バンビの独り言

バンビことけーちんの、あくまでも「独り言」デス☆

「看取り」〜「自宅葬」まで

2024-02-28 21:13:33 | 家族のこと

「最幸の看取り」はこちら
https://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/1232863a7b33493d47281b07850fd14e

父は介護を長引かせるわけでもなく、でも一通りの「死に方」を見せてくれた。

1月にはメンタルが弱っていたが、
2月あたりからは頭がぼんやりし寝ている時間が長くなった。
食べ物を受け付けなくなり、
生きる気力を失い、
水分を摂らなくなって約1週間。
転げるように死に向かった。

そう苦しむこともなく、どこか痛がるわけでもなく。
私たちは十分、感謝の気持ちを伝えることができたし、24時間体制で誰かがそばにいれた。
52歳の私が父に抱きついて寝た。
そんなこと、子どもの頃ぶりだったはず。

これ以上、介護と看護が長引くと、母が倒れてしまっただろうと思う。

88歳のじーさんだから、友だちはもう亡くなっているか、施設にいる。
家族+親戚4人だけの小さな葬儀。
だから狭い家だけど、自宅葬で十分だった。

お花は一つだけは葬儀屋さんに注文したけど、あとは、お花好きの母が花屋さんで選んだ。
(姪っ子がばーばのことをお花屋さんに連れてってくれたよ)

お通夜の前に、ケアマネの加藤さんが顔を出してくださった。
とっても細かいご配慮してくださるとても優しい方でした♡

「訪問看護ステーションひなた」のりかちゃんも、最期の家族写真の撮影と、父が亡くなったあとすぐに来てくださった。
あらためて、ケアマネさんと訪看さんには感謝しかない。
(病院の先生も来て死亡診断書を出してくださいました。そうじゃないと警察が来ちゃう)

元オットさんも看取り〜お通夜まで3日間そばにいてくれたよ。
今は違う家族になってしまったけれど、18年間父と一緒に暮らしてくれた大切な人。

お寺は「守綱寺」さんにお願いしました。
たかくんは20年来の友人。
仏教のこと、興味もなければ何も知らなかった私が「!」と思ったのは、311のあとで、浄土真宗大谷派(東本願寺)が「脱原発」を求める要望書を出したこと。
檀家さんもたくさん抱えているでしょうに、どれだけ勇気がいることだったかと驚いた。
今回、大谷派は「庶民を中心に広く信仰されるようになった」というお話も聴かせていただき、好きだわー!って思った。

遺影は長女と次女が。
「笑点」が好きだったじーじのために、笑点の仲間入り😆
(顔ハメ)

長嶋茂雄が大好きだったから、じーじバージョン。

こちらは合成ではありませぬ。
いつも孫に「かわいいかわいい」と遊ばれてたじーさん。
髪を三つ編みにされたり、ヘアピンされたりすること、まんざらでもなさそうだった

香典返しを用意しない代わりに、香典も受け付けない。
助六や仕出し弁当も渡さない。
けど、葬儀に参列してくれた方には、父の得意だった「玉屋のカレーうどん」を再現してふるまった。
(わたしが生まれる直前から25年間「玉屋」という飲食店を経営してた)

かつおぶしで出汁を取ったスープに、カレー粉と片栗粉で味ととろみをつける。
具は、ネギと鶏肉、かまぼこのみ。


カレーが白シャツについてしまわないように注意😆


仕出し弁当を買う代わりに、義兄(元日本料理店の板前)とわたしの合作弁当。


出棺前。
自宅葬だったために、じーも家族もずっと家で過ごせました。

初七日のあとの「精進落とし」の料理は、仕出ではなくて、松平の「和のん」に食べに行ったよ。
精進料理でお願いしたよ。
とっても丁寧に作ってある美味しい食事でした♡

家族で「お疲れさま会」(おねーちゃんにゴチになった♡)
じーが大好きだった「くら寿司」にじーも連れて行った!

