昔からなのか、いつからか奥ゆかしくない人になったからか分かりませんが、長い映像を、それはだいたい映画やドラマですが、なかなか見れなくなったのが私であります。
何と比較してるかという話ですけれども
本数でいうとサブスクリプションの登場により圧倒的に見てるはず。10年より前と比べたら。
2011年あたりは年100本くらい借りて見てたでしょうが(スケベビデオはカウントせずに)、昨今はそれより多いんじゃないかなと。
映画館はそもそもあまり行かないのが私
たぶん今まで50回も行ってないんじゃないかな
嫌いじゃないしむしろ好きですが。
理由は
・時間と場所を合わせてチケットを手配する手間具合
・他人間がいるから
の二本柱。
音楽ライブもほぼ同じですが、具合に差がある、差が出る理由は映像同士との差と思われます、私的には。
ここんとこ映画館にあまりゆかなくなってるのはそれらの具合が好きを上回った結果だと計算できます。
(理系的思考でカッコいい)
赴く系は社交会的な意味もあるかもしれませんが、おそらく映画館にそれがありませんし。
しかし、映画というか長尺映像そのものを見れなくなくなったわけではありません(騙されただろう?)
冗長的だと感じるともう無理なんです
そう感じるたびに「なんか長げぇよ!」とiPadをフリスビーのごとく窓から飛ばしてますから大変
フリスビーの枚数が年々増えてるので、このままだと破産してしまいますから変態。
テレビアニメは仕方がないと思う懐の深さはあります
続けて見られる前提じゃないですもの。
振り返りやら思い出しやらを駆使してでもあまり早く進められない理由がありそうな感じですし。
話が進むのは1話で15分もないイメージ
人気なものにはなるべくセックス、間違えた、接してみようとする健気な私ですからワンピースを見たりもしたんですが、本来なら200台はフライiPadが目撃されていてもおかしくないくらいの内容でした。
内容というか構成?
仕方がないと思っていることなので壁に叩き付けるだけで済んでます。カバーが頑丈でナイス。
もしかしたら1週間経つとほぼ忘れる残念な子をしっかりとケアをする狙いもあるのかもしれません。次の日クラスで話題の輪にちゃんと入れるように。尊い。
思えばドラゴンボールもそうでした
(それより前もきっとそうでしょう)
フリーザと向かい合って、はごろもフーズを挟んで、向かい合ったまま終わった水曜19:26もあったかもしれません。
その経験によりアダルトになってもある程度は我慢が利くわけですから、教育って本当に大事です。
毎週毎週あの長いワンピースをアホ面で見てるちびっ子たちにもきっと忍耐力が育まれていることでしょう。尊い。
そういう振り返り、話を進ませないとしてるわけでもないはずなのになんか長いのがキツいんです…
『グリーンブック』
という映画を鑑賞しましたが、これがナイスでありました。
基本的には寄り道せずに進んでゆくストーリーですから、全部見せなくたって分かるでしょうから見せてませんというスマートな感じ。
あと、あまり良くないことが起きずして素敵話を成立させているというのもとてもプラスポイント。
病気とか理不尽なこととかでガキ、間違えた、ちびっ子様とかお犬様とか老人様とか恋人様とかが死んじゃえば、きっと話は作りやすいでしょう
一旦悪いことなりトラブルなりでマイナス状態にしてから0またはプラスに持っていくのは簡単なわけですから。
怪獣が現れて街を破壊してもらわないとウルトラマンの存在意義はありませんし、せっかくクレバーでイケメンでクールな探偵役がいても誰かに不幸が起きないと話が成り立ちません。まさに"話にならない"を地でゆくことになります。
(治安が悪くないと(悪いと思わせないと)防犯会社も警備会社も困るのとなんだか似ていますね。いやん)
もちろんお話を成立させるには多少なりともなにかしらが起きなくてはいけませんから、もちろん誰かが死ぬことも必要でしょう、そのアイデアと品と表現方法がどんなんかな?って、そこの好き嫌いで私は映像の価値を判断しているんだと思います。みんなそうでしょうが。
そしてそれが長くないか。
私は人間の心の機微を察する能力や文脈の読解力は低いほうですから「長過ぎて震える!」となってもそこにはちゃんと意味が表されていて、それに気付いてないから冗長的だとなっているだけかもしれないってのはかなりあり得ることで
しかし「私が気付かないのはお前のせい」というスタンスで生きていますので平気の平左です。凄いだろ?
