージョン・グループ」とも言える存在である。


 「スーパー・グループ」として名を馳せたブラインド・フェイスが1969年10月に解散すると、ジンジャー・ベイカー(drums)は自らの主導で、1969年の終わり頃に新たなグループを結成する。
 「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース」と名付けられたこのグループは、1970年1月に活動を開始。
 当初の陣容は、
  ジンジャー・ベイカー(drums)
  フィル・シーメン(drums)
  レミ・カバカ(percussions)
  スティーヴ・ウインウッド(organ, vocal)
  デニー・レイン(guitar, vocal)
  リック・グレッチ(bass, violin)
  グラハム・ボンド(alto-sax)
  クリス・ウッド(tenor-sax, flute)
  ハロルド・マクネアー(tenor-sax, flute)
  ジネット・ジェイコブス(vocal)
 の10人で、3人の打楽器奏者と、3人の管楽器奏者を抱えていた大編成バンドであった。


 「ブラインド・フェイス」からはベイカーのほか、リック・グレッチとスティーヴ・ウインウッドが参加している。フィル・シーメンはイギリスを代表するジャズ・ドラマーのひとりで、1960年代初頭にベイカーを指導していたことがある。またウインウッドとクリス・ウッドは「トラフィック」でのバンド・メイトだった。そのウッドと1969年に結婚したのがジネット・ジェイコブスである。ジェイコブスは女性ボーカル・グループ「ケイク」の元メンバーで、1970年3月にエア・フォースに加わったエレノア・バルーシアンはケイク時代の同僚だった。
 そのほかグラハム・ボンドはイギリスのR&Bあるいはブルース・ロックの世界では知らない者がいない重要ミュージシャンであり、ベイカーは彼のバンド「グラハム・ボンド・オーガニゼイション」のメンバーだったこともある。
 またデニー・レインは元ムーディ・ブルースなどのメンバーで、「Balls」というバンドとエア・フォースの両方で活動していた。彼はのちポール・マッカートニーのバンド「ウィングス」のメンバーになったことで知られている。


     


 こうした錚々たるメンバーが集結して始動したエアフォースは、1970年1月15日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでライヴを行ったが、この時の模様を収録したのが、1970年3月に発表されたエアフォースのファースト・アルバム『ジンジャー・ベイカーズ・エアフォース』である。
 エア・フォースは、ジャズのフォーマットを取り込んだ即興主体の演奏や、アフロ・ビートなどを吸収したユニークな音楽性を前面に押し出し、独自の世界を作り上げた。


 エア・フォースはメンバーが流動的だったため、ベイカーの企図する音楽を実現するためのセッション・グループ的性格が強くなっていった。1970年12月には早くもセカンド・アルバム『ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース 2』を発表したが、ベイカーがさらなるアフリカン・ミュージックへの接近を図っていたことなどが原因で、1971年初頭に解散した。

 解散後のベイカーは、フィル・シーメンら複数のドラマーにコーラスを加えて1971年に「ドラム・クワイアー」を結成したのち、翌72年にはバド・ビードル(sax)、バークリー・ジョーンズ(guitar)、ジョニー・ハーストラップ(vocal, percussion)、ラオル・エイキンズ(african-drums)、スティーヴ・グレゴリー(tenor-sax, flute)らと「ジンジャー・ベイカー & ソルト」を結成して、アフリカン・ミュージックへの傾倒を強めてゆくことになる。


 2015年、ベイカーは「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース 3」の名で2016年にワールド・ツアーを行う予定があることを発表した。しかしベイカーは2016年になって心臓疾患のための治療が必要となり、「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース 3」のツアーはキャンセルを余儀なくされた。
 2019年10月6日、病のためベイカーは80歳で他界した。


     


【ディスコグラフィ】
 <アルバム>
  1970年 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース/Ginger Baker's Air Force(全米33位、全英37位)*Live
  1970年 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース 2/Ginger Baker's Air Force 2
  2010年 Live in Offenbach, Germany 1970(recorded at 1970)*Live
  2015年 Do What You Like(recorded at 1971)*Live+studio outtakes
 <シングル>

  1970年 マン・オブ・コンスタント・ソロウ/Man of Constant Sorrow(全英86位)


【メンバー変遷】
 #1 1970.1~1970.3
  ジンジャー・ベイカー(drums)ex. ブラインド・フェイス
  フィル・シーメン(drums)
  レミ・カバカ(percussions)
  スティーヴ・ウインウッド(organ, vocal)ex. ブラインド・フェイス →トラフィック
  デニー・レイン(guitar, vocal)ex.エレクトリック・ストリング・バンド
  リック・グレッチ(bass, violin)ex. ブラインド・フェイス
  グラハム・ボンド(alto-sax)ex.グラハム・ボンド・オーガニゼイション
  クリス・ウッド(tenor-sax, flute)ex.トラフィック →トラフィック
  ハロルド・マクネアー(tenor-sax, flute)
  ジネット・ジェイコブス(vocal)ex.ケイク

 #2 1970.3~1970.5
  ジンジャー・ベイカー(drums)
  フィル・シーメン(drums)→ドラム・クワイアー
  アラン・ホワイト(drums)→イエス
  レミ・カバカ(percussions)
  デニー・レイン(guitar, vocal)→ウィングス
  リック・グレッチ(bass, violin)→トラフィック
  コリン・ギブソン(sax, bass)
  グラハム・ボンド(alto-sax)
  ハロルド・マクネアー(tenor-sax, flute)
  ジネット・ジェイコブス(vocal)
  ダイアン・スチュワート(vocal)
  エレノア・バルーシアン(vocal)ex.ケイク

