藤井風 『やば。』
気づいてほしい 認めてほしい
それだけの行為だった
かえしてほしい 愛してほしい
そんなの愛じゃなかった
求めて 探して 見つけて 失ったけど
追いかけ続ける あの絵空事
さっさと行こうか
もっと遠くへ 高いとこまで
その目を覚まして どこまでも
どこまでも
何度も何度も墓まで行って
何度も何度もその手合わして
やば、やば、やば、やば。
傷つけないでよ
裏切らないでよ
愛した日々は確かだっけ?
もうそれ以上何も言わないで
傷つけないから
裏切らないから
もう、もう、もう、もう
もう、もう、もう、もう
今さら何言ったって
既には手遅れでって
言われないと思ってたでしょ
同じことが何度も
ただ繰り返されるだろうと
安い夢を生きてきたでしょ
一緒に行こうか
誰も見捨てたりしないから
君が望むまで いつまでも
いつまでも ああ
何度も何度も墓まで行って
何度も何度もその手合わして
やば、やば、やば、やば。
傷つけないでよ
裏切らないでよ
愛した日々は確かだっけ?
もうそれ以上何も言わないで
傷つけないから
裏切らないから
もう、もう、もう、もう、
もう、もう
もう、もう、もう、もう。
なあんて深いんでしょ。
みなさんはお墓に行って、手を合わせる時何を考えてる?
私を見守ってください、、、かな?
私は、
「生きとし生けるものが幸せでありますように」
「ご先祖様も幸せでありますように」
かな、、、。
お墓には誰もいない、ただ、思いを寄せるきっかけの場所だと
思ってます。
亡くなった(自死した?)大事な人のお墓で、心の中で語り合っている
という読み方もできます。
傷つけないで、裏切らないで、、、なんで死んだの?
それ以上言わないで、もう傷つけないから、裏切らないから。もう、、、。
とにかく、
求めること、~してほしい、というのは愛ではない。
愛とは利他
相手を幸せにするというのが結婚の唯一の目的である。
自分が幸せになりたい、という理由で結婚してはならない!
ということを苫米地さんの本で読んで、なるほどなあ、と思いました。
愛ある結婚とはお互いに利他である関係。
すべての人間関係もそうです。
コミュニケーションとは、
「自分以外の人を喜ばすための何らかの情報伝達」である。
なんのためにコミュニケーションをするのか。
相手を喜ばすためにやる。
そこに、争いは生まれようがありません。
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