こういうのを"損"と思う人は解説やネタバレを事前に見たうえで鑑賞し、安心を得るのだと思います。
分かります、その気持ち
わざわざマイナスを得ようとしないそのスタンス、分かります。
ジェットコースターとかお化け屋敷もそうですが、良くない状況に自ら身を置こうという気概が私に無くなりつつあるのと同じで、わざわざ嫌な気持ちになりたくねぇよと考えますよね。
"泣ける"のもまぁいいでしょうが、それが誰かの不幸を前提としたものだったらイヤじゃない?ってなるのが仏まっしぐらの私
「よいではないかよいではないか」と悪代官様が女性様に無理矢理迫り、思うがままにしたあと成敗されたとき
品のある私からすると「女性に不幸が起きてるのをわざわざ見ないでいいす」となるのですが(凄すぎるやろ?)
きっとそのシーンも是として見れて、成敗されるシーンも是として見れる感性の持ち主様に向けて制作され、その感性の持ち主様が鑑賞しているんでしょう。そりゃそうだ。
誰かが死ぬ話も同じで
死ぬことを望んでるんですね
普通です。
ミステリー系を見る私も誰かが殺されたシーンになると「よしよし」となりますから
これで話が進みますな と。
私にとって良くない状況であっても誰かにとっては良い状況ってのはもちろんあります。
(並んでまでラーメン食べるとか)
しかし、自分について考えると、わざわざ良くない状況に身を置きたがらないってのは、余裕がなくなってきている、つまり豊かでなくなってきているんじゃないかと少し震えてます。ぷるぷる
可能性を試す余力がないからかもしれませんからね。
良くないかもしれない状況にわざわざ自分を据えることができるのは豊さの証という側面もあることを少し忘れずに
無駄なことを放置できない状況は黄信号かもしれません。
たわわおっぱい
お知らせ!
前後のカルマ
6/29(土)吉祥寺PLANET K
Shadow Trap of Mirrors
LAIKA DAY DREAM
前後のカルマ
start18:00/adv¥3,000(+1D代)
[TIGET]
https://tiget.net/events/315410
森戸皓平 初ソロ音源実存中
『ゼノンの亀』¥3,000
1.kiss me
2.Empty my life
3.カルピディエム
4.疑心暗鬼のフェスティバル
5.デスサイクルまたは良きとなる時へ
6.偽言劇
弾き語り
7/27(土)高円寺MOONSTOMP
open18:30/start19:00
adv¥4,000/day¥4,500 (+1drink)
お問合せ、前売り予約はSNSからコンタクトミーお気軽に
何と比較してるかという話ですけれども
本数でいうとサブスクリプションの登場により圧倒的に見てるはず。10年より前と比べたら。
2011年あたりは年100本くらい借りて見てたでしょうが(スケベビデオはカウントせずに)、昨今はそれより多いんじゃないかなと。
映画館はそもそもあまり行かないのが私
たぶん今まで50回も行ってないんじゃないかな
嫌いじゃないしむしろ好きですが。
理由は
・時間と場所を合わせてチケットを手配する手間具合
・他人間がいるから
の二本柱。
音楽ライブもほぼ同じですが、具合に差がある、差が出る理由は映像同士との差と思われます、私的には。
ここんとこ映画館にあまりゆかなくなってるのはそれらの具合が好きを上回った結果だと計算できます。
(理系的思考でカッコいい)
赴く系は社交会的な意味もあるかもしれませんが、おそらく映画館にそれがありませんし。
しかし、映画というか長尺映像そのものを見れなくなくなったわけではありません(騙されただろう?)
冗長的だと感じるともう無理なんです
そう感じるたびに「なんか長げぇよ!」とiPadをフリスビーのごとく窓から飛ばしてますから大変
フリスビーの枚数が年々増えてるので、このままだと破産してしまいますから変態。
テレビアニメは仕方がないと思う懐の深さはあります
続けて見られる前提じゃないですもの。
振り返りやら思い出しやらを駆使してでもあまり早く進められない理由がありそうな感じですし。
話が進むのは1話で15分もないイメージ
人気なものにはなるべくセックス、間違えた、接してみようとする健気な私ですからワンピースを見たりもしたんですが、本来なら200台はフライiPadが目撃されていてもおかしくないくらいの内容でした。
内容というか構成?