 #3 1970.5~1970.9
  ジンジャー・ベイカー(drums)
  ロッキー・ジゾルヌ(percussions)
  コリン・ギブソン(sax, bass)
  グラハム・ボンド(alto-sax)
  ダイアン・スチュワート(vocal)
  キャスリーン・ジェイムス(vocal)

 #4 1970.9~1970.10
  ジンジャー・ベイカー(drums)
  ニーモイ・アクアイ(percussions, drums)
  ケン・クラドック(guitar, organ, piano, vocal)
  コリン・ギブソン(sax, bass)
  グラハム・ボンド(alto-sax)
  スティーヴ・グレゴリー(sax, flute)
  バド・ビードル(sax)
  ダイアン・スチュワート(vocal)
  キャスリーン・ジェイムス(vocal)
  アリキ・アシュマン(vocal)

 #5 1970.10~1971.1
  ジンジャー・ベイカー(drums)
  ニーモイ・アクアイ(percussions, drums)
  ケン・クラドック(guitar, organ, piano, vocal)
  コリン・ギブソン(sax, bass)
  グラハム・ボンド(alto-sax)
  スティーヴ・グレゴリー(sax, flute)
  バド・ビードル(sax)
  ダイアン・スチュワート(vocal)
  アリキ・アシュマン(vocal)

 #6 1971.1
  ジンジャー・ベイカー(drums)→ドラム・クワイアー
  ニーモイ・アクアイ(percussions, drums)
  ガスパー・ラワル(percussion)
  ケン・クラドック(guitar, organ, piano, vocal)
  コリン・ギブソン(sax, bass)
  グラハム・ボンド(alto-sax)
  スティーヴ・グレゴリー(sax, flute)→ジンジャー・ベイカー & ソルト
  バド・ビードル(sax)→ジンジャー・ベイカー & ソルト
  ダイアン・スチュワート(vocal)
  アリキ・アシュマン(vocal)
  ジョニー・ハーストラップ(voval)→ジンジャー・ベイカー & ソルト


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エレクトリック・フラッグ

2022-12-15 22:38:53 | band

エレクトリック・フラッグ The Electric Flag


活動期間
  ①1967年~1969年
  ②1974年



メンバー

 ①1967~1969
  ニック・グレイヴナイツ/Nick Gravenites(vocals, rhythm-guitar)在籍1967~1969

  マイク・ブルームフィールド/Mike Bloomfield(lead-guitar, vocals)在籍1967~1968
  ホーシャル・ライト/Hoshal Wright(guitar)在籍1968~1969
  バリー・ゴールドバーグ/Barry Goldberg(keyboards)在籍1967
  マイケル・フォンファラ/Michael Fonfara(keyboards)在籍1967
  ハービー・リッチ/Herbie Rich(keyboards, baritone-sax, guitar, vocals)在籍1967~1969
  ジョン・サイモン/John Simon(keyboards)在籍1968~1969
  ハーヴェイ・ブルックス/Harvey Brooks(bass, vocals)在籍1967~1969
  バディ・マイルス/Buddy Miles(drums, guitar, vocals)在籍1967~1969, 1974
  マーカス・ダブルディ/Marcus Doubleday(trumpet)在籍1967~1969
  ステムシー・ハンター/Stemsy Hunter(alto-sax, vocals)在籍1968~1969
  ピーター・ストラッツァ/Peter Strazza(tenor-sax)在籍1967~1968
  テリー・クレメンツ/Terry Clements(tenor-sax)在籍1968~1969
  ヴァージル・ゴンサルヴス/Virgil Gonsalves(baritone-sax, flute)在籍1968~1969

 ②1974
  ニック・グレイヴナイツ/Nick Gravenites(vocals, rhythm-guitar)
  マイク・ブルームフィールド/Mike Bloomfield(lead-guitar, vocals)
  バリー・ゴールドバーグ/Barry Goldberg(keyboards)
  ロジャー・トロイ/Roger Troy(bass, vocals)
  バディ・マイルス/Buddy Miles(drums, vocals) 
  


 1967年にマイク・ブルームフィールドによって結成されたバンド。ホーン・セクション入りのブルース・ロックを提唱する、画期的な「スーパー・グループ」として注目を集めた。


 マイク・ブルームフィールドは、1960年代中盤から終盤にかけてアメリカで最も注目されていたギタリストのひとりであった。
 当時のブルームフィールドはバターフィールド・ブルース・バンドに在籍していたが、相次ぐツアーによる疲労が深刻になり、バンドから脱退する。
 当時西海岸は、ジェファーソン・スターシップなどの出現で活況を呈しており、ブルームフィールドも心機一転サンフランシスコに移った。そして、ホーン・セクションを取り入れ、ブルースやサザン・ソウルをベースにした音楽を作るべく、気心の知れたミュージシャンを集めて結成したバンドが「エレクトリック・フラッグ」である。


 メンバーは、ブルームフィールドのほか、ニック・グレイヴナイツ(vocal)とバリー・ゴールドバーグ(keyboard)というシカゴ時代からの盟友ふたりに加え、スタジオ・ミュージシャンとして活躍していたベーシストのハーヴェイ・ブルックスと、元ウィルソン・ピケットのツアー・バンドのドラマーで、ジミ・ヘンドリックスとの共演経験もあるバディ・マイルス、そしてゴールドバーグのシカゴ時代の友人でサックスのピーター・ストラッツァの、計6人である。
 ちなみにゴールドバーグとブルックスは、ボブ・ディランのアルバム『追憶のハイウェイ61』で共演している。


