※「インファナル・アフェア」「ディパーテッド」のネタバレを含むので注意してください。
「ディパーテッド」鑑賞後にどーしても観たくなり、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲと続けて観てしまいました「インファナル・アフェア」。
いやぁー、「ディパーテッド」観に行く前に「インファナル・アフェア」観なくて良かったー!
もうね、作品の重み・深みが全く違うんですよ。
「インファナル・アフェア」観た後だと「ディパーテッド」は完全に霞んでしまいます。
というより、全く印象が無くなっちゃった…。
考えてみれば「インファナル・アフェア」はアジア圏の映画。
人生観・死に対する考え・宗教観などに共感できて当たり前。
「ディパーテッド」はキリスト教圏の映画。
うちらが共感できないのは、むしろ当然かも知れません。
逆にアメリカの人達は「ディパーテッド」には共感しても、「インファナル・アフェア」はダメかも知れない。
「インファナル・アフェア」は生きている方が、死ぬよりもつらいという映画。
「ディパーテッド」には、その考えがまったくなかったです。
コリンはあっさり死んじゃったけど、ラウは植物状態になっても、まだ生きてるからね…。
「無間地獄」という考えは、仏教圏以外の人達には理解できないのかもしれないですね。
だからって「インファナル・アフェア」はそんな思想的な映画では、まったくありません。
作品の一要素として、そういった考えがあるという事。
作品自体は、最初から最後まで、全く息つく暇もないほどのサスペンス。
緊張感が全く解けないが故、観ててものすごく疲れます。イヤな疲れじゃないけどね。
102分という、どちらかと言えば短い映画なのに、見終わった後は3時間くらいの映画を観たような満足感・疲労感。
ほとんど全てのシーン、台詞の一言一言、全部が重要であり、伏線でもあるんです。
だから気を抜いて観てると、訳が分からなくなる??
…いや、そんなことはないな。冒頭だけでどっぷりと「インファナル・アフェア」の世界にはまり込むから。
登場人物一人一人がものすごく深いんです。
ホントにみんな必死で生きてる。必死故に、殺し、殺される。
この哀愁が「インファナル・アフェア」の最大の魅力かな…?
「インファナル・アフェア」シリーズで言うなら、ヤン(トニー・レオン)・ラウ(アンディ・ラウ)・サム(エリック・ツァン)・ウォン(アンソニー・ウォン)の4人が主役。
「インファナル・アフェアⅠ」で言うなら、その4人の中で、ラウがちょっとだけ比重が高いです。
マフィアの”イヌ”として警察学校に入学する前、ラウはサムに「自分の道は自分で決めろ」と言われます。
この言葉が、のちのち大きな意味を持つ。
サムからの情報のおかげもあって、どんどん手柄を上げて出世していくラウ。プライベートでは結婚も控え、まさに絶頂期。
ところが、それまでは「警察に潜入したマフィア」だった彼が、彼によくしてくれていた(であろう)ウォン警視の死を境に、心情が変化します。マフィアであることを捨て、警官として生きること選んだ彼は、ヤンと組んでサムを撃ちます。
その時のセリフ「これが俺の道だ。」
ところが、ここからラウの全てが崩壊していく…。
カッコイイよなぁ。「ディパーテッド」にはこんなの無かったよなぁ。
意外なことに、ラウとヤンはしょっちゅう顔合わせるんです。
中でもステレオのエピソードは秀逸。
ヤンが取り立てに行って?たまたま店番頼まれた時に、ラウが客としてやってきます。
「このアンプを試したい」
2人で腰掛け「どうだ?いい音だろう?」
「この曲ならこのケーブルだ」
「な?」
この時の唖然とするヤンの表情は最高!
