バンビの独り言

バンビことけーちんの、あくまでも「独り言」デス☆

「おむすび通貨」のストーリー(その1)

2011-08-06 00:39:41 | 
おむすび通貨(http://www.f-money.com/)大ちゃんが書いた物語。
子どもにも分かる、素敵な文章です☆

完成版ができたらまた紹介しまーす。

*****はじまり*****

私の村では、お茶碗40杯分のお米を作らなければ、
1杯のコーヒーさえ飲むことができません。

わたしは、
お米を作る人がいなくなっても、
放射能で食べ物を口にすることができなくなっても、
放射能で住む土地がなくなっても、
世界中から森がなくなっても、
しょうがないことだと思います。

そしてわたしは10kg7,000円の米を高いと思います。

毎日の食費を安く押さえるためには、
工業製品を安く作るためには、

電気料金を安くしてもらうためには、
会社で大量に使う紙を安くしてもらうためには,
しょうがないことだと思います。

農作物の輸入自由化に反対したってしょうがないのです。
原発に反対したってしょうがないのです。
熱帯雨林の森林伐採に反対したってしょうがないのです。

わたしは、
デジタルハイビジョンテレビに買い替えなければならず、
職場に近いマンションに住まなければならず、
子供をよい学校に行かせなければならないのです。

わたしは,お金ですべての価値を考えているのです。

”水に沈む村”

「お父さん,この人どうして悲しそうなの?」
ご先祖様から譲り受けて大切にしてきた田んぼや水が水の底に沈むからだよ。

「なんで沈むの?」
川をダムでせき止めるから、おじいちゃんが住んでる村が大きな湖の底に沈むのさ。

「人が住んでるのにダムで湖を作っちゃうの?そんなことしていいの?」
お父さんはいけないと思うよ。
でも作らなきゃいけないって考える人もいるんだ。

「どうして?」
川がないところで農業をやってる人たちに水を配ったり、都会の人に飲み水や電気を配ったりするのに必要なんだって。

「でも、このおじいちゃんも農業をやってるんでしょ?このおじいちゃんもダムの水を使ってるの?」
いいや、このおじいちゃんの田んぼは沢の近くだから、その沢から水を引いてるよ。昔の人はみんなそうやって近くの沢や川から水を引いてたよ。

”安さを求めて”

「どうして今はそうしないの?」
食べ物を安く作るためだよ。

「ふ~ん。じゃあ、みんなの食べ物を安く作れるようにするためにしょうがなかったってこと?」
そう考える人もいるよ。
だけど、みんなのいのちを育んでる食べ物が安く手に入るようになったかっていうと、ちょっと違うんだよ。
昔に比べればお米は安くなったけど,お魚はずいぶん高くなった。
お魚が減っちゃったからだ。
それにお米を作ったり、お魚をとる人もずいぶん少なくなってきてるから、そのうち日本ではお米を作ったり、お魚を捕ってくれる人がいなくなるかもしれない。

「どうしてお米が安くなるとお魚が高くなるの?」
ダムをつくるとね、山の土が海に流れなくなるんだ。
そうすると干潟とか砂浜が無くなっちゃう。
干潟って言うのは潮干狩りをするようなところだ。
魚の子供は干潟で育つし、干潟はよごれた海の水をきれいにするんだ。
その干潟が無くなったから、海の魚がいなくなってるんだ。
鮎なんかの魚も川をさかのぼれなくなる。
安くお米を作るためにダムをつくったり化成肥料や農薬を使うとお魚が減ってしまうから、お魚の値段が高くなるってことさ。

「どうしてお魚をとったりお米を作る人が減ってるの?」
お仕事をしても働いた分のお金をもらえないからだよ。
うちの近所のおじいちゃんたちはみんなタダ働きだって言うよ。

「ええ~。夏の草刈りとかも全部タダ働きなの?みんなのためにお仕事してもお金をもらえないなんておかしいね。お米を作る人やお魚を捕る人がいなくなるとどうなるの?」
外国から輸入するんだよ。

「遠い国から運んで来ても値段が高くならないの?」
今は外国から輸入した方が安いよ。

「じゃあ、別にいいんだね。」
それはどうかな。
今は石油が安いから外国から安く運んでこられるけど,石油の値段はどんどん高くなってるしね。
それに外国の人だって食べ物が必要だから、いつまで日本人のために食べ物を安く売ってくれるかわからないよ。
今、地球人の数はどんどん増えていて、あと何年かたつと、みんなの食べ物が足りなくなるって言われてるよ。
そうなったら今みたいに外国から安く食べ物を輸入することはできなくなるよ。