 エレクトリック・フラッグは、手始めにロジャー・コーマン監督、ピーター・フォンダ主演の1967年の映画『ザ・トリップ』のサウンドトラックを担当する(全てブルームフィールドが作曲)。そして同年のモンタレー・ポップ・フェスティヴァルで本格的なデビューを飾った。
 モンタレーでのパフォーマンスは観客から支持されたものの、1967年7月から始まっていたファースト・アルバムのレコーディングはメンバーの個人的な問題で大幅に遅れてしまう。
 ブルームフィールド、ゴールドバーグ、ストラッツァにはドラッグによる悪影響があった。その問題を解決しようとしている間に、ジャズ・ギタリストのラリー・コリエルの紹介で、トランペッターのマーカス・ダブルディがバンドに参加した。
 1967年11月になると、ゴールドバーグがバンドを脱退し、後任としてマイケル・フォンハラが加入。
 こうしていくつかのメンバーの異動があったが、1968年3月になってようやくファースト・アルバム『ア・ロング・タイム・カミン』がリリースされる。アルバム・チャートはビルボード31位に終わったが、ホーン・セクションを大胆に導入したブルース・ロックという当時の西海岸では稀なスタイルで注目された。彼らの音楽性は、シカゴやブラッド・スウェット & ティアーズにも影響を与えたと言われている。
 しかし1968年6月、ドラッグの弊害による不眠症がひどくなったためブルームフィールドが脱退する。


     


 ブルームフィールドとゴールドバーグが脱退した後はバディ・マイルスがバンドをまとめ、1968年にセカンド・アルバム『An American Music Band』をリリースした。しかしメンバー間に生じた音楽性の相違やドラッグ問題を解消できず、エレクトリック・フラッグはこのアルバムを最後に解散した。
 解散後、ブルームフィールドはアル・クーパー(keyboard)とアルバム『スーパー・セッション』を制作。このアルバムにはブルックスとゴールドバーグも参加している。
 バディ・マイルスは1969年10月に、ジミ・ヘンドリックス、ビリー・コックスと「バンド・オブ・ジプシーズ」を結成。


 1974年、ブルームフィールド、ゴールドバーグ、マイルス、グレイヴナイツのオリジナル・メンバーに、新たにベースにロジャー・トロイを加えてエレクトリック・フラッグは再結成する。アルバム『The Band Kept Playing』を発表したが、セールスは期待されたほどではなかった。そして数か月の間に散発的にライヴを行ったが、ほどなく解散している。
 2007年7月に開催された、40回目の記念すべきモンタレー・ポップ・フェスティヴァルに、グレイヴナイツとゴールドバーグが中心となって限定的にエレクトリック・フラッグを再結成して出演し、ファースト・アルバムからセレクトした曲などを演奏している。



【ディスコグラフィ】
 <アルバム>
  1968年 ア・ロング・タイム・カミン/A Long Time Comin' US(ビルボード)31位
  1968年 An American Music Band

  1974年 The Band Kept Playing


【メンバー変遷】


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トー・ファット

2022-11-17 20:01:52 | band

トー・ファット Toe Fat


活動期間
  ①1969年~1971年
  ②1972年



メンバー

 ①1969~1970
  クリフ・ベネット/Cliff Bennett(vocal, piano)在籍1969~1971, 1972

  アラン・ケンドール/Alan Kendall(guitar)在籍1970~1971
  ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(keyboards, guitar, vocal)在籍1969 
  ジョン・グラスコック/John Glascock(bass)在籍1969~1971 
  リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums)在籍1969
  ブライアン・グラスコック/Brian Glascock(drums)在籍1970~1971

 ②1972
  クリフ・ベネット/Cliff Bennett(vocal)
  ミック・クラーク/Mick Clarke(guitar)
  リントン・ナイフ/Lynton Naiff(keyboard)
  ミック・ホークスワース/Mick Hawksworth(bass)
  トニー・フェルナンデス/Tony Fernandez(drums)


 
 「トー・ファット」(Toe Fat)は、ヴォーカリストのクリフ・ベネットと、「ゴッズ」のメンバーが合流したロック・バンドである。
 ケン・ヘンズレーリー・カースレイク(のちともにユーライア・ヒープ)が在籍していたことで知られる。


 クリフ・ベネットは、「レベル・ラウザーズ」(The Rebel Rousers)を率いて活動していたヴォーカリストである。
 ベネットは1968年にレベル・ラウザーズから離れると、翌69年に旧知のミュージシャンであるケン・ヘンズレーに声をかけた。ヘンズレーはその年2月の「ゴッズ」(The Gods)の解散によってフリーになっていたからである。
 ベネットはヘンズレーのほか、ベースにポール・バス(Paul Bass)、ドラムスにフランク・ファーリー(Frank Farley)を加え、「クリフ・ベネット・バンド」を結成し、1969年6月にはシングル「Memphis Streets」(ベネットのソロ名義)をリリース。
 そしてシングル・リリースとほぼ同時期に、ベースがバスからジョン・グラスコックに、ドラムスがファーリーからリー・カースレイクに代わり、バンド名を「トー・ファット」として、新たに活動を始めた。
 (トー・ファットの初代ベーシストは、デビュー・アルバムによると「ジョン・コーナス」と記載されている。これは元ゴッズのジョー・コーナスの記載ミスだと思われていたが、実際にはジョー・コーナスはトー・ファットのメンバーだったことはなく、正しくは、やはり元ゴッズの「ジョン・グラスコック」である。)