「なにがもしもしだ…」に匹敵するな~。
実はこのエピソードも軽い伏線。
サムを倒した後の再会で
「あんたか。」
「ステレオの調子はどうだ?」
こんななにげ無い会話が人物に深み与えるんだよね~。
でもこの伏線で一番ビクッとするのが、ラウとサムの会話を録音したCDを送りつけた後のヤンの台詞。
「いい音質だったろう?」
これだけで、和やかだったエピソードに、一気に緊張が走ります。
やっぱ、よく映画を分かってるスタッフだなぁ…と。
なんでこのエピソード省略したんだ?「ディパーテッド」は。
トニー・レオンとアンディ・ラウ。
2人とも、ものすごく哀愁を漂わせてるんです。
これがキャラクターに深みを与えてた。
残念ながら、マット・デイモンとレオナルド・ディカプリオには、ここまでの哀愁は出せなかった。
でも、若手のショーン・ユーとエディソン・チャンも哀愁漂わせてたのよねぇ…。
ひょっとすると、西洋人の哀愁を感じ取れなかっただけ??
でも「ボーン」シリーズのマットはすごくもの悲しいよなぁ…。うーむ。
ウォン警視に該当する人物が「ディパーテッド」には居ないというのは不満。
「インファナル・アフェア」においては物語を引っ張るキーマンだけに、なんでこのキャラクターを設定しなかったのかと、かなり疑問に思いました。
でもジャック・ニコルソンの圧倒的存在感を観ると、ウォン警視に当たる人が居なかったっていうのは良かったのかも?
これで双璧なせる人が居たら、ちょっと濃すぎるよね。
とにかく、アンソニー・ウォンの渋いオッサン振りが、非常にカッコイイんです。
職務に忠実なのか、一癖も二癖もあるのか、謎な雰囲気持ってるのもいい。
実際はとんでもなく癖あるんだが。
でも、ヤンの誕生日をちゃんと覚えていて、時計を贈ったりもするんです。
優しさと厳しさを持った好中年。
Ⅰでは物語半ばで死んでしまうんだけど、とても印象に残る人物です。
ことらのアンソニー・ウォンのイメージは「ウォン警視」なので、「頭文字D」の文太のダメ親父っぷりはもう大爆笑でした。
原作ファンは「こんなの文太じゃないっ!」ってかなり憤ってる方が多いけどね…。
こういうのもアリだと思うんだけどな~。ダメですか?
ジャック・ニコルソン演じるコステロが放っていたのは、圧倒的な殺気。
エリック・ツァン演じるサムが放つのは狂気。飯喰ってるだけで怖い。
一見ものすごく人の良さそうな感じなんだけど、ちょっと凄み利かすだけでめちゃめちゃ怖い人になる。
普段は明るいサムだけど、実はめちゃめちゃ哀しい人物。これはⅡで明かされます。
コステロとサムは、もう全然ちがう役どころなんだよね。
サムの方が人間ぽくって好きかな。
ウォン警視とサムが、かつては仲が良かったというのが、Ⅱで分かる意外な事実。
サムがただのチンピラだったら、たぶんその仲は続いたんだろうけど、サムは周りの状況から、ボスにならざるを得なくなった。
そこまで大物になってしまうと、必然的に警察とは仲が悪くなる。
Ⅰでは、どちらが先に殺すかっていうくらい険悪な仲。
これも人の悲哀だね。
「昨日の敵は今日の友」なんて言うけど、その間逆よね。
日常でもそういう事ってよくあるよなぁ…。
特に昨今、兄が妹殺したり、妻が夫殺したり…やだやだ。
見直して驚いたのが、”もうひとりのイヌ”が、ちゃんと潜入としての行動を行っているところ。
何気なく観てると見落とすんだけど、携帯で無線の周波数を教えようとするなど、結構無謀なことしてるんです。
よく見付からなかったもんだ。
「ディパーテッド」では省かれたモールス信号。
この一連の描写はホントに見事で、物語にものすごい緊迫感を与えてたのに…残念。
ヤンがモールス信号をウォン警視に送り、その通りに指動かすウォン警視をラウが見つめ、それを解読してサムに送る…。
この騙し合い観てるだけで、緊張感がめちゃめちゃ高まります。
いったいどんな展開になるんだ??って、ホントに息つく暇もない。
「インファナル・アフェア」の山場のひとつですよ。本当に。
心臓弱い人は観ちゃいけないんじゃないか?と思うくらい張り詰めた空気の中、唯一ホッとさせてくれるのがキョン。