「ふ~ん。じゃあ、それまでは外国から輸入しておいて、できなくなったら日本で作るってことなの」
そんなにうまくいけばいいけどね。
食べ物が無くなったから農業を始めようっていったって、それまでみんな別の仕事をしてるわけだから、そんなに簡単に始められないし。
ショッピングモールになっちゃった田んぼだって、海が汚れて減ってしまった魚だって、増えるわけじゃないし。
それに,自分たちで作るよりも安いからっていって,何でもかんでも自分たちで作れる物を外国から輸入するようになったら、自分たちの仕事が無くなるってことだから。
仕事が無くなれば,当然,外国から輸入した物を買うことだって出来なくなるよ。

「え~。それじゃ困るじゃん」
困ると思うよ。
今、愛知県の食糧自給率は13%。たった13%しかないんだけど、その分を作っているのもおじいさんおばあさんばっかりで、若い人は作ってないよ。
おじいさん達は10年もしたら体が動かなくなってしまうから、このままでは食糧自給率はもっと落ちるだろうね。
農業だけじゃなくて、この先、仕事についてお金をもらえる人がどんどん減っていくから、食べ物を買うお金がなくて困る人も増えていくんだ。

「みんなが仕事につけなくなるってどういうこと?」

”仕事と誇り”

テレビとか車とかの工業製品を作るのに人手が必要じゃなくなっているんだ。
ロボットとかコンピューターが発達したし、日本人を雇うよりも外国人を雇った方が安上がりだからね。
今、会社にちゃんと雇ってもらっている人は3人に2人だけ。
3人に1人は、いつ仕事が無くなるかわからない状態だ。
たいていの仕事は別の人でもできる仕事だからね。
会社にしてみれば、いつでも辞めてもらえる状態で働いてもらった方がいいんだ。

「自分で会社を作れないの?」
作ることは出来るんだけど、自分で会社を作ることがとても難しくなってる。
昔は小さな会社やお店がたくさんあったけど,今は大きな会社やショッピングモールとの競争に負けて、小さな会社やお店はどんどんつぶれてるよ。
ダムにお家が沈むおじいちゃんだって,山で育てた木を売る会社をやってたけど、外国から安い木を輸入する大きな会社との競争に負けてしまった。
もしおじいちゃんの会社が今でもうまくいってたなら、ダムはできなかっただろうね。

「え、どうして?」
もともとおじいちゃんがいた村の人は、みんな、ダムを造らないででっていってたんだ。
だけど、農業や林業の仕事をしていた人はみんな自分の仕事がうまくいかなくなってしまったし、若い人は稼ぎを求めてとっくに村から都会に出て行ってしまったから、自分たちが村から出て行ってダムを造らせる代わりにお金をもらうことにしたんだ。

「ちょっと身勝手な話だね。」
どうしようもなかったのさ。
村の人たちは村に住み続けようとして一所懸命だったんだ。
それでも大きな会社との競争には勝てないし,世の中の大きな流れには逆らえなかったんだ。
仕事が無くなれば食べていけなくなるからね。
山にある村で農業でも林業でも食べられないんじゃ,どうしようもなかったんだ。
それに自分たちが受け継いできた物を受け継いでくれるはずの子供たちがみんな都会に出て行っちゃったんだからね。
だからお父さんは身勝手だとは思わない。
精神的に、もう限界だったんだと思うよ。
原子力発電所だって、きっと同じようにして作られて来てると思う。

”森が消える。”

「どうして大きな会社は外国から木を輸入するの。日本にも木はたくさんあるのに。」
外国の森は、日本の山みたいに険しいところばかりじゃないから、大きな機械を使って少ない人手で木を切り出すことができるんだ。
日本が外国からたくさんの木を輸入するから、外国の森がどんどんなくなっていて、その森で暮らしていた人たちが街に追い出されてホームレスになってるんだ。

「外国でも人が暮らしていけなくなってるの?」
そうだよ。
このおじいちゃんと同じように、森を捨てて出て行かなきゃならない人が外国にもいっぱいいるんだよ。

「いったい何のためにそんなことをしているの?」
外国の森で木を安く切らせている大きな会社が大もうけできるからさ。
それに、うちだって、木が安いおかげで紙を安く買えるしね。

「ふ~ん。じゃあ、しょうがないってこと?」
しょうがないわけないさ。
だって、世界中から森が無くなっているんだし、おじいちゃんみたいに犠牲になってる人がたくさんいるんだから。
それに今,日本の木を切って使う人がいなくなってしまったから,日本中の森が砂漠化してるんだ。

