仏教の本(『執着の捨て方 「私」を手放して自由になる』A.スマナサーラ著)を読むと、勉強になります。英語のやる気もアップ。
>私たちが生きるということは、常に変化しながら、あらゆるものを捨てながら、前に進んでいくということです。だから、「捨てたくない」という個人的な気持ちはどうでもいいのです。宇宙の法則に逆らって、「捨てたくない」「捨てられない」という不自然な踏ん張りをしているから苦しいのです。ただでさえ生きることは苦しいのに、さらに重りを両手両足につけているから生きるのは大変です。
何もかも捨てないといけない、ということではないのです。
>「潔く捨てる訓練をする」ということ・・・・訓練ですから、それによって人間は成長します。・・・
執着の多い人生は、いろいろなものに束縛されている状態ですから、自由がなくて、暗くて、つらくて、そちらのほうが大変でしょう。明るく、前向きに進んでいくことができる人生は、潔く執着を捨てることで成り立っています。
家族や地位や持ち物を今すぐ全部捨てる、というのではなく、「執着」する心(←理性的でない)を捨てるのですね。
執着には4つあります。
①欲(五欲)への執着 ・・・「物」に対する執着、五感を刺激するすべてのもの。
②見解への執着 ・・・「自分の意見」に対する執着
③儀式・儀礼への執着 ・・・マンネリ。脳をロックする「儀式」への執着
④我論への執着 ・・・変わらぬ「自分」への執着
①五欲執着の中の「言語執着」を読んで、英語のやる気アップ。
性別や国への執着も捨てて、生命同士でつき合うことで、本物のつきあいを見つけることができます。
>いろいろな国の人とつき合うためには、英語が便利なコミュニケーション・ツールになりますが、日本人は外国語を習得するのが苦手に見えます。世界を見渡してみれば、一つの言語しか話せないという人はほとんどいません。・・・・日本語だけに執着していると、世界が狭くなります。「私は執着していない」「英語をしゃべりたくてしょうがない」と言う人がたくさんいますが、それでも英語を話せるようにならないのは、日本語に執着しているからといえます。
>英語の勉強をするとき、常に日本語訳を入れるのも、日本語への執着が強いからです。
日本人、日本語への「執着」が強いと英語はなかなか上達しないのですね。今まで読んだ本、どれも同じこと書いてありました。柔軟に、柔軟に。やっぱり、とにかく素直にまねて、繰り返し音読して、それだけじゃなく英作文で言いたいことを口に出していく。うんうん。
こんなことも・・・
②見解への執着
>経験は見解(=自分の意見)に変わります。その見解にしがみつくことで執着が生まれます。・・・・人は自然にその経験を生かしています。・・・今までの経験が自然に生かされているのです。
>「経験を生かす」ためには、ただ経験を積んでいればいいのです。そして、経験から見解を生み出して執着してないか注意し、「経験」という名の間違った見解にしがみつかないようにするのです。
ただ経験を積んでいればいいのですね
そこに自分の主観(感情)や妄想をくっつけない。
(関係ないけど、歴史修正主義というのはこのことをいうのですね。歴史を主観で見ている、しかも彼は戦争を経験してない^^;)
さ、音読音読。
すべての人が同じ価値観を持ったらおかしなことになりませんか。
あることに執着することと、よそに目を向けることは違うと思います。
見聞を広げることはいいことですが・・・^^
したっけ。
みんな同じ価値観というのはないでしょうね。ありえない。
だから、それぞれの違いはあって当たり前なんだから、それを前提に仲良くつきあう工夫をしないとね。
執着というのは、その価値観とかいろいろ、に「しがみついて離そうとしないこと」「自分の価値観(見方考え方)が”絶対唯一だ”といって、間違っているおかしいキケンだ、と気づいても変えようとしないこと」(人に押しつけるようになるとさらにキケン)・・・みたいなことです。
石頭の頑固ということね。聞く耳がないってこと。
なので、
>あることに執着することと、よそに目を向けることとは違う
・・・はい、その通り、真逆ですね。
広い視野を持って、いつでも自分の価値観(見解、意見)を変えられるということが大事だということです。ものごとを客観的に分析して、人の意見も聞いて、違ってたら直すって当たり前のこと。
ちなみに、執着をすべて完璧100%捨てたら多分生きてません^^;
だからこの世は「苦」なんですね^^
苦を楽に変えながら、明るく気楽に生きていきたいものです。
(なかなか記事だけでは、伝えきれません。よかったら本を読んでみてください。おすすめです^^)