Over 60's yukinokoブログ

実家の片づけ、そして義母を送って、次は自分の生前整理だな

仏壇まわりの混沌と処分に気が引けるものたち

2023-09-28 08:25:44 | 暮らしのあれこれ

昨日の夕方、どうしたことか何かに呼ばれたかのように、ふと始めてしまったのが仏壇まわりの片づけ。

お盆のとき、仏壇の下にある地袋の奥深くに、なにやらいろいろとあるのを発見。いつかはやらなきゃなと思ってはいました。まず最初に手をつけたのは、その地袋の一番手前に

置いてあるプラスチック製の小引き出し二つ。

うちひとつはお線香やろうそくの予備を入れてあって、比較的よく目にしているものなのだけれど、問題はもうひとつの引き出し。

その中から出てきたのは、古い写真でした。

義母の親、つまり相方にとって祖父母の写真が何枚か。その存在は前から知っていたのですが、他にもいろいろとありまして。

なぜだか知らねども、相方や義弟の小学校時代の学級写真とか修学旅行の集合写真なども何枚か出てきたのです。相方と義弟、どちらの写真かを判別するのが一苦労。

結婚する2年くらい前の相方の写真もありました。当時飼っていた秋田犬と一緒に写っているものですが、なんだかすごく田舎のお兄さんな雰囲気なんです。よくこの人と結婚する気に

なったよね、と自分自身に呆れるほどで。

でも年齢を重ねたほうがいい男、ということで、逆に見る目があったかもしれない、ということにしておこう。

よく写真屋さんでもらう簡易的なアルバムに入った、義父母の旅行の写真もありました。そうしたものや中身の覚書みたいなものを書くことが多かった義母。

日付とともによく書いてあった言葉が「大切です」。

大切、と書いているわりには放ったらかしなんだけど、と毎度ツッコミ入れてしまう私。でも大切と書かれているとなんだかね、処分するのに気が引けるんですよ。

 

ここでひとつ学ぶ。おいそれと「大切」とは書かないこと。まあ元々そんなこと書くタイプの人間じゃないのですが。

 

ついでに仏壇自体の引き出しふたつの中も見てみると、う~ん、こちらもなかなかな混沌ぶり。

義父母は西国三十三か所参りをしていたのですが、そのときのものと思われる御詠歌集とか、小さな念珠など、これまた処分するのに気が引けるものたちがあれこれと。

かと思えば、子どもたちの使いかけの鉛筆が何本も出てきたり。昔人間なのでそういうものが捨てられないのは理解できるものの、自分の死後のことには考えが至らなかったのね。

実家の片づけのときもそうだったけれど、つくづく思う。生きているうち動けるうちに自分の始末はしておかないと!

今日も真夏日予想なので片づけには不向きだなとは思うけれど、これも乗りかかった舟。時間を決めて疲れない程度に片づけを続けようと思います。

ちなみに昨日の午後。数独をやっていてあまりに眠くなったので(難しくなるといつもこう)、気温が高い今のうちにとトースターやレンジとその周りの掃除をしました。

やったら予想以上に汚れが落ちて。こうなると気分もいいんですよね。せいぜい10月中くらいがこうした掃除に適した気温だなと思っているので、やり過ぎに注意しながら並行して

進めたい。実際昨日はちょっと力を遣い過ぎて、夜寝るときになんだか右の肩甲骨あたりが痛くて。普段怠けているからこんなことになるんですね。毎日ちょこちょこと掃除をして

いればもっとラクに済むはずなのに。根がずぼらなので仕方ないわ~(苦笑)。


この記事についてブログを書く
« 秋めく&夏しまい | トップ | 仏壇まわりの混沌との熱い闘い »

暮らしのあれこれ」カテゴリの最新記事