「どういうこと?」
あのね、木を植えるときは狭い間隔で植えて、木が大きくなるにつれて木の数を減らして森を育てるんだ。
だけど、木が大きくなっても木を切る人がいなくて数が減らないから、森の中が真っ暗になってしまって、植えた木以外の木や草が生えない状態になるんだ。
そうすると、雨が降ったときに雨のしずくが植えた木の高い葉っぱから落ちて、地面の表面のいい土をたたいて流してしまう。
それで砂漠みたいになるんだ。
砂漠みたいな山に雨が降ると、砂山だからすぐに崩れちゃうだろ。
それに砂漠みたいな山に雨が降ると,降った雨の水がそのまま川に流れ込んでしまうから、大雨になるとすぐに洪水が起きるんだ。
ちょっと見ると日本の山は緑豊かに見えるけど、そんな砂漠みたいな森が日本中の森の半分くらいまで増えてる。

「日本の森も無くなるってこと?」
そうだね。
日本の森も、熱帯雨林の森も、地球上から森が無くなりつつあるよ。

「森が無くなるとどうなるの?」
人間も他の動物もみんな生きられなくなるよ。
森はみんなのお母さんみたいな物だからね。
このままだと、りかがおばあちゃんになるころには地球上の森は全部無くなっているかもしれない。

「じゃあ理花たちはどうなるの?」
どうにもならないよ。
森が無くなる前に、また原発事故が起こったり、核戦争が起こったりして、地球に住めなくなるかもしれないし。

「どうしてそんなことになってるの?お父さん達はそうならないように何かしてくれてるの?」
何もしていない訳じゃないけれど,何をしてもうまくいってないってのが現状だよ。

「どうしてうまくいかないの?」
みんな、何よりもお金が大事だと思っているからさ。

”お金が一番大事になってしまう理由”

「えー意味わかんない。どういうこと?」
目先のお金よりも値打ちのある物はないって、みんなそう思ってるからね。

「どうしてそう思うの?」
お金は食べることもできないただの紙切れだけどね。
そのお金で何でも買えるから便利なんだ。
それにね、食べ物だって木材だって、持っていたらいずれは腐っちゃうけど,お金は腐らないからね。
お金を持っていさえすれば,絶対安心だって、みんなそう思ってるんだ。

「ふーん。でも、どうしてお金が大事だと思うと,村が湖に沈んだり,森が無くなったり、原発事故が起こったりするの?」
お金が大事だと思うから、なるべくお金を使わないように同じような物なら安い物を買うだろ。
村が湖に沈んだり,森が無くなるのは,みんなが安い食べ物や木材を求めるからさ。
原発事故が起こるのは原子力発電所があるからだけど、安く電気をつくるためには原子力発電がいいって政治家の人達はいってる。
電気が高くなれば、電気を使って作ってるテレビとか携帯電話とか車とか、ありとあらゆる物の値段が上がるからね。
つまり物を安く作るためには原子力発電が必要だってことになってる。
食べ物も木材もテレビも車も、安く作ってたくさん売って,安く作ってもらって、自分たちのお金が減らない方がいいってことになってるから、森が無くなったり,原発事故が起こるんだ。

”支え合える関係を”

それからね、安い物ばかりをみんなが欲しがるのには,もうひとつ大きな理由があるんだ。
それはね、みんな、困っている人の気持ちを感じられなくなってるんだ。

「困っている人の気持ちを感じられなくなってるって,どうして?人の気持ちがかわっちゃったの?」
いいや。
人の気持ちは今も昔も変わらないよ。
困っている人がいたら,どうかしてあげたいっていうのはみんないっしょさ。
ほら、東日本大震災でもたくさんの人がボランティアをしたり、お金を寄付したりしたでしょ。

「じゃあ、どうして困っている人の気持ちを感じられなくなってるの。」
困っている人が見えないからさ。
もし、自分がしたことで誰かが困ったり苦しんだりする様子が見えるなら、そういうことはしないよね。
でも、その様子が見えなくなってるから、誰かを困らせたり苦しめたりすることができてしまうんだ。

「どうして見えなくなってるの?」
たとえばね、スーパーマーケットでお米とかコーヒー豆を買うときに,値段とかおいしそうな説明とかは書いてあるけど、お米や豆を作った人が苦しんでるなんてことは書いてないよね。
誰かが苦しんでできあがってる商品なんて売れないから書くわけないしさ。
実際には、お米を作ってる人はお金が全くもらえなくて困ってるし、コーヒー豆を育ててるアフリカの人だって貧困に喘いでいるよ。
でもスーパーマーケットで売ってるほとんどの物は、とても遠いところで作られているから、書いてなきゃわかんない。
もし、同じ村の人から買ってたら、書いてなくてもわかるけどね。
相手の事情がわからないから、自分の都合、つまり、いい物を安くっていう都合だけでお米とかコーヒー豆を買う訳さ。
悪気は一切無いよ。
ただ、見えないからそうしちゃうんだ。