 ヘンズレーとカースレイクはデビュー・アルバムのレコーディングには参加したが、1969年11月には脱退し、ヘンズレーは「ヘッドマシーン」(Headmachine)に、カースレイクは「ナショナル・ヘッド・バンド」(National Head Band)に加わった。
 ベネットはアラン・ケンドール(guitar 元Glass Menagerie のちビー・ジーズのサポート)、ジョンの兄で、やはり元ゴッズのブライアン・グラスコック(drums)を補充し、活動を続ける。


 1970年2月、トー・ファットはデビュー・シングル「Working Nights」をリリース。ちなみにB面に収録された「Bad Side of the Moon」は、当時まだ無名だったエルトン・ジョンとバーニー・トーピンが書き下ろした作品である。
 同年5月には、ヒプノシスによる奇妙なジャケット写真が話題となったデビュー・アルバム「Toe Fat」をリリース。
 この年11月には早くもセカンド・アルバム「Toe Fat 2」をリリースしたが、ほどなくバンドは解散する。


 トー・ファット解散後のベネットは、自己のバンド「リベリオン」(Rebellion)を結成するが、1972年にはミック・クラーク(guitar)、リントン・ナイフ(keyboard)、ミック・ホークスワース(bass)、トニー・フェルナンデス(drums)の布陣でトー・ファットを再結成する。
 同年9月、シングル「Brand New Band」をリリースしたが不発に終わり、トー・ファットは再び活動を停止した。


     


【ディスコグラフィ】
 <アルバム>
  1970年 Toe Fat

  1970年 Toe Fat 2 

 <シングル>
  1970年 Working Nights
  1972年 Brand New Band


【メンバー変遷】

 #1 1969
  クリフ・ベネット(vocal)ex. Cliff Bennett Band
  ケン・ヘンズレー(keyboard, guitar, vocal)ex. The Gods → Head Machine
  ジョン・グラスコック(bass, vocal)ex. The Gods
  リー・カースレイク(drums)ex. The Gods → National Head Band

 #2 1970~1971
  クリフ・ベネット(vocal)
  アラン・ケンドール(guitar)ex. Glass Menagerie
  ジョン・グラスコック(bass, vocal)
  ブライアン・グラスコック(drums)ex. Head Machine, ex. Octopus

 #3 1972
  クリフ・ベネット(vocal)
  ミック・クラーク(guitar)
  リントン・ナイフ(keyboard)
  ミック・ホークスワース(bass)
  トニー・フェルナンデス(drums)


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ユーライア・ヒープ

2022-11-13 15:14:09 | band

ユーライア・ヒープ Uriah Heep

【活動期間】
   1969~

【メンバー】
 <vocal>
  デヴィッド・バイロン/David Byron(vocal)在籍1969~1976
  ジョン・ロートン/John Lawton(voval)在籍1976~1979
  ジョン・スローマン/John Sloman(vocal)在籍1979~1981
  ピーター・ゴールビー/Peter Goalby(vocal)在籍1981~1985
  ステフ・フォンテイン/Steff Fontaine(vocal)在籍1986
  バーニー・ショウ/Bernie Shaw(vocal)在籍1986~
 <guitar>
  ミック・ボックス/Mick Box(guitar)在籍1969~
 <keyboard>
  ケン・ヘンズレー/Ken Hensley(keyboard)在籍1970~1980
  グレッグ・デシャート/Gregg Dechert(keyboard)在籍1980~1981
  ジョン・シンクレア/John Sinclair(keyboard)在籍1981~1985
  フィル・ランゾン/Phil Lanzon(keyboard)在籍1986~
 <bass>
  ポール・ニュートン/Paul Newton(bass)在籍1969~1971
  マーク・クラーク/Mark Clarke(bass)在籍1971~1972
  ゲイリー・セイン/Gary Thain(bass)在籍1972~1975
  ジョン・ウェットン/John Wetton(bass)在籍1975~1976
  トレヴァー・ボルダー/Trevor Bolder(bass)在籍1976~1981, 1983~2013
  ボブ・デイズリー/Bob Daisley(bass)在籍1981~1983
  デイヴ・リマー/Dave Rimmer(bass)在籍2013~
 <drums>
  アレックス・ネピアー/Alex Napier(drums)在籍1969~1970
  ナイジェル・オルソン/Nigel Olsson(drums)在籍1970
  キース・ベイカー/Keith Baker(drums)在籍1970
  イアン・クラーク/Ian Clarke(drums)在籍1970~1971
  リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums)在籍1971~1979, 1981~2007
  クリス・スレイド/Chris Slade(drums)在籍1979~1981
  ラッセル・ギルブルック/Russell Gilbrook(drums)在籍2007~

    
   
 ユーライア・ヒープは、ブリティッシュ・ハード・ロックの代表的なバンドのひとつである。
 全盛期の1970年代は、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ブラック・サバスなどと並び称された。


 1965年、「ゴッズ」(Gods)が活動を開始する。このバンドには,ケン・ヘンズレー(keyboard)が在籍していたほか、1967年にはポール・ニュートン(bass)、リー・カースレイク(drums)が加入している。
 1968年3月にゴッズを脱退したニュートンは、ミック・ボックス(guitar)やデヴィッド・ガーリック(のちデヴィッド・バイロンと改名, vocal)の在籍する「スパイス」に参加する。スパイスは、ボックスとガーリックを中心として1967年に結成されたバンドである。


 1969年2月にゴッズが解散すると、ヘンズレーは「クリフ・ベネット・バンド」に参加。同年6月、このバンドにやはり元ゴッズのリー・カースレイクが加わり、バンド名を「トー・ファット」とした。
 同年11月、ヘンズレーとカースレイクはバンドから脱退し、「ヘッドマシーン」(Head Machine)名義でアルバムを発表する。