「頭文字D」ではものすごくウザいイツキを演じたチャップマン・トウが演じてます。
イツキはアレだけど、キョンはものすごく味のあるキャラ。
自分で「バカのキョン」と言いながらも、決して軽くない。
ヤンの正体を見抜きながらも「早く逃げろ」と見逃したり…。
ヤンとキョンは、実はかなり信頼関係があった…少なくともキョンはそう思ってたと思うんですよね。
兄弟分というか。
刑務所時代からの仲で、2人で修羅場くぐってきて。
正体分かった時はそりゃあショックだったろうけど、それよりも救いたいと思ったんだろうね。
とてもいいヤツでした。合掌…。
1作目に関しては、こじかはちゃんと劇場で観たんだけど、ことらは知らなくて、こじかがDVD貸してくれて初めて観たんです。
もう絶句。固まっちゃいました。
「なんちゅう映画や…。」って。
瞬きする暇もないってヤツかな。
世の中、まだまだ隠れた名作があるもんだ…と感心したのでした。
音響の作り込みも秀逸で、シアターシステムで観ると大迫力!なんです。
故に余計に怖いんだが。銃の音や爆発音は本当に怖い。
だからかどうかは分かりませんが、観るのにかなりエネルギーが要るんですよね。
単に入り込みすぎなだけかもしらんが…。
度々観たくなるんだけど、そう簡単に手が出せない。
観るときは「観るぞ!」と気合い入れて観る。そんな映画です。
アンディ・ラウは、ブラッド・ピットとジョニー・デップにラウとヤンを演じて欲しいと思ってたそうです。
これは是非観たかった…。
それはともかく、マットとディカプリオは配役逆だったよな…と思ったり。
マットがヤンで、ディカプリオがラウの方が合ってたよね。
ちなみにアンソニー・ウォンは、自分の役をジャック・ニコルソンが演じると思っていたそうです。
これはこれで怖い警視になるな~。
「ディパーテッド」鑑賞後にどーしても観たくなり、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲと続けて観てしまいました「インファナル・アフェア」。
いやぁー、「ディパーテッド」観に行く前に「インファナル・アフェア」観なくて良かったー!
もうね、作品の重み・深みが全く違うんですよ。
「インファナル・アフェア」観た後だと「ディパーテッド」は完全に霞んでしまいます。
というより、全く印象が無くなっちゃった…。
考えてみれば「インファナル・アフェア」はアジア圏の映画。
人生観・死に対する考え・宗教観などに共感できて当たり前。
「ディパーテッド」はキリスト教圏の映画。
うちらが共感できないのは、むしろ当然かも知れません。
逆にアメリカの人達は「ディパーテッド」には共感しても、「インファナル・アフェア」はダメかも知れない。
「インファナル・アフェア」は生きている方が、死ぬよりもつらいという映画。
「ディパーテッド」には、その考えがまったくなかったです。
コリンはあっさり死んじゃったけど、ラウは植物状態になっても、まだ生きてるからね…。
「無間地獄」という考えは、仏教圏以外の人達には理解できないのかもしれないですね。
だからって「インファナル・アフェア」はそんな思想的な映画では、まったくありません。
作品の一要素として、そういった考えがあるという事。
作品自体は、最初から最後まで、全く息つく暇もないほどのサスペンス。
緊張感が全く解けないが故、観ててものすごく疲れます。イヤな疲れじゃないけどね。
102分という、どちらかと言えば短い映画なのに、見終わった後は3時間くらいの映画を観たような満足感・疲労感。
ほとんど全てのシーン、台詞の一言一言、全部が重要であり、伏線でもあるんです。
だから気を抜いて観てると、訳が分からなくなる??
…いや、そんなことはないな。冒頭だけでどっぷりと「インファナル・アフェア」の世界にはまり込むから。
登場人物一人一人がものすごく深いんです。
ホントにみんな必死で生きてる。必死故に、殺し、殺される。
この哀愁が「インファナル・アフェア」の最大の魅力かな…?
