母のこと

2010年01月22日 00時04分00秒 | 愚痴
入院中の母の病院から、明るいうちに、家にたどり着くようにと、帰って来ましたが、思いのほか疲れてるものですね?
何もせず ぐっすり寝てしまい
こんな時間に目覚めてしまいました。

母が脳梗塞を患って今日で2週間になりました。
でも顔の表情はまるでなく人形の様で、言葉ももどりません。
こんなものなのでしようか?
一向に感情のない母に話しかけてもむなしくて、会いに行っても、 私も無口になってしまいます。
本当は母が一番つらいのに・・・。
わかっています。 分かってはいるんですけど、どうして良いかわからなくて、つらいです。


今回母の所へ行き 気付いた事があります。
姉が電話では、言い淀んでいたこと・・・。
そこの病院では、手首、足首をロープでベッドに縛りつけるのです。
母の手と足は、紫色に変色した、ひも状のあざがついてました。
おそらくおなか回りも太いベルトで、固定されていると思います。

母は、痴呆の傾向もあります。
点滴を抜いてしまうとか  危険で、
治療に差しさわりがあるので、固定するのでしょう・・・。
それはわかってます。 分かってはいるけど、なんにもできないけど、 むご過ぎます。

あれほどプライドの高い母が・・・。
それとも、神様は、母の頭の中から、不必要なプライドと判断して取り除いてくれているんでしょうか?
だから、母は何も感じてはいないで いてくれているのでしようか?

自由に動けない。  意志とは関係なく、生き続けなくてはならない・・・。
母は、果たして望んでいるのか?

姉と話合いました。
せめて日中は、母のそばにいて身体を固定されるのは、防ごうと言う事になりました。
患者としての生きると言う、最低限度の尊厳、それは守って行こうと思います。
母に快方の兆しが見えてくるまで、続けようと思います。

姉はやれる人がやればいいと言ってましたが、長丁場になるやもしれません。
私もできるだけ、通って行こうと思います。
せめて、今の脳外科を退院するまでは、姉と交代で母についていようと思います。


自分の家に帰ってくるのが、こんなにほっとするものとは、思いませんでした。
ずっと、姉の家にいて、姉と交代で母の所へ看病に通うのが理想ですが、
姉の家と言えど、やはり他人の家です。
自分の思い通りにも 行かなくて、疲れがピークに達してきます。

自分の身体にも悪いな・・・ 。とも チラッと思ったりします。

でも、こうしてブログを書き出していると、悲しいけど、
画面の向こうに分かってくれる人がいると、言う思いが
私に力を与えてくれる気がします。


すみませんが、コメントはしないでいただきたいのです。
お返事が書けないような気がしますので・・・。


  姉

2010年01月19日 05時15分19秒 | 日記
姉が一人います。 私とは、4歳違う姉です。
小さい頃は、賢い姉と、愚鈍な妹と 良く近所の人にも比較されてたような気がします。

昔の私は、本当に珍しい食べ物を食べたりするのがものすごく苦手で、いつだったか姉がチーズをたべてたのです。
その頃のチーズは、オレンジ色ので、今では、きっとゴーダーチーズが似た色をしているような気がします。
そのオレンジ色は昔の石鹸に色がそっくりで、確か三つ輪石鹸と言ったでしょうか?
私には、石鹸を食べてるようにしか見えず、見ているだけで気持ち悪くなったものです。
でも姉があまりにも美味しそうに食べるので、いつだったか、それを思いだして勇気を持って、私は石鹸にかじりついたのです。
きっと、すごい声を出したのでしょう。
風呂場に皆集まってきて、みんな、びっくりして、大騒ぎになり気付いた時は、病院と言うことがありました。

なんで、石鹸にかじりついたか、チーズが何で石鹸と思ったのか、ちょっとしたら私はやはり狂っていたのかも知れません。
母の言うようにとんまな子供だったのです。


ある日、母が病気で入院し、父も誰も私の面倒を看れず、(その頃幼稚園に行ってたはずですが、今で言う登園拒否です。 )
姉の学校について行った事があります。
昔はそんなこともありだったのです。
トトロの世界のメイちゃんとさつきちゃみたいですが本当にありだったのです。
もっともメイちゃんみたいに可愛くはありませんけど