 この1969年当時、スパイスはブロン・エージェンシーと契約を交わしていた。
 当時のスパイスのラインナップは、ポール・ニュートン(bass)、デヴィッド・バイロン(vocal)、ミック・ボックス(guitar)、アレックス・ネピアー(drums)の4人だったが、マネージャーのジェリー・ブロンは、バンドに歌える鍵盤奏者で、かつ正式メンバーが必要だと考えていた。こうして、ニュートンのゴッズ時代のバンド・メイトであり、1969年11月にトー・ファットを脱退したばかりだったヘンズレーに声がかかったのである。このバンドが1969年末に「ユーライア・ヒープ」と改名する。
 このユニークなバンド名はブロンの発案とも言われており、ちょうどディケンズ没後100周年でイギリス国内がディケンズ・ブームだったため、チャールズ・ディケンズの小説「デヴィッド・コパーフィールド」の登場人物の名を取ったものである。


 バンドは、諸事情によって1970年初頭まで「スパイス」名義で活動したのち、1970年3月から「ユーライア・ヒープ」として活動をスタートした。
 さっそくファースト・アルバムのレコーディングに取りかかったが、アレックス・ネピアー(drums)は6曲録音したのみで解雇され、すぐにナイジェル・オルソン(元プラスティック・ペニー、スペンサー・デイヴィス・グループ)と交替する。
 1970年12月、ファースト・アルバム『ユーライア・ヒープ・ファースト』を発表したが、メディアからは酷評され、アルバム発表後のツアーも結果を残せなかった。オルソンはツアーに短期間だけ参加したがすぐに脱退し、間もなく後任としてキース・ベイカー(drums 元ベイカールー、メイ・ブリッツ)が加入。
 1970年12月、セカンド・アルバム『ソールズベリー』のレコーディングが終了した後、ドラムがイアン・クラーク(元Cressida)に交替。そのクラークも、翌年秋にヒープを解雇される。以前からヒープが参加を打診していたリー・カースレイクの加入が決まったためである。そしてその直後にポール・ニュートンもバンドを離れた。
 クラークの後任として1971年11月に加入したリー・カースレイク(元ナショナル・ヘッド・バンド)は、ヘンズレーとともにゴッズに在籍していたドラマーである。カースレイクはこの後通算して約36年ユーライア・ヒープのドラマーを務めることになる。
 ベーシストにはマーク・クラーク(元コロシアム)が加わったが、彼はわずか3ヵ月在籍したのみで、『悪魔と魔法使い』のレコーディング中に脱退し(「悪魔と魔法使い」の1曲のみベース、ソング・ライティング、ボーカル・パートの一部に参加)、「テンペスト」の結成に参加。クラークの後任に迎えられたのが、ゲイリー・セイン(元キーフ・ハートリー・バンド)である。
 同年11月にはヒープの出世作となったサード・アルバム『対自核』を発表。『対自核』は全英アルバム・チャートで初めて100位以内に入ったばかりか、39位までチャートを上昇した。このヒットでヒープは一躍人気バンドの仲間入りをした。



Uriah Heep 1973


 メンバーがバイロン、ボックス、ヘンズレー、セイン、カースレイクに固まった1972年からがユーライア・ヒープの黄金時代だと言われている。
 バイロンのハイ・トーン・ヴォイスと重厚なコーラス・ワーク、セインとカースレイクの強力なリズム・セクション、ファズを効かせた独特なヘンズレーのオルガン、ワウを有効に使ったボックスのギターなどの彼らの特徴を活かし、親しみやすいメロディーとドラマチックな曲構成を持った独自のヘヴィーなサウンドを構築した。
 1972年に発表した『悪魔と魔法使い』は全英20位、全米23位(初の全米トップ40入り)のヒットを記録。このアルバムからシングル・カットされた『安息の日々』はスマッシュ・ヒットし、ヒープ唯一の全米トップ40シングル(全米39位)となった。のちケン・ヘンズレーは、このアルバムにおいて「ユーライア・ヒープは完成した」と述べている。なおレコード・ジャケットは、「イエス」のジャケットで知られるロジャー・ディーンが担当している。
 続いてさらに同年に発表した『魔の饗宴』も全英28位、全米31位のヒットを記録したが、この頃にはゲイリー・セインの薬物依存がバンドに影を落とすようになっていた。


 1973年1月、イギリス・ツアーを行なう。この模様を収めたのがライヴ・アルバム『ユーライア・ヒープ・ライヴ』である。このアルバムは全盛期のユーライア・ヒープの様子を聴くことができる貴重なものである。またこの年には初来日も果たしており、3月16日から21日にかけて日本武道館などで5公演を行なった。
 1973年に『スウィート・フリーダム』、翌1974年には『夢幻劇』発表。ヒープ・サウンドの特徴は残しながらもややコマーシャルなサウンドへとシフトしたため、その影響から一時の勢いに影を落とすことになる。
 1974年、ゲイリー・セインがステージ上で感電事故に遭う。かなりの重傷だったため長期休養に入ったが、治療のあいだに薬物への依存が深刻なものとなり、同年ついに解雇される。後任として加入したのは、ブリティッシュ・ロック界の重鎮ベーシスト、ジョン・ウェットンであった。ウェットン加入のニュースはロック界に驚きをもって迎えられた。
 ウェットンを迎えて1975年6月に発表した『幻想への回帰』は全英7位(ヒープ唯一の全英トップ10アルバム)を記録、やや低迷していたヒープの久しぶりの快心作となった。
 1976年5月には『ハイ&マイティ』をリリース。
 曲作りなどでバンドの中枢を担いつつあったウェットンだったが、『ハイ・アンド・マイティ』リリース直後の8月に脱退する。その後ウェットンは、ブライアン・フェリーのグループを経てU.K.に加わる。
 またこの年には、アルコール中毒という大きな問題を抱えていたバイロンも解雇された。
 ふたりが去ったヒープはかつての勢いを失ったものの、ふたりの後任としてドイツのバンド「ルシファーズ・フレンド」のジョン・ロートン(vocal)と、デヴィッド・ボウイのバック・バンド「スパイダース・フロム・マーズ」のトレヴァー・ボルダー(bass)を1977年に加えてバンドの再建に乗り出し、10枚目のスタジオ・アルバム『ファイアフライ』を発表。