「インファナル・アフェア」シリーズで言うなら、ヤン(トニー・レオン)・ラウ(アンディ・ラウ)・サム(エリック・ツァン)・ウォン(アンソニー・ウォン)の4人が主役。
「インファナル・アフェアⅠ」で言うなら、その4人の中で、ラウがちょっとだけ比重が高いです。
マフィアの”イヌ”として警察学校に入学する前、ラウはサムに「自分の道は自分で決めろ」と言われます。
この言葉が、のちのち大きな意味を持つ。
サムからの情報のおかげもあって、どんどん手柄を上げて出世していくラウ。プライベートでは結婚も控え、まさに絶頂期。
ところが、それまでは「警察に潜入したマフィア」だった彼が、彼によくしてくれていた(であろう)ウォン警視の死を境に、心情が変化します。マフィアであることを捨て、警官として生きること選んだ彼は、ヤンと組んでサムを撃ちます。
その時のセリフ「これが俺の道だ。」
ところが、ここからラウの全てが崩壊していく…。
カッコイイよなぁ。「ディパーテッド」にはこんなの無かったよなぁ。
意外なことに、ラウとヤンはしょっちゅう顔合わせるんです。
中でもステレオのエピソードは秀逸。
ヤンが取り立てに行って?たまたま店番頼まれた時に、ラウが客としてやってきます。
「このアンプを試したい」
2人で腰掛け「どうだ?いい音だろう?」
「この曲ならこのケーブルだ」
「な?」
この時の唖然とするヤンの表情は最高!
「なにがもしもしだ…」に匹敵するな~。
実はこのエピソードも軽い伏線。
サムを倒した後の再会で
「あんたか。」
「ステレオの調子はどうだ?」
こんななにげ無い会話が人物に深み与えるんだよね~。
でもこの伏線で一番ビクッとするのが、ラウとサムの会話を録音したCDを送りつけた後のヤンの台詞。
「いい音質だったろう?」
これだけで、和やかだったエピソードに、一気に緊張が走ります。
やっぱ、よく映画を分かってるスタッフだなぁ…と。
なんでこのエピソード省略したんだ?「ディパーテッド」は。
トニー・レオンとアンディ・ラウ。
2人とも、ものすごく哀愁を漂わせてるんです。
これがキャラクターに深みを与えてた。
残念ながら、マット・デイモンとレオナルド・ディカプリオには、ここまでの哀愁は出せなかった。
でも、若手のショーン・ユーとエディソン・チャンも哀愁漂わせてたのよねぇ…。
ひょっとすると、西洋人の哀愁を感じ取れなかっただけ??
でも「ボーン」シリーズのマットはすごくもの悲しいよなぁ…。うーむ。
ウォン警視に該当する人物が「ディパーテッド」には居ないというのは不満。
「インファナル・アフェア」においては物語を引っ張るキーマンだけに、なんでこのキャラクターを設定しなかったのかと、かなり疑問に思いました。
でもジャック・ニコルソンの圧倒的存在感を観ると、ウォン警視に当たる人が居なかったっていうのは良かったのかも?
これで双璧なせる人が居たら、ちょっと濃すぎるよね。
とにかく、アンソニー・ウォンの渋いオッサン振りが、非常にカッコイイんです。
職務に忠実なのか、一癖も二癖もあるのか、謎な雰囲気持ってるのもいい。
実際はとんでもなく癖あるんだが。
でも、ヤンの誕生日をちゃんと覚えていて、時計を贈ったりもするんです。
優しさと厳しさを持った好中年。
Ⅰでは物語半ばで死んでしまうんだけど、とても印象に残る人物です。
ことらのアンソニー・ウォンのイメージは「ウォン警視」なので、「頭文字D」の文太のダメ親父っぷりはもう大爆笑でした。
原作ファンは「こんなの文太じゃないっ!」ってかなり憤ってる方が多いけどね…。
こういうのもアリだと思うんだけどな~。ダメですか?
