内部紹介

2021-04-04 | Weblog


これは太古の昔からのことで
(私が自我を持ってからの範囲ですが)



だからなんなん


とか


じゃあどうするん




ってなるし



あまあまな考え、妄想寄りの理想論なのかもしれません。


というか"考え"や"論"ですらない気持ち、いや、もはや"気分"くらいのことなんですが








「その代わりに」ってのが嫌いです。



(嫌いってほど積極的感情でもないかもですが)







制度も思考もほぼ全てはこの上にあるのは分かっております。



人間行動の一挙手一投足が欲求を満たすためというのが私の自論ですので「この行動をする代りにこの快楽を期待する」というのの連続なはずですから。
この構造からは基本的には逃れられないはずです。
それを"この構造"と定義してますから。




たぶん「その代わりに」ってのが"俗"と言われてるのの部分だったり大部分だったりかもで


釈迦が山内でキツい修行してる俗から離れてる風な人達も結局"来世でムフフするため"と分かって「いやん」となったという話がありますな。

その本を読んだときは「当たり前やん」と思いましたけど。



まぁ、宗教の構造の一つがそうですからね

"人間は根本的に駄目"としてるビジネスモデル

「顧客対象は生きてる人」

つまり

「生きてる限り需要は枯渇しない」

これです。


生きてる限りというか「人が死ぬ限り」が近いかな(同じ?)


宗教自体はそうそうなくなりませんが、各教各派その他それっぽいのは日々営業努力を怠ってはいけない気がします。

葬式、墓、法事業界は特に。







しかしそういうレベルの話ではなく単純に人間関係レベルの話です(高低でなく)




人間関係において「その代わりに」はなるべく無く、あってもなるべく薄くしたい人が私です


だから?と言われましてもこちらのスタンス発表ですので、自己紹介ですこんにちは。


前述した通り人間(私)は基本的にそうだってのはあるし、もちろんだいたいの人とはその代わりに関係です


それはビジネス関係(レジの人と私との関係と同じ)。


「その代わりに」をなるべく希薄にしたいのが人間関係と定義したいのかもしれません。



もちろん社会の一員でいる限りそこからはそうそう逃れられませんから


だから自然とか見たり感じたりするといい気持ちになるのかなと感情に理由を付けたがるのも私です。


風が吹く

波が行き来する

月が輝く

太陽が昇る

「その代りに」で起きてる現象じゃないですから("その影響で"とかはありますが。物理現象なので)



安らぐわけですよね。



動植物も、もちろん本人達は欲をめっちゃ満たそうとしてるかもですが、人間様から見ればそこまで強欲に見えないから"自然"扱いとしてるときもあります



"子どもの無邪気さ"の尊ばれ具合もこれの部分がある気がします
(私は尊ばないですが)



きっと疲れてるんですよね「その代りに」まくりな社会に。




でも、それを望んでるわけで


「その代わりに」でここまで人間様は発展して地球を統べるようになりいつでもスマホでスケベな動画を見れるようになったのです(未開人に早く教えてあげて)


先人たち現人たちの欲求不満をそのままにしないという真面目さ、弛まぬ努力に顔射、間違えた、感謝。



しかしメインはそこなのに息抜きとしての"自然"をメインにするとどうなるか



結局は同じ構造を作り上げるだけです
(面白いよね)


ウザい人を排除したら、排除させた中からまた新たなウザい人が認定されるのと同じです。




尽きない欲


進むも滅亡 退くも滅亡 留まるも滅亡


そうかもしれませんしそうじゃないかもしれませんし宇宙が消滅すると考えたらどうでもいいかもしれませんが自分本人は宇宙より全てです。




凄いですよね



おっぱい


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