石森則和のSEA SIDE RADIO

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文化放送『あれからどうしてた? ~作家、重松清が歩く山元町』

2020-03-01 | Weblog

宮城県山元町を

作家の重松清さんと歩くのは二度目です。

 

前回は2017年。

 

震災発生当時

防災無線を含む情報を全く立たれた中で

元東北放送のアナウンサー高橋厚さんが孤軍奮闘立ち上げた災害FM

「りんごラジオ」を中心に

山元町のかたがたを一緒に取材しました。

 

この「りんごラジオ」

何年もの間

多くの町民が、すがるように聞いていたのですが

放送されたその年に閉局が決まりました。

 

山元町の鉄道の駅や、町の中枢部、住宅街は

内陸寄りに移動し、ぴかぴかのコンパクトシティとなりました。

 

でも・・・沿岸部は。

 

いちごの大規模栽培などはなされているものの

多くは今だに荒れ果てた荒野のよう。

 

ここは頻繁にメディアで取り上げられてきた被災地ではありません。

震災発生当時もなかなかとりあげられませんでした。

 

ただ、このように

注目されないまま、静かに姿を変えていく被災地が

全国にはたくさんあります。

 

そういう地域こそ

繰り返し取材し、何が変わり何が変わらないのか

追いかけ続けることが必要だと思っています。

 

町が変わり、人の暮らしが変わり、人の心も変化する被災地。

家族のつながりや学校、友達

失われた命の愛おしさをテーマに小説を書いてきた重松さんに

語っていただきたいと思いました。

今回は「りんごラジオ」という、

町の誰もが聞いていたメディアが失われたあとの

人々の生き方を描きます。

 

りんごラジオを立ち上げた元アナウンサーを支えた奥様、真理子さん。

当時マニュアルにこだわらず生徒全員を津波から救った小学校の校長先生

行方不明になった当時27歳の娘さんを探し続けてきたご夫婦

震災当時小学生で、2017年のときには中学1年だった少女

その全員が、

2017年には想像できなかった今を生きていました。

 

そんなみなさんと重松さんとの会話を

ぜひ聞いていただきたいと思います。

また、言葉以外にも聞きどころがあります。

 

「海から吹いてくる強い風の音」

「ひっきりなしに通り過ぎる工事のトラックの走行音」

「最愛の娘を失った夫婦が

慰霊碑の前で『娘と一緒に』飲み続けた缶コーヒーの空き缶の音」

 

その生々しい音は

映像以上にあなたの心に迫ると思います。

 

ラジオは大勢でいっしょに聞くというよりも

何かに取り組みながら

ひとりで向かい合ってきくことが多いメディア。

 

重松さんと山元町の人々の会話に

あなたも加わっているような気持ちで

お聴きいただければと思います。

◎文化放送公式サイト

http://www.joqr.co.jp/article/detail/post_270.php

◎ラジコで聴く方はこちら

http://radiko.jp/#!/ts/QRR/20200307180000

 

文化放送サタデープレミアム

『シリーズ被災地の真実

あれからどうしてた? ~作家、重松清が歩く山元町』

3月7日(土) 18:00-18:57

ぜひ、お聴きください。