さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

最期を考える

2013年12月06日 21時17分51秒 | Web log
東近江市の永源寺で診療所を開いておられる花戸貴司医師のブログを拝見しました。

花戸医師は、永源寺の診療所の所長として地域包括ケアをおこなっているお医者様です。
高齢化の進む永源寺地区での医療活動の一部を担っているのが終末期医療としての看取り。

高齢者の多くは「最期は家で...」と望まれるそうです。

最期を病院で迎える人、特別養護老人ホームで迎える人、自宅で迎える人、いろいろあるかと
思いますが、それがどんな形であれ、本人の最後の望みを叶えてあげられる支援体制があるという
ことがとても大切なのではないかと思います。

先生のブログを読ませていただきましたが、先生が地域に溶け込んで、お医者様として患者さんの
健康だけでなく、生活全般に関する「必要」を知り、それに応じて介護士、ヘルパーさんなどと
協力しながら、患者さんが望むように生きるお手伝いをしていらっしゃるんだなぁと思いました。

人と人との繋がりが深かった昔の地域医療は、こんな風だったんじゃないでしょうか?

ブログの中で先生が関わっている人々の日記や、手紙が紹介されていますが、どんなに年をとって
体が不自由になったとしても人間として、なるべく人のお世話にならず、できる限りのことを
自分でやりたいという、人間としての「尊厳」が強く感じ取れます。

その気持ちを尊重するというのは「効率」という面から考えると難しいことなのかと思います。
自分でやることを見守るよりも、やってあげるほうが色んな意味で簡単だったりするからです。

でも、じっと見守りながら必要なときにだけ、そっと手助けをする。

それがどんな形であっても、最期は、お1人お1人の願いをできるだけ聞いてあげたい、
叶えてあげたいという先生の深い思いが伝わってきます。

1人暮らしをしているある重度の認知症のMさんのお話のところは、感動しました。

ご近所さんも顔なじみのMさんなら外を歩いていても「散歩」、けして「徘徊」なんて大騒ぎは
されません..... 医療だけではなく、介護、そしてコミュニティが一体となることでその人を
支えることができる。そうすることによって一人暮らしの認知症の方であっても安心して生活を
することができることを知っておいてほしい。


先生のますますのご活躍を祈りつつ、このような働きが日本中に広がっていきますように...

署名

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