弥生のうちに収まるやろ
と無知識無根拠で考えいましたが
うん、無知識無根拠だと"考えてる"とはいいませんな
"勘"より精度低いと思いますこーゆーときの私思考は。
曖昧イメージと呼んでます。
ということで国際記念日機構がようやく聖日と認めた"おっぱいの日"を迎えたということでつまり葉月です。里緒奈です。
みなさん良きおっぱいと接しましたか?
朝起きたらモミの木の下におっぱいが置かれてたらいいですね。
揉み揉み
猟奇的!
さて
なのに
梅雨が明けてない!
という事態だそうで
前から思ってたんですが
"梅雨明けがいつ"ってそんなに気になるものなんですか?
誰がそんなに気にしてるの?って聞かれたら「いや、みんなが…」と答えるしかないくらい曖昧イメージですが
しかし少なくとも天気予報で「いつ頃梅雨は明けますか?」という話題が出てますし、市中のリアル会話でもそんなことを耳にすることもありますので、曖昧イメージよりは1ミクロくらいはデータ寄りかと。
もちろん天気の話なんで挨拶の一環、内容など基本はどうでもよくてコミュニケーションの初手としての役割だということ
ちなみに最近分かってきましたそういう社会的なこと
前は目くじら立てまくってましたからね、時候の挨拶や血液型占いとかに
若かったとお許しください
ってなことですが、そこまで熱心でも本気でもなく意図は別という内容でもバランスはあると思うんです。
そのバランスが少し傾いてない?って感じるというだけのお話
梅雨明けの時期が分かることによる行動の変化って私には1つも無いのですが、なんかあるのかなと。知ってみたいです。
なんかあるのなら梅雨明けの話題がこのレベルでされる意味が理解できるということになりますので。
ゴリゴリに血液型系なんやかんやを押しつけてくる人がいた場合、じゃあ輸血するときに「調べなくとも性格で分かるんで」と言う医者に疑問を持たないかったり、就職とかで「うちA型の人は合わないんで」という理由で不採用でも納得するなら理解できる 同じです。
バランスが取れてるって思えるんです。
私の中でこれ重要。
そりゃあ、湿気凄いし雨連続ってのはハイパーイヤですが、明けるときには明けるわけですから
今日まで雨、明日から晴れってなら今日洗濯しないで明日しようとなるかもですが、もうちょい先のことだったりしますやん。
ライブを企画するときに雨は避けたいとは思いますし、農家とかそっち系には必要な情報かもですが、それにしてはミクロですよね梅雨は。幅が。毎年大きく変わるわけでもないし。
"明けるのがいつ"って分かってから遊びの予定を立てたりもしないだろうし…って思いますがこの辺りなのかもと思います、可能性があるなら。
あとは「来週からようやく梅雨明け、ジメジメにもおさらばじゃ!」という"希望"があるのも豊かな生活をする上で大事ですからね。
夏が好きな人も少なくないですし。
でもやはり明けるときは明けますからねぇ
電車やバスを待ってるとき線路や道路に身を乗り出してまだかまだかと見てる人いるじゃないですか?
リスクと(私から見るその人の)期待値とのバランスの取れてなさに近いんですよね。
横断歩道を渡るときに深夜押しボタン式のボタンを昼間押す人にも同じようなアンバランスさを感じます。
もちろんこれらよりは梅雨明け気にしてる方が私的には健全度は断然高いですが。
梅雨が明ける日にちを知りた派の方いたらぜひ理由教えてください。
私が豊かな人間になるために。
お
お
おパンツ