過去も未来も無い証明

2022-05-05 | Weblog

眼鏡をしないと藤子マンガの目(3みたいなやつ)になるのが私です。

かけてた眼鏡がボロボロになって「限界やでこれほんまに!」と家の中心で哀を叫んだので替えたんですよ。ずいぶん前に。

ずいぶん前だから替えたやつもボロボロになりまして、今使ってたやつもレンズすら外れて、外れたのをテープで留めてたけどそれすらもう限界だったので「限界やでこれほんまに!」と再度叫んだんです。

で、もはや眼鏡の体を成してなかったので仕方なく前のを使ってみたんです。
(一応取っておいた私エロい、間違えた、偉い)



装着


「めちゃ普通に使えるやんけ!」

また叫びましたよ

私はよく叫ぶんです。



その時は限界だと思うくらいのボロボロと感じていたのに です。

でも今使っていたのはそれよりさらに上だったわけで

もちろん最終フォルムからすればなんぼかマシだろうと思った(だから前のをかけたわけ)けど、ここまで快適だったとは…という感じ。


これは「当たり前のことが幸せだった」とかいう自己中な発想と親戚事象であります。


それって以前との比較というより"今よりいい状態"を想定してるだけでしょうということ


そーゆーなら今現在の悪い状態で幸せを感じときなさいよって


どうせさらに状況が悪化したら「あのときはまだマシだった」と言うに決まっています。



まぁ、だからこそ宗教の大きな題材になってるという、そりゃそだね案件なんですが


「欲」っていう題材は人間そのものですから

それと「死」のコンボはもう最大級と言っていいと思います

どこまでいってもご随意に案件でもありますが。


おっぱい

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