「昔はそんなことなかったの?」
そうだね。
おじいちゃんが生まれた頃だと,まだ豆腐屋さんとか,八百屋さんとか,魚屋さんとか、お味噌屋さんとか、いろいろあって、そのお店で作ってたり、そのお店の知り合いのお百姓さんや漁師さんから買った物を売ったりしてたからね、作ってる人の事情もなんとなくわかったんだ。
今はね、日本中どころか、世界中からかき集められた物が売ってて、売り場に並べられるまでにたくさんの会社をわたってきているし、レジにはアルバイトの人たちがいるわけだから、作ってる人の事情なんて、誰にもわかんないんだよ。

「困ってる人のことを誰かが宣伝すればいいじゃん。」
宣伝してる人もいるよ。
フェアトレードっていって、作り手が困らない値段のものを買いましょうって,そういう消費者運動があるよ。

「うまくいってるの?」
う~ん。どうかな。
いくら宣伝したって心にはなかなか響かないんだよ。
目の前で泣いて困ってる人がいればみんな助けてあげるけど,遠いところで泣いて困っている人がいますっていう宣伝を見ても、助けてあげようって思える人は少ないんだね。
それにね、誰だっていつもいつも助けてばかりはいられないだろ。
自分達の生活だってある訳だからさ。
近所の人とか友達とか親戚との関係なら、その人とずっといっしょだから、家族みたいなものじゃない。
そういう関係とさ,一度も会ったこと無いし,これからも会うことのない人との関係だとさ,助けてあげようという気持ちも違うよね。
自分との関係が強いほど、支え合う気持ちって言うのかな,そういう気持ちが自然とわいてくるんだ。
それにね、都会に住んでる人なんてさ,となりに住んでる人が何してるかさえ知らないんだから。
知らない人のことを日々考えることなんてないじゃない。
都会では、おじいさんやおばあさんがひとりぼっちで亡くなっても、カラダが腐ってしまうまで誰も気づかないってこともあるんだよ。

”グローバルマネーの姿”

それにね、自分の買い物に気をつけたところでさ,お金って言うのは人から人へと世界中をうつりわたっていくんだ。
だから自分が稼いだり使ったりしたお金が消えてなくなるまでには、いろんな苦しみを生み出すんだ。
お金が消えてなくなるなんて、めったにないことだから、いってみれば無限の苦しみを生み出すわけさ。
たとえば、銀行にお金を預けたらアメリカの軍需産業に投資されていたとか、日本政府に税金を払ったら海底油田を独占するために組織的な虐殺をしたインドネシア政府を支援するのに使われていたとか、たくさんの人が携帯電話をしょっちゅう買い替えるから、滅多にとれない金属を奪い合う殺し合いがアフリカで起こっているとかね。

「ホントにそんなことが起こってるの?」
耳を塞ぎたくなるようなひどいことを日本の”円”が世界中で引き起こしているよ。
”円”だけじゃなくて,アメリカのドルだって,ヨーロッパのユーロだって同じだけどね。

「だったら、関所をつくったり、鎖国をしたりして、売り買いを制限すればいいんだ。」
まあ、そういうことをするかどうかを決めてるのは政治家の人たちだけど、そういうことにはならないだろうね。

「どうして?」
だって、そんなことしたら今儲かってるショッピングモールとか、商社とかがやっていけなくなるじゃない。
そしたら、儲かってるところから集めてる税金が集まらなくなるし、そこで働いてるたくさんの人もお給料がもらえなくなる。
それに、世界中の安い物が買えなくなる訳じゃない。
そんなことになったら困ると思う人がたくさんいるから、政治家はそんなことしようなんていわないんだよ。

「ねえ、お父さん。結局、どうしようもないってことなの?お金を減らさないように安い物を買う人がいて,安い物を作るために森を壊したり人を苦しめたりする会社があって、みんな、そういう世の中でなんとかうまくやっていこうとするんだけど、でも、いつかみんな仕事も無くなって,食べ物も無くなって,森も無くなって,何もかもが壊れちゃうってことなの。それも仕方が無いことなの?りかは、そんなふうに壊れていく世界で生きていかなきゃいけないの?」
今の世の中の仕組みのことを破滅に向かう止まらないバスみたいに言う学者もいる。
でもね、お父さんは,どんなときでも希望だけは捨てちゃダメだって思うんだ。
希望だけは捨てちゃダメなんだ。

