夫からの、クリスマスカードに
『日新 日々新 』 とあった。
漢詩の好きな夫の事、そう来たか~と、思ったが、漢詩と言うよりは、禅語からきているらしい。
意味が分かりそうでわからない。
聞くのも癪なので(そう言う所が素直じゃない私です)調べてみた。
殷の湯王(とうおう)という人は顔を洗う洗面器に、「苟(まこと) 日新、日々新、又日々新」と、はりつけていたと言うことで、
毎朝顔を洗うがごとく、心も毎日新しくいなくてはいけない。
「苟に日に新たに、日々に新たにして、また日に新たなり」。
毎日新しい心で、ということは何にも一物も持たない心で新しい世界に触れていくならば、この世界は新しい。
昨日の太陽が出ているが、厳密に言ったら、あれだけ熱量を発散したら 昨日の太陽と今日の太陽とは熱量が違うはずである。
庭の草木を見たって、毎日朝顔のつるが伸びている。
昨日咲いた花は今日は咲かない。水の流れは毎日違っている。自然の世界は毎日新しい。
人間の心だけが古いところにこだわっている。それが病気でというものだ。
自然だけじゃない、われわれの体でも新陳代謝して、昨日の細胞と今日の細胞とは違うはず。
すべてが新しくなっていくのだから、心も新しくして、昨日のことは忘れて、憎いことも嬉しかったこともすべて忘れて、
新しい心で今日を迎えていくということが、道というものである。
それが本当の人間の生き方であり、正しい生き方なのである。
長~い文章を要約すると、こういうことなのだが余計分かったようでわからない。
全く私は仏の教えとは、はるか離れた所にいるせいか、禅語の奥の深い所は、さっぱりだ
俗世界に ズッポリ、浸かっている私は修行がたりない。
「日新、日々新、又日々新」。
元経団連会長・土光敏夫さんの口癖だそうだ。
毎日毎日が新しい人生であり、新しい挑戦、新しい壁にぶつかることであり 新しい前進だというのだ。
土光さんは、ファイトと努力の人であったそうだ。
その信条は、
毎日が新しいということは、過去の悲しみや苦しみを引きずらないということ。
「昨日まで悲しんだ」
「昨日まで苦しんだ」
「昨日まで失敗した」
こうした心にかかるものを一切忘れて
朝が明けると同時に、 新しい挑戦をすることに、人生の醍醐味があるという。
昨日までは、失敗の連続だったかもしれない。
挫折と不運に見舞われつづけたかもしれない。
しかし、過去がどうであろうと 未来に予想される壁が何であろうと
とにかく
<今日からが始まりである>
という気持ちで積極的に生きることが大切なのである。
ということなのだそうだ。
過去の悲しみや苦しみを引きずらないということは、見習いたいと思う。
「日新、日々新、又日々新」。
胸にきざみたい、ことばだ。
『日新 日々新 』 とあった。
漢詩の好きな夫の事、そう来たか~と、思ったが、漢詩と言うよりは、禅語からきているらしい。
意味が分かりそうでわからない。
聞くのも癪なので(そう言う所が素直じゃない私です)調べてみた。
殷の湯王(とうおう)という人は顔を洗う洗面器に、「苟(まこと) 日新、日々新、又日々新」と、はりつけていたと言うことで、
毎朝顔を洗うがごとく、心も毎日新しくいなくてはいけない。
「苟に日に新たに、日々に新たにして、また日に新たなり」。
毎日新しい心で、ということは何にも一物も持たない心で新しい世界に触れていくならば、この世界は新しい。
昨日の太陽が出ているが、厳密に言ったら、あれだけ熱量を発散したら 昨日の太陽と今日の太陽とは熱量が違うはずである。
庭の草木を見たって、毎日朝顔のつるが伸びている。
昨日咲いた花は今日は咲かない。水の流れは毎日違っている。自然の世界は毎日新しい。
人間の心だけが古いところにこだわっている。それが病気でというものだ。
自然だけじゃない、われわれの体でも新陳代謝して、昨日の細胞と今日の細胞とは違うはず。
すべてが新しくなっていくのだから、心も新しくして、昨日のことは忘れて、憎いことも嬉しかったこともすべて忘れて、
新しい心で今日を迎えていくということが、道というものである。
それが本当の人間の生き方であり、正しい生き方なのである。
長~い文章を要約すると、こういうことなのだが余計分かったようでわからない。
全く私は仏の教えとは、はるか離れた所にいるせいか、禅語の奥の深い所は、さっぱりだ
俗世界に ズッポリ、浸かっている私は修行がたりない。
「日新、日々新、又日々新」。
元経団連会長・土光敏夫さんの口癖だそうだ。
毎日毎日が新しい人生であり、新しい挑戦、新しい壁にぶつかることであり 新しい前進だというのだ。
土光さんは、ファイトと努力の人であったそうだ。
その信条は、
毎日が新しいということは、過去の悲しみや苦しみを引きずらないということ。