ジャック・ニコルソン演じるコステロが放っていたのは、圧倒的な殺気。
エリック・ツァン演じるサムが放つのは狂気。飯喰ってるだけで怖い。
一見ものすごく人の良さそうな感じなんだけど、ちょっと凄み利かすだけでめちゃめちゃ怖い人になる。
普段は明るいサムだけど、実はめちゃめちゃ哀しい人物。これはⅡで明かされます。
コステロとサムは、もう全然ちがう役どころなんだよね。
サムの方が人間ぽくって好きかな。
ウォン警視とサムが、かつては仲が良かったというのが、Ⅱで分かる意外な事実。
サムがただのチンピラだったら、たぶんその仲は続いたんだろうけど、サムは周りの状況から、ボスにならざるを得なくなった。
そこまで大物になってしまうと、必然的に警察とは仲が悪くなる。
Ⅰでは、どちらが先に殺すかっていうくらい険悪な仲。
これも人の悲哀だね。
「昨日の敵は今日の友」なんて言うけど、その間逆よね。
日常でもそういう事ってよくあるよなぁ…。
特に昨今、兄が妹殺したり、妻が夫殺したり…やだやだ。
見直して驚いたのが、”もうひとりのイヌ”が、ちゃんと潜入としての行動を行っているところ。
何気なく観てると見落とすんだけど、携帯で無線の周波数を教えようとするなど、結構無謀なことしてるんです。
よく見付からなかったもんだ。
「ディパーテッド」では省かれたモールス信号。
この一連の描写はホントに見事で、物語にものすごい緊迫感を与えてたのに…残念。
ヤンがモールス信号をウォン警視に送り、その通りに指動かすウォン警視をラウが見つめ、それを解読してサムに送る…。
この騙し合い観てるだけで、緊張感がめちゃめちゃ高まります。
いったいどんな展開になるんだ??って、ホントに息つく暇もない。
「インファナル・アフェア」の山場のひとつですよ。本当に。
心臓弱い人は観ちゃいけないんじゃないか?と思うくらい張り詰めた空気の中、唯一ホッとさせてくれるのがキョン。
「頭文字D」ではものすごくウザいイツキを演じたチャップマン・トウが演じてます。
イツキはアレだけど、キョンはものすごく味のあるキャラ。
自分で「バカのキョン」と言いながらも、決して軽くない。
ヤンの正体を見抜きながらも「早く逃げろ」と見逃したり…。
ヤンとキョンは、実はかなり信頼関係があった…少なくともキョンはそう思ってたと思うんですよね。
兄弟分というか。
刑務所時代からの仲で、2人で修羅場くぐってきて。
正体分かった時はそりゃあショックだったろうけど、それよりも救いたいと思ったんだろうね。
とてもいいヤツでした。合掌…。
1作目に関しては、こじかはちゃんと劇場で観たんだけど、ことらは知らなくて、こじかがDVD貸してくれて初めて観たんです。
もう絶句。固まっちゃいました。
「なんちゅう映画や…。」って。
瞬きする暇もないってヤツかな。
世の中、まだまだ隠れた名作があるもんだ…と感心したのでした。
音響の作り込みも秀逸で、シアターシステムで観ると大迫力!なんです。
故に余計に怖いんだが。銃の音や爆発音は本当に怖い。
だからかどうかは分かりませんが、観るのにかなりエネルギーが要るんですよね。
単に入り込みすぎなだけかもしらんが…。
度々観たくなるんだけど、そう簡単に手が出せない。
観るときは「観るぞ!」と気合い入れて観る。そんな映画です。
アンディ・ラウは、ブラッド・ピットとジョニー・デップにラウとヤンを演じて欲しいと思ってたそうです。
これは是非観たかった…。
それはともかく、マットとディカプリオは配役逆だったよな…と思ったり。
マットがヤンで、ディカプリオがラウの方が合ってたよね。
ちなみにアンソニー・ウォンは、自分の役をジャック・ニコルソンが演じると思っていたそうです。
これはこれで怖い警視になるな~。
TBさせていただきました。
精進しますので、お暇があったらご覧くださいませ。