88歳のじーじ(実父)の介護が始まりました。
去年の88歳の誕生日(2023年4月)の私の日記には、
「食欲もあるし、足元が危ういくらいで元気」
と書いてある。
精神科医である姪っ子が「ちょっと認知症になりかけてる」と教えてくれても「ほんと???」って疑うくらいだった。
6月にケアマネさんが初めてきてくださり「要介護1」に。
この頃の日記には「食に対してワガママになってきてばーばがストレス溜まってる」と書いてある。
「あれは食べたくない」「これなら食べる」と、選り好みするようになってきて、わたしも怒れることが増えてきた。
「うなぎを買ってきて」と言われることも多く、
「うなぎは特別な時に食べるものでしょう?絶滅危惧種だし、そんないっつも食べるものじゃない」
とばーばに文句言うと
「今まで一生懸命働いてきてくれたお父さんに食べさせてあげたい」
と。
「なんでしょっ中、1匹3,000円もするうなぎを買わんといかんの!どんだけ贅沢すれば気が済むの?」
と憤りながら買いに行った。
じーじはもともとスーパーで買い物するのが好きで、
少し認知症状が出てきてから、毎日のように買い物に行き、菓子パンや、みたらし団子や、揚げ物や、余分なもの(!)をちょこちょこ買ってくる。
フラフラでかけて交通事故に逢ったら困るのと、いらんものをたくさん買ってくるのはどうしたものかと思っていたけれど、「まぁ安いリハビリか」と諦めるようにしていた。
10月にはお昼ご飯をじーじが作ってくれることもあった。
(元「うどん屋」主人なので料理ができる)
10月17日に作ってくれた豚丼。
これが最後の手料理かなぁ。
「うなぎを買ってきて」の要求と「毎日買い物に出かける」のがいつまで続くのか、私にとってストレスだったけれど、
そのうちにじーの食欲はどんどん落ちていって、うなぎすら食べたがらなくなった。
1月中旬は、「食欲がないこと」「便秘なこと」でいつもクヨクヨしていた。
一緒にいるこっちがノイローゼになるくらい心配ばかりしていた。
そう食べていないんだから便が溜まるはずもない。
下剤なんて必要ないと思うけど、医者に下剤を処方してもらってずっと飲んでいた。
「お父さんはこの先どうなっちゃうか教えて欲しい。肺が苦しくなったり血を吐いたりするのかな」
と不安な気持ちを告げてくれたときは、わたしもうろたえた。
1月終わりには、クヨクヨしなくなってきた。
それと共に、不安や恐れもなくなったように見える。
食もほんとにほんとに細くなり、カロリーメイトのゼリーとか、(食べ物と言えないような)プリンみたいな栄養食だけの日もある。
体重は30キロ台。
骨と皮しかない。
若くて元気だった頃のじーじ(父)と比べると悲しくもあるが、
食べたくないから食べず、寝たいだけ寝て、今は脳も少しぼんやりしているから恐れからも解き放たれているように感じる。
枯れるように死に向かっているように思う。
もしこんな風に亡くなることができるなら理想だなとも思う。
今まで「認知症で介護が大変だった」話を聴くと、
◯糞尿の入ったおむつをタンスにしまってしまう(臭いとの戦い)
◯便を壁に塗りつけてしまう
◯食べても食べても何かを食べたがる
◯真夏なのにコートを着て毛布をかぶって寝るので熱中症に
◯徘徊する
◯昼夜逆転で、家族が夜眠れない
◯テレビショッピングからどんどんモノと請求書が届く
◯冷蔵庫がパンパンになるまで食材を買ってきて捨てないといけない。
などなどだったけれど、「認知症」も十人十色で、みなさん違うんだなと思う。
うちのじーじの場合は、
食べないから便もそんなに出ない。
そう飲まないから尿の回数も少ない。
ガリガリで力がないから徘徊もしない。
耳はすごくいい。
と、認知症の方の中では、お世話が楽な方かもしれない(今現在は)。
コロナ以降、テレビばっかり見ていて「ワイドショー」「サスペンス」「時代劇」あたりを観ていたから、刺激が強すぎて、テレビの中のことと現実が混同して、せん妄も始まった。
じーじが起きている間は、テレビをつけないことにした。
代わりに、Apple Musicで、大好きだったカラオケ十八番プレイリストを作ってかけるようにした。
これをかけると「ご飯はいらない」と言っていたのに起き上がって夕飯を食べたこともあるし、時々、寝ながら喉を鳴らしたりする。
歌の力はすごい!とびっくり。
…
わたしは中学のときから「親は自分で看取りたい」と思ってきた。
だから短大も就職も家から通えるところを選んだし、
「20歳過ぎたら、親と同居してくれる人としか付き合わない」
と決めていた。
前の夫にはそういう理由で「ますおさん=同居」してもらっていたし、けーすけには「親を介護する時が来たら実家で寝泊まりする」と告げてあった。
全ては自分が後悔しないため。
「病院ではなく家」で、余計な医療介入も延命もせず、目指すは枯れるように命を閉じることも目標に、
ケアマネさんは「日本介護サービスKK」のKさん、
(↑先日はじーじが「せん妄」で失礼なことを言ってごめんなさい)
「訪問看護ステーションひなた」のりかちゃんに協力していただいている。
お二人にはほんとにほんとに感謝しかないです♡
東京に暮らす上の姉はせっせと必要なものを送ってくれ、
下の姉は最優先で協力してくれ、わたしと交代で実家に泊まってくれてます。
じーじは昭和10年生まれ。
すごく素直で威張ったりせず、いつもニコニコ。
あんまり物事を深く考えたりしない人だし、理不尽なこと言うこともある(←わたしめちゃくちゃ反抗してきた)けれど、その翌日には「昨日は空気悪くしちゃってごめんね」って謝るような人。
この年代の人でこんな素直な人は珍しい気がする。
家族のことが大好きで、ずっとばーばのことを
「お母さんが一番キレイだなぁ♡」とか
「お母さんがいてくれるからこそ!」
とか歯の浮くセリフをじゃんじゃん言う。
↑この写真は10年前。
こちらは5年前。
ちんちゃん亭の裏で山菜採りしているところ。
今、ばーばがじーじにものすっごく優しい。
「もうそう長くないなら、できる限りのことをしてあげたい」と言っているばーばは、
「せん妄」で訳のわからないことを言っても「お父さんのそばにいるよ。どっこも行ったりしないよ、安心してね」と声をかける。
歩くことができずに這ってトイレまで行く時は、ばーばも一緒に這っていく。
ケンカしながらも、数十年、夫に愛のある言葉をたくさんかけてきてもらった恩返しを、今しているように感じる。
夫婦のこうありたい姿を、今、わたしは見せてもらっている。
「じーちゃんは優しいね」
「大事な人だよ」
「ありがとうね」
じーがそばにいてくれる間は今までの感謝の気持ちを伝えようと思う。
今はまだ生きていて、今ならまだ間に合うから。
介護の続きから看取りへ。
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