Uriah Heep 1975


 1978年、ハード・ポップ寄りのアルバム『罪なきいけにえ』『堕ちた天使』を発表。
 1979年9月、ヴォーカルのジョン・ロートンが脱退し、ジョン・スローマン(元ローンスター)に交替すると、同年11月にはドラマーのリー・カースレイクがケン・ヘンズレーとの対立が原因で脱退、後任にクリス・スレイド(元マンフレッド・マンズ・アース・バンド)が加入する。
 1980年4月『征服者』発表。
 同年9月、バンドの支柱のひとり、ケン・ヘンズレーが音楽性の相違から脱退し、「ブラックフット」に参加。後任にはカナダ人キーボード・プレイヤー、グレッグ・デシャート(元ローンスター)が加入。



Uriah Heep 1978


 この頃にはバンド内でのメンバー間の軋轢が非常に高まっており、1981年にはボックスを除くすべてのメンバー(ボルダー、スローマン、スレイド、デシャート)が脱退してしまう。ボルダーはウィッシュボーン・アッシュに加入。
 この結果、ヒープは完全に活動を停止した。
 その後ミック・ボックスは「ミック・ボックス・バンド」として活動を継続しようとしたが、レコーディング契約にあたって消滅状態になっていた「ユーライア・ヒープ」の名が必要となった。このためボックスは、ユーライア・ヒープ再編に向けて動き始めることになる。


 ヒープ存続の危機にあたり、まずボーカリストのピート・ゴールビー(元トラピーズ)、そしてキーボード・プレイヤーのジョン・シンクレア(元Heavy Metal Kids、Lion)が参加。その後Blizzard of Ozzを脱退したかつてのメンバー、リー・カースレイク(drums)が復帰。そして数々のブリティッシュ・ハード・ロック・バンドを渡り歩いてきた強者ベーシスト、ボブ・デイズリー(元Blizzard of Ozz)という、一騎当千のメンバーが集まったのである。
 こうしてようやくレコーディングの態勢が整ったヒープは、ハードなサウンドを維持しながらもキャッチーなアルバム『魔界再来』(1982年)を発表した。『That's the Way That It Is』はアメリカでのシングル・ヒットとなった。
 折しもハード・ロック・シーンは1970年代末からのNWOBHMの波に乗って活気づいており、ヒープも勢いを盛り返した。
 この1982年にはイギリスの夏の一大イベント「モンスター・オブ・ロック」にも出演し、ヒープ健在を見せつけている。
 以後もヒープは何度か活動停止に見舞われるが、唯一のオリジナル・メンバーとなったミック・ボックスがヒープ存続のためバンドを引っ張り続けている。


 1983年、『ヘッド・ファースト』発表。レコーディング後にボブ・デイズリーが脱退し、後任としてトレヴァー・ボルダーが復帰した。
 1985年2月、オリジナル・メンバーのデヴィッド・バイロンがアルコール依存症にともなう肝硬変のため死去、という悲報が伝えられた。まだ38歳という若さであった。
 この年、15年間在籍したブロンズ・レコードが倒産したため、CBS傘下のポートレイト・レコードに移籍。移籍第1弾として1985年3月に『イクウェイター』(Equator)をリリースしたが、アルバム発表後にシンクレアとゴールビーが脱退した。
 またしてもバンド存続の危機に立たされたヒープだったが、1986年にステラ・フォンテイン(vocal)とフィル・ランゾン(keyboard 元Grand Prix)を新たに加える。同年11月にフォンテインが解雇されると、Grand Prixでランゾンとバンド・メイトだったバーニー・ショウ(vocal)が迎えられた。
 こうして息を吹き返したヒープは1987年秋に本格的な活動を再開。同年12月にモスクワ・オリンピックで計18万人の観客を動員するライヴを行なった。この模様は1988年に『ライヴ・イン・モスクワ』のタイトルでリリースされた。
 モスクワでのコンサートの後は、再開されたレディング・フェスティヴァルにも出演し、ファンを湧かせている。
 1989年には新ラインナップとして初めてのスタジオ・アルバム『レイジング・サイレンス』リリースした。
 1991年、『ディファレント・ワールド』発表。18年ぶりの来日公演を行う。