仏壇は、友だちのお母さんにお願いしたよ。
どっちみちどこかにお金を落とすなら、関わりのある方にお願いしたい。

……………

両親は、わたしが生まれる前に今の場所(実家)に越してきた。
借金をするのがキライな父は、土地も建物もほぼ現金で支払って、財布がすっからかんになってしまったらしい。

家族は食べるものも買えなくて、食材の仕入れ代を親戚に借りに行ったそうだ。

そのくらい、まったく貯蓄も所持金もゼロからスタート。
父は、トヨタ輸送で働きながら、帰ってくると母と一緒に「玉屋」の仕事をしていた。
人の2倍どころじゃない、寝るのも惜しんで3倍くらい働いていたとか。

豊田市駅前にあったうどん屋「三笠」に修行に行き、父のアイデアでメニューをどんどん増やしていった。

最初はうどんの値段70円。
その後少しづつ値段を上げていったけれど、一時は1日60万円くらい売り上げがあったほど大盛況だったんだって。

上の姉は、大学から帰宅すると配達に行き、
下の姉も、学校以外の時間は「玉屋」の手伝いに費やした(友だちと遊ぶ時間はなかった)。
だから、姉は「桂子のために、日曜日は休みにしてあげてほしい」と両親にお願いしてくれた。
わたしは手伝いを頼まれるでもなく、何不自由なく好きなように過ごしていた。

母は「30代の記憶が全くない」と言っている。
30代は「玉屋」で仕事だけした人生。
そんな母と、働き詰めだった父、2人の姉のおかげで今のわたしたちがある。


「玉屋」のこと恥ずかしいと思っていた時もある。

苦労も何も知らない私は、結婚した時に
「ここに家を建てたいから、もうお店やめようよ。家を壊そう」
と提案して、「玉屋」は約25年の歴史に幕を閉じた。

最後、常連さんとのさよなら会。
常連さんに集まってもらって料理をもてなした両親。

わたしは客室で、お客さんに可愛がってもらって育った。
「津軽海峡冬景色」を熱唱して拍手してもらった記憶がある。

「玉屋」の猛烈な忙しさが落ち着いてきたころの父の趣味は「マラソン」と「カラオケ」「旅行」。
豊田マラソンはもちろん、県外まで行っていた。
マラソンクラブにも入っていて、持ち寄りお昼ご飯では「里芋の煮っ転がし」を持っていくことが多くて評判だったらしい。

鹿児島のねんりんピックでは、70歳以上の部で優勝もしてたみたい!

こちらはうちの長女が生まれた時。

母のことが大好きだった父。
人の3倍くらい働いていた頃は短気で厳しかったらしいが、わたしの記憶の中には、妻と家族を溺愛している父しか思い出せない。

わたしは父に反抗もいっぱいしたし、少なくとも私にとっての父は「恐ろしくて何も言えない」ような存在ではなく対等にやり合う感じだった。
(「3人娘の中でけーこが一番食ってかかってくるから怖い」と言われたこともある。そのくらい、理不尽なことにはいちいち反発した)

父は豊田市枝下生まれ。
旧枝下駅の前の「三宅商店」が実家。
よく東京の従兄弟の家に遊びに行っていたようだ。
東京で質流品を買い付けて、豊田に持ってきて革ジャンや時計などを売っていた。
わたしは24歳の時に、友だちと「古着屋チビコーズ」を起業したけれど、「さすがお父さんの子だねぇ」と言われた。

……………

亡くなる前日、
父は赤ちゃんに戻ったように母に手を回して抱きついていた。
「お父さんがいるから大丈夫!」と一家の長として心強かった父はもういなくて、お母さんに甘える幼児のようだった。

目を開けられなくなった時も、母がいないと手を上げて探し、母がくっついていると落ち着いた。

わたしが父からもらった一番のギフトは「愛情表現」の大切さ。
超忙しくて子どもとなんて遊んでる場合じゃなかっただろう父だったけど
「けーこは可愛い」「けーこはお父さんの大事な子」
という愛の言葉を惜しみなく与えてくれた。

「わたしは愛されている」
「わたしは可愛いんだ」
「わたしは大事な存在なのだ」
シャワーのように浴びてきた言葉が、わたしの自己肯定感を上げてくれた。

そして、人に対して「大好きだよ」「大事だよ」と伝えることに抵抗もないのは、父がハードルを下げてくれたからだと思う。
(父は家族以外の人に対しても、いつもニコニコしていて感謝の言葉を言える人だった)