仕方がないと思っていることなので壁に叩き付けるだけで済んでます。カバーが頑丈でナイス。
もしかしたら1週間経つとほぼ忘れる残念な子をしっかりとケアをする狙いもあるのかもしれません。次の日クラスで話題の輪にちゃんと入れるように。尊い。
思えばドラゴンボールもそうでした
(それより前もきっとそうでしょう)
フリーザと向かい合って、はごろもフーズを挟んで、向かい合ったまま終わった水曜19:26もあったかもしれません。
その経験によりアダルトになってもある程度は我慢が利くわけですから、教育って本当に大事です。
毎週毎週あの長いワンピースをアホ面で見てるちびっ子たちにもきっと忍耐力が育まれていることでしょう。尊い。
そういう振り返り、話を進ませないとしてるわけでもないはずなのになんか長いのがキツいんです…
『グリーンブック』
という映画を鑑賞しましたが、これがナイスでありました。
基本的には寄り道せずに進んでゆくストーリーですから、全部見せなくたって分かるでしょうから見せてませんというスマートな感じ。
あと、あまり良くないことが起きずして素敵話を成立させているというのもとてもプラスポイント。
病気とか理不尽なこととかでガキ、間違えた、ちびっ子様とかお犬様とか老人様とか恋人様とかが死んじゃえば、きっと話は作りやすいでしょう
一旦悪いことなりトラブルなりでマイナス状態にしてから0またはプラスに持っていくのは簡単なわけですから。
怪獣が現れて街を破壊してもらわないとウルトラマンの存在意義はありませんし、せっかくクレバーでイケメンでクールな探偵役がいても誰かに不幸が起きないと話が成り立ちません。まさに"話にならない"を地でゆくことになります。
(治安が悪くないと(悪いと思わせないと)防犯会社も警備会社も困るのとなんだか似ていますね。いやん)
もちろんお話を成立させるには多少なりともなにかしらが起きなくてはいけませんから、もちろん誰かが死ぬことも必要でしょう、そのアイデアと品と表現方法がどんなんかな?って、そこの好き嫌いで私は映像の価値を判断しているんだと思います。みんなそうでしょうが。
そしてそれが長くないか。
私は人間の心の機微を察する能力や文脈の読解力は低いほうですから「長過ぎて震える!」となってもそこにはちゃんと意味が表されていて、それに気付いてないから冗長的だとなっているだけかもしれないってのはかなりあり得ることで
しかし「私が気付かないのはお前のせい」というスタンスで生きていますので平気の平左です。凄いだろ?
こういうのを"損"と思う人は解説やネタバレを事前に見たうえで鑑賞し、安心を得るのだと思います。
分かります、その気持ち
わざわざマイナスを得ようとしないそのスタンス、分かります。
ジェットコースターとかお化け屋敷もそうですが、良くない状況に自ら身を置こうという気概が私に無くなりつつあるのと同じで、わざわざ嫌な気持ちになりたくねぇよと考えますよね。
"泣ける"のもまぁいいでしょうが、それが誰かの不幸を前提としたものだったらイヤじゃない?ってなるのが仏まっしぐらの私
「よいではないかよいではないか」と悪代官様が女性様に無理矢理迫り、思うがままにしたあと成敗されたとき
品のある私からすると「女性に不幸が起きてるのをわざわざ見ないでいいす」となるのですが(凄すぎるやろ?)
きっとそのシーンも是として見れて、成敗されるシーンも是として見れる感性の持ち主様に向けて制作され、その感性の持ち主様が鑑賞しているんでしょう。そりゃそうだ。
誰かが死ぬ話も同じで
死ぬことを望んでるんですね
普通です。
ミステリー系を見る私も誰かが殺されたシーンになると「よしよし」となりますから
これで話が進みますな と。
私にとって良くない状況であっても誰かにとっては良い状況ってのはもちろんあります。
(並んでまでラーメン食べるとか)
しかし、自分について考えると、わざわざ良くない状況に身を置きたがらないってのは、余裕がなくなってきている、つまり豊かでなくなってきているんじゃないかと少し震えてます。ぷるぷる
可能性を試す余力がないからかもしれませんからね。
良くないかもしれない状況にわざわざ自分を据えることができるのは豊さの証という側面もあることを少し忘れずに
無駄なことを放置できない状況は黄信号かもしれません。
たわわおっぱい
お知らせ!
前後のカルマ
6/29(土)吉祥寺PLANET K
Shadow Trap of Mirrors
LAIKA DAY DREAM
前後のカルマ
start18:00/adv¥3,000(+1D代)
[TIGET]
https://tiget.net/events/315410
森戸皓平 初ソロ音源実存中
『ゼノンの亀』¥3,000
1.kiss me
2.Empty my life
3.カルピディエム
4.疑心暗鬼のフェスティバル
5.デスサイクルまたは良きとなる時へ
6.偽言劇
弾き語り
7/27(土)高円寺MOONSTOMP
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