Uriah Heep 1995


 1995年、デビュー25周年を記念したアルバム『シー・オブ・ライト』発表。23年ぶりにロジャー・ディーンがジャケットを手がけた。音楽的にも全盛期の1970年代に回帰した作品と評されている。
 その後バーニー・ショウが喉を手術したため、アルバム・リリース後のツアーの一部ではジョン・ロートンが代役を務めている。
 1998年『ソニック・オリガミ』発表。
 メンバーの入れ替わりが激しいことで知られていたユーライア・ヒープであるが、1986年からは20年以上固定メンバーで活動を続けていた。しかし2007年にリー・カースレイクが健康上の理由から脱退し、後任としてラッセル・ギルブルックが加入。
 2008年、10年ぶりのスタジオ・アルバム『ウェイク・ザ・スリーパー』発表。
 2009年、最新メンバーによる往年の名曲の新録音+新曲2曲のデビュー40周年記念ベスト・アルバム『セレブレイション』発表。
 2010年、デビュー40周年記念として19年ぶり3度目の来日公演を行う。川崎クラブチッタでのライヴではゲストにミッキー・ムーディ(guitar 元ホワイトスネイク)を迎えて『悪魔と魔法使い』の完全再現を行った。このライヴは『Official Bootleg vol.3:Live in Kawasaki Japan 2010』としてCD化され、2013年に『ライヴ・イン・カワサキ』として国内盤がリリースされた。
 2011年4月、22ndアルバム『イントゥ・ザ・ワイルド』発表。
 2013年、トレヴァー・ボルダーが癌のため62歳で死去。ボルダー療養中のツアーではデイヴィー・リマーが代役を務めていたが、ボルダーの死去によって正式メンバーに昇格。
 2014年、リマー加入後初、通算23枚目のスタジオ・アルバム『異端審問』発表。
 2016年、デビュー45周年記念。ジョン・ロートン率いるルシファーズ・フレンドと大阪Zeppなんば、川崎クラブチッタで来日ジョイント公演を行った。
 2018年25thアルバム『桃源郷』リリース。
 2020年9月19日、長期間ユーライア・ヒープを支えたドラマーのリー・カースレイクが癌のため73歳で死去。
 同年11月4日、創設メンバーのひとりケン・ヘンズレーが75歳で死去。


【ディスコグラフィ】
 <アルバム> ☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム
  1970年 ユーライア・ヒープ・ファースト/…Very 'Eavy …Very 'Umble(US186位 日本41位)
  1971年 ソールズベリー/Salisbury(US103位 日本47位 フィンランド3位)
  1971年 対自核/Look at Yourself(UK39位 US93位 日本5位 フィンランド1位)
  1972年 悪魔と魔法使い/Demons and Wizards(UK20位 US23位 日本28位 フィンランド1位 ノルウェイ5位 ドイツ5位 スウェーデン8位)
  1972年 魔の饗宴/The Magician's Birthday(UK28位 US31位 日本43位 フィンランド1位 ノルウェー5位 オーストラリア6位 ドイツ7位 スウェーデン9位)
 ☆1973年 ユーライア・ヒープ・ライヴ/Uriah Heep Live(UK23位 US37位 ノルウェイ3位 オーストリア5位 フィンランド5位 ドイツ8位 スウェーデン10位)
  1973年 スウィート・フリーダム/Sweet Freedom(UK18位 US33位 日本45位 ノルウェイ2位 フィンランド2位 カナダ5位 オーストリア9位)
  1974年 夢幻劇/Wonderworld(UK23位 US38位 日本76位 オーストリア2位 ノルウェイ3位 フィンランド5位 ドイツ7位)
  1975年 幻想への回帰/Return to Fantasy(UK7位 US85位 日本74位 ノルウェイ2位 オーストリア3位 フィンランド8位 スウェーデン9位)
  1976年 ハイ・アンド・マイティ/High and Mighty(UK55位 US161位 ノルウェイ4位)
 ★1976年 ベスト・オブ・ユーライア・ヒープ/The Best of Uriah Heep(US145位 オーストリア8位 スウェーデン47位)
  1977年 ファイアフライ/Firefly(US166位 ノルウェイ6位)
  1977年 罪なきいけにえ/Innocent Victim(ノルウェイ13位 ドイツ15位)
  1978年 堕ちた天使/Fallen Angel(UK186位 ノルウェイ10位)
  1980年 征服者/Conquest(UK37位)
  1982年 魔界再来/Abominog(UK34位 US56位)
  1983年 ヘッド・ファースト/Head First(UK46位 US159位 ノルウェイ19位)
  1985年 イクウェイター/Equator(UK79位)
 ☆1986年 Live in Europe 1979 
 ☆1986年 Live at Shepperton '74 
 ☆1988年 Live in Moscow
  1989年 レイジング・サイレンス/Raging Silence(スイス26位)
  1991年 ディファレント・ワールド/Different World
  1995年 シー・オブ・ライト/Sea of Light(スイス29位 ドイツ87位)
 ☆1996年 Spellbinder Live
  1998年 ソニック・オリガミ/Sonic Origami
  2008年 ウェイク・ザ・スリーパー/Wake the Sleeper(アメリカ55位 ノルウェイ55位)
  2011年 イントゥ・ザ・ワイルド/Into the Wild(スウェーデン29位 フィンランド31位 ドイツ32位 スイス42位 オーストラリア58位)
  2014年 異端審問/Outsider(スイス17位 フィンランド28位 ドイツ32位 オーストリア56位)
  2018年 桃源郷/Living the Dream(UK57位 スイス5位 ドイツ10位 オーストリア18位 ノルウェイ28位 フィンランド28位)
  2023年 獄彩色/Chaos & Colour(UK73位 US69位 ドイツ4位 スイス5位 オーストリア10位 フィンランド16位 ノルウェイ40位)