「昨日まで悲しんだ」
「昨日まで苦しんだ」
「昨日まで失敗した」
こうした心にかかるものを一切忘れて
朝が明けると同時に、 新しい挑戦をすることに、人生の醍醐味があるという。
昨日までは、失敗の連続だったかもしれない。
挫折と不運に見舞われつづけたかもしれない。
しかし、過去がどうであろうと 未来に予想される壁が何であろうと
とにかく
<今日からが始まりである>
という気持ちで積極的に生きることが大切なのである。
ということなのだそうだ。
過去の悲しみや苦しみを引きずらないということは、見習いたいと思う。
「日新、日々新、又日々新」。
胸にきざみたい、ことばだ。
今度はどんなテンプレートになるのか楽しみです。
普段はいつも私が文句ばかり言ってます。
でも、男の人は本質的に女性よりロマンティックなのかも知れません。
私はなんとなく気恥ずかしくて、クリスマスカードなど
子供が小さい時は子供に渡してましたが、久しく渡したことありませんもの。
でも夫は子供が小さい時からず~っとですから、えらいな~と・・・。
毎年子供には父よりと書いたカードと読んでほしい本が一冊ずつ増えていくのは、いいものです。
私も悩まない 振り返らないと理解することにします。
仏の教えとは、ほど遠い所にいるので、罰当たりな私には、じっくり考えないとわかりません。
私は、クリスマスカード渡しません。
でも夫は、家族の皆に読んでほしい本と一緒に素敵なカードを添えて贈ってくれます。
そこの所は、毎年なので、正直、偉いな~~とおもいます。
私の説明でわかりましたか?
私は自分で書いてて いまいち、理解出来てないかんじです。
でも、土光さんの前向きの姿勢は見習いたいと思います。
身体の細胞も毎日生まれかわっているんですよね?
日々新たな気持ちで、前向きに生きて行こうと思います。
日日是好日
泣いてもわらっても
きょうが一番いい日
私の一生の中の
大事な一日だから
素敵な相田みつをさんのことばですね?
入院する日も素敵な相田みつをさんの言葉を送っていただきました。
目に見えないいのちの根が
太く深く育つ時だから
何をやっても思うようにならない時
上にのびられない時に
根は育つんだから・・・
どんなにかこの言葉に励まされた事か・・・。
だから、再発した友達と会ってても、自分とは、別の人格と割り切って行く力を得る事ができました。
有難うございます。
私も意味調べて要約したけどさっぱりわからない。
おまけに結構過去をひきずっている。
だから病気になるのかな?
新年からは、「今日から新しい始まり」と考えを改めてみようかしら?
元気がいちばんですね?
早くあかぎれが良くなりますように
と、PC開いて、
この記事、拝見して、
新しい今日の始まりに感謝
深呼吸して、朝の一仕事に取り掛かって、
ひまわり御夫妻と同じです。
我家は、クリスマスカードどころか日々の挨拶さえも、素通りしていきます。
なーんて事は、ほっといて、
新しい今日は、何から始めよう
読解力に乏しい私メには分かったような??ですが
要は悩まない 振り返らないと理解しました。
なんと素晴らしいご夫婦ね
クリスマスカードを貰うなんて!夢にも出てきません
とっても新鮮な気持ちで読ませて頂きました!
毎日毎日が新しい人生、本当にその通りですね。
今日のバジルさんの記事を拝見して、周りを見渡すと、確かに何ひとつ昨日と同じものはないんだと実感します。
目からウロコです!
そうしてみると、過去の悲しみ苦しみにとらわれている暇はないですね
明日目が覚めたら、また新し自分になっている、そんな気持ちです♪
日日是好日
泣いてもわらっても
きょうが一番いい日
私の一生の中の
大事な一日だから
相田みつをさんの言葉です。
きょう一日をあるがままに受け止め
おかしい時には腹のそこから笑い
泣きたい時には手放しで泣く
それが日日是好日の生き方です
と、みつをさんは言っています
今日もあるがままに生きてみようと思います。
投稿するまでに どなたかが先になるかも・・・
まあそんな事はいいのですが。
今 お風呂から上がり あかぎれの手入れ(ゴマ油にしょうがの搾り汁)を済ましたところです。
「日々新」お習字の先生が書いて下さり 小さな額ですがかけてありますよ。
バジルさんが書いて下さってる様な詳しい事は知りませんでしたが、「毎日は新しいのだから、気持ち(心)も日々生まれ変わるように」と、子供に先生が話して下さった と聞いています。
バジルさんのコメントを読みながら「うんうんなるほど~~」と深く納得しながら、
ああだのこうだの過ぎた事を思ったり悔やんだり・・の日々です。
私の方が ず~~~っと俗世界で生きています(たら~~りの冷や汗)
元気が一番