とくに遊んでくれたこともないけれど愛情表現を伝えたくれた父と、
子どものためなら自分を犠牲にしてでも尽くすが愛情表現が苦手なツンデレ母。

家族のために一生懸命だったのは両親ともに同じだけど、
「愛されている実感」を与えてくれたのは父の方。

わかりやすい「大好きだよ」のシャワーが70兆個の細胞に染み渡っていた。
そして「わたしは愛されるべき存在なのだ」という根拠のない自信は、父がいなくなった今も消えることがない。

そして、父は孫たちにもおっきなギフトを残してくれた。

1つは、医者の孫へ。
東京に暮らし医者一家の姪っ子(父にとっての孫)は、こんな弱ったじーじのことを「入院させて、点滴で水分と栄養を入れた方が良い」と思っていたはず。
だけど、管にもなにも繋がれていない苦痛のない状態で「ただただ家族の愛を受けて」そう苦しまずに枯れるように旅立つ姿を父は見せた。

そして2つ目は、わたしの長女へ。
わたしは娘たちに「人に迷惑をかけるな」みたいな言葉は(記憶している限り)1度も伝えたことはない。
人はお互いに迷惑をかけあうことで関係性が生まれると思っているから。
けど、学校や職場など、社会がそれを許さなかったんだと思う。
特に長女は空気を読みすぎちゃうところがあって「迷惑をかけないように」の思いが人一倍強い気がする。
「生きづらいだろうな」というのが親としての懸念事項だった。

けど長女が
「『子どもに迷惑をかけないようにお金を貯めて施設で死にたい』と思っていたけど、じーちゃんを見てたら私もこんな風に家族に手を握ってもらって看取ってもらいたい」
と伝えてくれた。

「人に迷惑をかけないように生きる、そのために貯金をする」
のゴール設定から
「みんなに迷惑をかけちゃうかもしれないけれど、よろしくね」
のゴール設定に変わった途端に、
人への接し方、発する言葉、感謝、関係性の築き方が全て変わる気がする。

父の看取りを経て、24日の「おはなし会」の内容を大きく変えた。
そして、子育ても、人との関係性も、仲間づくりも、
「どんな最期を過ごしたいか」
からの逆算だと気づいた。

父が亡くなってから10日。
寂しさや悲しさよりも、父に教わったたくさんのギフトをみんなとシェアしたい気持ちでいっぱい。
お父さんがくれたギフトはすごい♡

3月20日には「北小田の家」いよちゃんがこんな企画をしてくれました。

いよちゃんの紹介文を転載します。

ちんちゃん亭女将けーちんこと鈴木桂子さんのお話をじっくりと聞いてみよう、という会です。
「どんな最期を過ごしたいか」

最愛の父を亡くしたばかりのけーちんから 今 伝えたいこと。
どう生きていくか、誰もが向かい合っている質問に ヒントになる時間になるように思います。

愛あふれるけーちんの体験から生まれた言葉を ぜひ聞きにお越しください。

<けーちん(鈴木桂子さん)プロフィール>
ライフコーチ 鈴木桂子・啓佑
あなぐまさんカンパニー主宰

絵本「わすれられないおくりもの」(スーザン・バーレイ/評論社)のあなぐまさんのように、大切な人の幸せが自分たちの幸せになるような、たとえ肉体がなくなったとしても大切な人たちの心の中で生き続けられるような、そんな生き方ができることを願い、農家民宿ちんちゃん亭、米ぬか酵素風呂、親友パートナーを見つける婚活「ちんちゃんコン」などご縁のあった方々の人生に寄り添うべく活動しています。

「ごちゃまぜ子育てのススメ」「自分らしく生きる仲間づくりのヒント」など講演歴約20年。

乳がんサバイバーでもあり、死と向き合い「どういう最期を過ごしたいか」のゴールを決め、今・ここからの人生の歩み方などを一緒に考えていきましょう。




<けーちんの言葉>
先週日曜日に父が亡くなりました。
家族がチームとなり、
父の愛する我が家で、家族で看取った最期。
医療介入もなしに、枯れるように、そう苦しまずに息を引き取りました。
葬儀は自宅で。
煩わらしいこと(香典も香典返し、喪服)もなし、
笑顔と爆笑のこんな最幸な葬儀があるんだと驚いています。
ご愁傷もしてなくて、父からもらったたくさんのギフトに感謝する時間です。