その日はとてもお天気がよくて、きっと朝会か、何かだったのだと思うのですが、
教室に誰もいなくてガラ~~ンとしていて、最初は姉が「待ってるんだよ」と言ったので、
教室で、待っていたはずなのですが、
空があんまりきれいで、それと待つのがつまらなくなって、一人で表に出てそのまま帰ってきてしまったのです。

家に着いて その後は覚えていませんが、姉の学校では、大騒ぎになったようです。
校長先生も巻き込み、皆で学校中を探しまわったのだと思います。
トイレに落ちたと思ってバキュームカーまで来たらしいのです。
その頃のトイレは水洗ではなかったので。
でもまだ、電話が学校にもない時代の話ですから、きっと大変な騒ぎだったとは思います。
ひょっとしたらと、 家に帰ってきた姉が私を見つけて、ワンワン泣く姉を見て、私は、どうしたんだろう? 位の感想しかなくて、
ひどく姉を困らせたのだと思うのですが…
姉だってまだ、子どもで、小学4年生か5年生の頃でしたから、かわいそうなことしたと思います。


今回、母の病気で、姉と昔話をしていて、姉に、私を「羨ましかった」と言われて、
私は姉が自慢でもあったけど、皆から、お利口さんと言われてた姉が、羨ましくもあったので、ビックリして、
「えええっ、なんで~?」と尋ねたら「○○ちゃん、自由だったでしょう?」 「でも、怒られてばかりいたよ」
「それでも、あんたはいつも心ここにあらずで、雲みたいに空に浮かんでたでしょう?」  「う~ん、そうだったかな~」
「私は良い子でいなくちゃならなかったから、それに弟(私にとっては兄にあたる)を亡くして、跡取りと言う思いが強かったからね」と言われて
私がとんまだったので、姉には、実力以上の期待が両親からかけられていたのかもしれない。
もう一人弟が生まれたのは姉が中学に入ってですから、ずいぶんと年の離れた、弟なのです。


一人暮らししていた、母が一年前に大腿骨を骨折して以来、姉が母を引き取ってくれて、
近くの病院に入院させて毎日看病に通ってくれるのは、とても有難いことで、
奇しくも姉にはまた、『責任』と言う荷物を背負わせてしまう事になってしまい
ふがいない自分が、申し訳なく、済まない気持ちでいっぱいです。


   ごめんね、 お姉ちゃん  






 雑感    (ボンヤリの日)

2010年01月16日 17時27分29秒 | 日記
なんだか風邪を引いてしまったみたいで・・・。
昨日から寝たり起きたり、  体中がこわばっている。
思ったより疲れているのかもしれない。

外は、猛吹雪、寒そう・・・。


庭のほぼ中心に大きなヒバの木がある。
邪魔される物がないせいか、すくすくと伸び、もうビックリするほどの大きさになってしまった。
でも子どもたちは、切らないで~~と言うので・・・。

そのヒバの木に 毎年冬になるとヒレンジャクが、10数羽やってきて、寝泊まりしてくれる。
巣箱とか作ってやりたいな~と思いながら今年もそのまま・・・。
でも、枝が込みすぎているせいか、良い隠れ場所に、なってるみたいで。
今年も夕方になると入り込んで行く姿が見えるが、彼らの姿は見えない。
他の木にリンゴなどを刺しておくと皆で食べてくれる。

    今日は だれ~~もいない

連日の雪降り。 昨日はJR千歳線の、レールが破断を起こし不通になり飛行場まで行けず、
東京へ行く予定だった下の娘が今日行くことになり、夫も、一緒に行ったので、だ~れもいない土曜日・・・。
外は、吹雪・・・。でも飛行機は飛んでいるらしい。
上の娘が航空会社に勤めている関係で こんな悪天候な日は、新聞の天気図を見る癖がついてしまい、結構な予測ができる。

明日は一人なのでゆっくりしていようと思う。
風邪を引いても薬が飲めないので、早く治さないと母の所へも行けない。
誰もいないことだし、のんびり  ゆったり  過ごそう。