”自分たちのお金をつくる”

今のお金はね、ごく一部の人を除いて、ほとんどの人をだんだん不幸せにする仕組みになっているんだ。
いろんな大人達がいろんな問題に取り組んでいるけれど、最後はみんなお金の問題に行き着く。
お金を減らすわけにはいかないからね。
だから、世の中が悪い方向に向かっているとわかっていても,どうにもならなかったんだ。
今のお金の仕組みをそのままにしておくなら、そこに希望は無いとお父さんは思うよ。
でも、お金を作ったのは人間なんだし、自分たちに都合がいいと思って、お金を使って来たんだ。
だから、お金の仕組みに問題があるなら、今みたいな問題が起こらないお金を作ればいいのさ。

「お父さん、お金を作るなんてできっこないじゃない。お金は国が作るんでしょ。それに国が作るお金を変えられるなら,鎖国だってできるし,関所だって作れるじゃない。さっき、お父さんは鎖国したりするのはできないっていったでしょ。」
関所とは違って、お金は国しか作っちゃいけない訳じゃないんだ。
誰でも作っていいんだ。
ほら、Suikaとか、お財布ケータイとか、ビール券とか、デパート券とか、ああいうのもお金なんだよ。
問題は,例えばお父さんがつくるお金をお金として受け取ってくれる人がいるかどうかってことなんだ。今
みんなが使ってるお金はね,日本銀行券というんだけど、そのお金は必ずお金として受け取りなさいって法律で決められてるんだ。
だからどこでも使えるんだ。
政治家が作った法律にみんなしたがってるわけさ。
だけど、お父さんがつくるお金を、お金として受け取るか、受け取らないかは、みんなの自由なんだ。

「お金をお金として受け取るとか、受け取らないってどういうこと?」
ほら、ここに10,000円札がある。
りかの古い自転車をさ、この10,000円札と交換してくれる?

「え、いいよ!10,000円あれば、かわいいお洋服がいっぱい買えるもん。」
どうして10,000円札でお洋服が買えるんだい。

「どうしてって、お店の人が10,000円札出せば売ってくれるじゃん。」
そうじゃなくって、どうしてお店の人は10,000円札とお洋服を交換してくれるんだい。

「だって、そのお店の人だって,りかからもらった10,000円札で何か別の物を買えるからでしょ。」
そうだね。じゃあ、おとうさんが今紙で作ったこのお札で自転車を売ってくれるかい?

「なにいってるの?それただの紙切れじゃない。」
そうさ。でも10,000円札だって紙切れじゃない。

「ちがうよ!おとうさんのそのお札とじゃ、誰も何も交換してくれないけど,10,000円札だったらみんな何かと交換してくれるもん。」
じゃあ、お洋服屋さんの人が、お父さんが作ったこのお札と、りかが欲しいお洋服とを交換してくれるなら,お父さんが作ったこのお札で自転車を売ってくれるかい?

「それならいいよ。」
どうだ?これでお父さんがつくったこのお札は、10,000円札と同じお金になっただろう?

「そりゃそうだけど、お洋服屋さんがお父さんのお札とお洋服とを交換してくれなきゃ、お金にはならないじゃない。」
そう。だから、この紙切れがお金になるかどうかは,この紙切れをお金として受け取る人がどれだけいるかってことなのさ。
10,000円札はただの紙切れだけれども,受け取るようにって法律でみんなが強制されているから、お金として通用するんだ。
で、お父さんのお金は、お金として受け取らなくてもいいから、ただの紙切れだと受け取ってもらえない。
だからお父さんのお金は、お父さんが作ったお米と引き換えられる引換券にするよ。
10,000円札はほんとにただの紙切れだけど,強制されているから通用するお金。
お父さんのお金はただの紙切れじゃなくてお米になるお金。どうだい?

「ふ~ん。お父さんは、お金を作り替えたいの?」
そうだよ。

「そんなことできるの?」
できるかどうかはやってみなきゃわからないよ。
とにかくさ、お金を作るのは自由なんだし、お父さん達が作ったお金を受け取るのも自由なんだからさ、できるかもしれないじゃないか。
もしもみんなが、法律で強制されているお金よりも、お父さんがつくったお金の方がいいって思って、お父さんが作ったお金の方を使うようになってくれれば、お父さんが作ったお金が本物のお金になるんだ。
さっきいったろ、希望は捨てちゃいけないんだって。

つづきはこちら。
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/119cf8b05737e649cc5caadc966238fa

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「脱原発ポスター展」@愛知... | トップ | 「おむすび通貨」のストーリ... »
最新の画像もっと見る

」カテゴリの最新記事