「私が~、私は~、私の~」という「自我意識(エゴ)」が強くなると、
「お前が~、お前は~、お前のせいで~」という敵対心や競争心などが強くなってくる。
「私もあなたも、お互い様」という心がなくなってくると、命のネットワークの中で生きている生命は、孤立していく。
慈経のテーマは、「無制限の慈しみ」
「無制限の慈しみを育てることによって、悩み苦しみしかつくらない、厄介者である私たちの小さな『自我』を破ること。無制限に広がった心を持つ人間になること」という教えです。
「私」は「私に見える世界観」を持っていて、他の人はどんな世界観を持っているのかということは知らない。
他人の意見と自分の意見を比較して、自分の意見を改良しようとする。立派な努力には違いありませんが、
問題は他人の意見など理解できないこと。
そこで行われているのは、
「自分には他人の意見がどのように見えるのか」ということだけ。
「自我の病」に罹っている人々のコミュニケーションは、単なる主観の対立に過ぎない。
「私(自我)」には「間違った意見を持つ」ことはできない。「自分の意見が正しい」と思う。
「私にとって」は事実であり、それは嘘ではないのです。
なので、社会は混乱する。問題が生じる。難しいことになる。
主観ばかりの対立の世界では、何をやってもうまくいくはずがない。
正しいのは、意見を持つことではなく、正見をつくること。(心に被っている自我の磨りガラスを割る。偏見をなくすこと)
「自我(私)」とは錯覚である。「私」という意識はただの意識でしかない。
という気づきを発見できれば、すべての問題は解決する。
その方法が、「慈しみ」の実践。
慈しみの実践は、大脳を開発するプログラムです。
獣の脳(原始脳)の衝動を抑え、大脳を開発する。慈しみを実践する。そして理性を確立して生きる人間になる。安らぎ、安穏な心になるのです、、、。
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