父を看取ったあと、わーーーっと伝えたいことが湧いてきました。
「どんな最期を過ごしたいか」のゴール設定から、
どんな生き方がしたいのか、
身近な人や子どもにどう接したいか、
誰とどんな関係性を築きたいのかが、
シンプルにわかるようになります。
過去は変えられないけど、
そう思った瞬間から、自分の行動は変わる。
「どう死にたいか」=「どう生きたいか」
そんなお話したいです♡


<主催者からの言葉>
初めて、けーちんに会った時。
包まれるような温かさと優しさのある人だなあ、と印象を持ちました。
話すたびに この優しさは、今までの経験があるから温かく深いのだ、と
腹に落ちる気がしました。
親を亡くすこと、誰もが経験することですが それは大きな何かが変わる気がします。
私も昨年、父を自宅で看取り 言葉になりづらいのですが、
それから自分の何かが変わった気がしています。
どう生きていくか、誰もが向かい合っている質問に ヒントになる時間になるように思います。

<スケジュール>
9:30 受付
10:00 お話し会スタート
12:00 お話し会終了
12:30 懇親会(お弁当+お茶菓子)けーちんとみんなで話そう
16:00 懇親会終了

**お申し込みに関して**
お話し会のみ参加は、1家族 2000円
懇親会参加は、1人 2000円ですので 人数分お申し込みください。
お話し会+懇親会参加の場合は、チケットを「お話会参加」+「懇親会参加」両方をご購入ください。

***懇親会に参加は、お話し会参加が必須です。懇親会のみの参加はできません。

 

<駐車場について>
北小田の家前 通路が駐車場になっております。縦列駐車で順番に駐車ください。
おいでんバス 北小田宮前バス停の周辺・神社前にも駐車場がございます。北小田の家までは、徒歩15分です。縦列駐車に自信がない方は、こちらをお勧めします。
**駐車場が限られておりますので、乗り合わせてご来場いただけますと助かります。

 

お申し込みはこちら
https://kitakodaws03.peatix.com/?fbclid=IwAR0DuzD7YgY-cJk4DCKZcKVb3vJdmPt4xurj4P25cp656_n_SGTuypMxigA

「おはなし会」を企画してくださる方がいらしたら連絡ください♡
(090−1280−0033)

いま現在空いているところ日程は、
4/27〜29のGW
5/11(土)
5/12(日)
5/19(日)
6/1(土)
6/2(日)
6/8(土)
6/9(日)
6/15(土)
6/16(日)
 

……………2/24「おはなし会」の感想(ありがとう♡)……………

私は子育てのおはなし会などに参加すると
「できていないこと」
「しなければならない」
にとらわれて怖くなったり落ち込んでしまうことが多い。

でもけーちんのおはなしは、思い当たる節、図星なことをたくさん教えてくれるのに、
愛に満ち溢れていて、「〇〇すると〇〇になっちゃうよ」って怖い言葉もなくて、
あったかい気持ちでいっぱいになりました。

自分が聞けたこともうれしいけど、自分の両親に一番聞いてほしかった。
そして娘にも、いつか聞いてほしい。

先日お父さんを見送られたばかりのけーちん。
この数日で内容をガラッと変えて「死生観」についてのもたくさんおはなししてくれた。
どんな最期にしたいかで、どんな生き方になるかが見えてくる。

「大好き」のシャワーをたくさんかけあって、
「大好き」の貯金を家族でたくさん貯めていきたい。

そして個人的に一番衝撃だったのは「自立とは依存先を増やすこと」。
自立とは人に頼らずにひとりで生きていけることじゃない。
たくさんの人に「助けて」「SOS」が出せること。
重度障がい者として医者でもある熊谷晋一郎さんの言葉だそう。
「自立」を自分に掲げている私は、違う「自立」を追いかけて苦しんでいたかもしれない。
これは絶対に娘にも伝えていきたいと思う。


こんな大人がたくさん増えたらいいのに。
こんな大人を娘にたくさん会わせたい。
もっともっとおはなし聞いていたかったな。
娘が家族を持つ頃に、20年後もおはなし会やっててほしい!
(Cちゃん)

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