     ひまわりさん できたよ~


とりあえず・・・。 ( 母が 脳梗塞を患って )

2010年01月12日 21時44分09秒 | 日記
とりあえず、一度家にもどりました。
あせって (本人は冷静のつもりでしたが) 出て行ったので必要とするものが多多あり、帰宅しました。
ご心配かけましたが、母は発見が早くとりあえず、命は取り留めました。

姉の話によると、病院から緊急の呼び出しがあったのは、午後7時頃、急いで病院に駆けつけて見ると、全く無反応の母がベットに横たわっていて
医者は病室で、本人の目の前で、「どうしますか?」と聞いたらしい。
姉は「どうするって、先生早く何とかして下さい!!」 「家族で相談しなくていいですか?」  「早くしてください!!」
そんなやり取りがあったらしい。
医者にはタイムリミットまで、時間があることは、分かっていたらしいが、姉は、睫毛にさわってもピクリとも動かない母に
ものすごく動揺したらしい。
母は年が年なのと、長引く入院生活に、家族が自然死を望む場合もあるらしく、
とりあえず医者は、そのことを確認してから、治療に入ったらしい。

「GO!」の、サイン後の医者をはじめとする医療スタッフの行動は早っかったらしい。
流れるような機敏さで、姉が「さっきまでの緩い感じは何処行ったの?」と思う程だったと、話ていた。
母の病院は整形外科なので、近くの脳外科へ、姉も一緒に救急車に、乗り込み、搬送され医療スタッフにひきわたされ、
あれよあれよと言う感じで、私への連絡は、「高圧酸素カプセルに入った後だったの」ということで、

結局、私が姉から連絡をもらったのが午後10時頃だから、姉にしてみると激動の数時間だったのだと思う。

姉に、「とりあえず今、高圧酸素をかけてるの、だから今すぐどうかなるわけではないから、もう遅いし、明日おいで」
と言われたけど、
「ハイ」ってな訳には 行くはずもなく、とりあえず、火の用心、ガス、電気、数人への連絡、など思いつくことやって
家を飛び出したのです。
丁度家には私の他、誰もいなくて・・・。
上の娘は海外へフライト中、下の娘は、友達と京都へ旅行中、夫はどこかへ出張中・・・あれっ?どこだったか・・・
普段は家から高速道路入り口まで35分位なのに50分かかって・・・イライラ
でも高速に入ってからは120~140キロと、ちょっとぶっ飛び過ぎの運転で、所々に
      
       
   凍結   スピード運転ひかえて 


      
      と書いてあるのを見て、気を鎮めて~~と思いながらも、ややもするとまた、スピードが出てたりで・・・。
この所、母との想い出を思い出すことが多くて、 悪い虫のしらせだったんだ・・・。 とか
友達のお見舞いを優先したり、雪が降っておっくうがっていたから罰があったたんだ~ とか考えながら、
気持ちは急いて、スピードも上がって。

でも、着いたら真夜中の1時近くで、当然、病院へは行けず、結局、朝行っても同じに事になってしまって・・・。
しかも、集中治療室なので面会時間も制限され、午前11時まで面会もできずでした。
2日後に意識は戻ったのですが、握った手を握り返してくれた時は、思わず姉と泣いてしまいました。
今の状態は、 私が誰であるかは、認識出来るけど、言葉が、声がまるっきり発することが、できず、
どうもシナプスがキチンと繋がっていなくて、言葉を発すると言う行為が思いのほか大変なことなんだと、痛感しました。

今、治療は高圧酸素を一日1時間半かけるのを1週間して 様子を見るらしいので、一旦私は自宅へ帰って来たのですが、
しばらくは、母の所へ行ったり来たりの生活になりそうです。

そんなわけで、ブログは、更新したりしなかったりで、のんびりやらせてもらおうと、思います。

皆様からのはげまし、温かいコメント有難うございます。
いつもいつも励まされてばかりで申し訳なく思います。
でも、おかげ様で、気持ちがとても楽で、今こうしてブログを記していても、悲壮感はまるでありません。
本当に有難うございます。


気づきましたか?

『とりあえず』と言う言葉、何回も使いました。便利な日本語です。