 <シングル>
  1970年 ジプシー/Gypsy(ドイツ28位)
      ウェイク・アップ/Wake Up
  1971年 黒衣の娘/Lady in Black(ドイツ5位 スイス6位 フィンランド16位)
      尼僧/High Priestess
      対自核/Look at Yourself(スイス4位 ドイツ33位)
  1972年 魔法使い/The Wizard(スイス8位 ドイツ34位 カナダ86位)
      7月の朝/July Morning
      安息の日々/Easy Livin'(US39位 オランダ5位 デンマーク9位)
      スパイダー・ウーマン/Spider Woman(ドイツ14位)
  1973年 スウィート・ロレイン/Sweet Lorraine(US91位) 
      7月の朝/July Morning [Live]
      ラヴ・マシーン/Love Machine [Live]
      略奪/Stealin'(US91位 ニュージーランド1位 ノルウェイ9位 フィンランド23位 ドイツ40位)
      ドリーマー/Dreamer
      セヴン・スターズ/Seven Stars
  1974年 浮気な瞳/Something or Nothing(ノルウェイ6位 フィンランド25位 ドイツ45位)
  1975年 プリマ・ドンナ/Prima Donna(ノルウェイ3位 デンマーク10位)
      幻想への回帰/Return to Fantasy(オランダ34位)
  1976年 ワン・ウェイ・オア・アナザー/One Way or Another
      メイク・ア・リトル・ラヴ/Make a Little Love
  1977年 賢者/Wise Man
      哀れみの涙/Sympathy(デンマーク13位 ドイツ37位)
      フリー・ミー/Free Me(ニュージーランド3位 スイス8位 ドイツ9位 ノルウェイ18位)
  1978年 ラヴ・オア・ナッシング/Love or Nothing(ドイツ36位)
      カム・バック・トゥ・ミー/Come Back to Me(ドイツ40位)
  1979年 ワン・モア・ナイト/One More Night
  1980年 キャリー・オン/Carry On
      フィーリングス/Feelings
      Love Stealer
  1981年 シンク・イット・オーヴァー/Think It Over
  1982年 オン・ザ・リバウンド/On the Rebound
      ザッツ・ザ・ウェイ・ザット・イット・イズ/That's the Way That It Is(US106位)
  1983年 ロンリー・ナイツ/Lonely Nights(UK85位)
      ステイ・オン・トップ/Stay on Top(UK76位)
  1985年 ロッカラマ/Rockarama
      プアー・リトル・リッチ・ガール/Poor Little Rich Girl
  1989年 ホールド・ユア・ヘッド・アップ/Hold Your Head Up
      レッド・ローズ/Blood Red Roses
  1991年 ディファレント・ワールド/Different World
  1995年 ドリーム・オン/Dream On
  1998年 ハートレス・ランド/Heartless Land
  2001年 黒衣の娘/Lady in Black [Live]
  2011年 ネイル・オン・ザ・ヘッド/Nail on the Head
  2014年 刹那主義/One Minute
  2018年 禁断の果実/Grazed by Heaven


【ラインナップの変遷】
 #1 1969~1970
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  アレックス・ネピアー(drums)

 #2 1970
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  ナイジェル・オルソン(drums)ex. Spencer Davis Group

 #3 1970
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  キース・ベイカー(drums)ex. May Blitz

 #4 1970~1971
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ポール・ニュートン(bass)
  イアン・クラーク(drums)ex. Cressida

 #5 1971~1972
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  マーク・クラーク(bass)ex. Colosseum
  リー・カースレイク(drums)ex. National Head Band

 #6 1972~1975
  デヴィッド・バイロン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ゲイリー・セイン(bass)ex. Keef Hartley Band
  リー・カースレイク(drums)

 #7 1975~1976
  デヴィッド・バイロン(vocal)→ Rough Diamond
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  ジョン・ウェットン(bass, vocal)ex. King Crimson, Roxy Music → U.K.
  リー・カースレイク(drums)

 #8 1976~1979
  ジョン・ロートン(vocal)ex. Lucifer's Friend
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)ex. Spiders From Mars
  リー・カースレイク(drums)→ Blind Ambition

 #9 1979~1980
  ジョン・スローマン(vocal)ex. Lonestar
  ミック・ボックス(guitar)
  ケン・ヘンズレー(keyboards, guitar, vocal)→ Blackfoot
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  クリス・スレイド(drums)ex. Manfred Mann's Earth Band

 #10 1980~1981
  ジョン・スローマン(vocal, keyboard, guitar)
  ミック・ボックス(guitar)
  グレッグ・デシャート(keyboards, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)→ Wishbone Ash
  クリス・スレイド(drums)

 #11 1981~1983
  ピーター・ゴールビー(vocal)ex. Trapeze
  ミック・ボックス(guitar)
  ジョン・シンクレア(keyboards)ex. Lion
  ボブ・デイズリー(bass)ex. Blizzard of Ozz
  リー・カースレイク(drums)ex. Blizzard of Ozz

 #12 1983~1985
  ピーター・ゴールビー(vocal)ex. Trapeze
  ミック・ボックス(guitar)
  ジョン・シンクレア(keyboards)
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  リー・カースレイク(drums)

 #13 1986
  ステフ・フォンテイン(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)ex. Grand Prix, Andy Scott's Sweet
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  リー・カースレイク(drums)

 #14 1986~2006
  バーニー・ショウ(vocal)ex. Grand Prix
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  リー・カースレイク(drums)

 #15 2007~2013
  バーニー・ショウ(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)
  トレヴァー・ボルダー(bass)
  ラッセル・ギルブルック(drums)

 #16 2013~
  バーニー・ショウ(vocal)
  ミック・ボックス(guitar)
  フィル・ランゾン(keyboards, vocal)
  デイヴィー・リマー(bass)
  ラッセル・ギルブルック(drums)


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